第14話 グレン中尉

恐る恐る中に入ると、中央に大きな円卓の木の机があり、この周辺の地図だろうか高低差が書き入れられた地形図が盤面に広げられている。


中央に白髪を綺麗に撫でつけた将校が1人、隣にメガネをかけた初老の将校が1人いて、2人とも間髪なくパイプから煙を燻らせている。


その向かい側に自分たちと同じぐらいか、または年下だと思われる1人の青年の姿があった。


全身を黒い軍服で包んでいて、近くに立っている将校たちとは様相が違う。


―――――アズサは男性のことを初めて美しいと感じた。


昔祖父が都の博物館で見た白い大理石で出来た古代の彫像のことを美しいと表現しているのを思い出した。


あれはな、同じ男性の像なのに美しいのだ。そうだな教会の大聖堂に入った時にも同じように感じた。儂の語彙が少ないから美しいとしか表現出来ないのかもしれない。そうだな神々しいに近いかもしれん。

お前も都に行った際は見てくると良い。

儂の気持ちがわかるかもしれんな。


不思議だった。

男性にこのようなことを感じること自体今までないことだったが、少なくとも自身と同じ境遇で育ったのではないであろうことは理解出来た。


都にいる貴族の氏族はおそらくこういう姿なのだろうかと思った。


ジュールも貴族ではあるが、アズサがイメージしていたものとは違った。

ただ彼も肉体労働をしたことがない身体つきなのは見れば分かった。

目の前の少年にも同様のものを感じる。


彼の手先を見る―――――――。

不用意に太くなく、皮が厚くゴテゴテとした手のひらではない柔らかい肌をしている。土いじりをしたことがなく、かつ重いものを持ったことのない綺麗な指先。


村の同い年の男子を数人思い返したが、皆手は硬く大きく、足も同様に大きい。

肌は日に焼けていて浅黒く、服装はいつも農作業をしやすい軽装で、アクセサリーなどで自身を着飾る文化を持っている者はいない。


身分というのは、ふとした部分にかもし出され、それは生まれながらにして決まっているものなのだろうかと思った。


その円卓を中心にして、壁際に何人かの女性兵士の姿があった。

皆黒い軍服を着ているのだが、どれもロングコートのように丈が長く、自分たちの着ている軍服と一線を画していた。


そして各々が自身の好きなように着飾っている。

指輪をしているものから、髪飾りをつけているもの、首元にスカーフを巻いて自身の口元を覆っている者まで、多種多様だった。


隣のミストリもアズサと同様で女性の隊員を見ては目を離せないでいる。

戦場に来てから女性を目にする機会はめっきりと減った。男子ならば当然の行動なのかもしれない。


「大佐、小隊から伝令が来ました」


先程の金髪の少女が敬礼しながら報告する。

部屋中の人間の視線が2人に集中する。自身の背中に力が入るのがわかった。


背筋を伸ばそうと普段使用していない筋肉が悲鳴をあげる。


「うむ、ありがとう。グレン中尉。彼らがこちらが用意した伝令だ。望みの通り、できる限り戦場から近しい村出身の人間を選別した。あとは任せても良いかな」


白髪の将校が答える。パイプから出る煙だけが生きているようにゆらゆらと空中に揺れる。


中央の黒い軍服の男は「ありがとうございます。あとはこちらで対応しますので、お任せ下さい」と答えた。


優しい声だと素直に感じた。この周囲に広がる風景に似つかわしくない、淀みない音。


将校たちはその言葉に満足したのか、あとはよろしく、と言ってアズサたちの横をすりぬけてテントを出て行った。


すると黒い軍服の少年の隣にいた女性がこちらに近づいて来る。

女性も少年と同様に黒い軍服を着ている。年齢は自分よりも少し高いくらいだろう。


身長も160cm後半程はあるだろうか、髪は長く腰の手前程まであり、髪色はどこかブルーがかったクリーム色で、陽がさすことが無いこのテントの中でも光っているかのように輝いて見える。

軍帽にはイゾルダと同様に三首の犬の帽章が付いている。

表情からどこか温和そうな印象が漂っていて、おそらく目元が若干垂れ目なせいか自然と微笑んでいるかのように見えるせいだろう。

唇がひび割れていないところを見ると、戦場というこの場でもどうやら良い待遇にいるのだろう、彼女らのような士官は我々とは様々な部分で違うのかなと想像する。

彼女の軍帽に収まりきらない髪がフワフワと左右に揺れている。


その女性はアズサたちの前に立つと、しっかりとこちらを見据えて声をかけてくれる。


「貴方たちは08小隊の方ですね。今回の要請に応えて下さってありがとうございます」


目の前の女性は頭を下げた。

周囲に待機している女性たちはその仕草を見ても、微笑んでいるだけで何も言わない。


少なくとも目の前の女性の方が自分たちより階級は上なはずだ。

なのに上官であろう目の前の女性は下の者に頭を下げた。

軍隊にいてまだ数日とはいえ、これが少し異常なことにミストリも含め2人は気づいていた。


「私はグロリアと言います。階級は曹長です。ただ我々は参謀本部直属となっているので、他の部隊とは命令指揮系統が少し違うものと考えて下さい」

そう言って柔らかく微笑んだ。


目の前のグロリア曹長が喋っている間、アズサは彼女の立ち居振る舞いに釘付けとなっていた。ふわふわとしたまつ毛に奥二重の目、それを囲うように赤いフレームの眼鏡を掛け、微笑むと目尻が少し下がり、なんとも言えない気持ちになる。


人の表情から感情をイメージするのは少し変かなとも思ったが、どうしても目が離せなかった。


―――――――こんな風になりたい―――――。


どこからだろう、自然とそういった願望が湧き出てくるのを感じた。

そして心なしか目の前のグロリアを中心に良い匂いがする気がする。


「それで、お二人の名前を教えてもらって良いかしら」


その対応にどうしたら良いのかとミストリを見るが、ミストリもどうして良いかわからず、二、三テンポ遅れて「自分はF中隊08小隊所属ミストリ二等兵であります」と答え、間髪入れずにアズサも「ブラウン・エンリケスです」と答える。


そういえば、こうやって上官に自己紹介するのは二度目だなと思った。

戦場に来てから数日の自分に、果たして上手くできているのだろうかと不安になった。


「ありがとうございます。それで、ミストリさんは確かこの付近の村出身の方で間違いないでしょうか」

「あ、はい、自分はここからすぐ隣にあるオーリエの村の出身です」


ミストリがそう答えると、グロリアはミストリに視線を持っていきそれからアズサの方を見る。


「わ、私はライルストーンの出身です。その、この付近の村の出ではありません」


グロリアはそれを聞くとほんの少しの間アズサの目に視線を合わせて、そうなんですね、と呟くと、右手で左の胸ポケットを探り出した。


そして二つの小さな包み紙を取り出すと、はいどうぞ、と言って2人に手渡した。

アズサとミストリがその包みを開けると、中から出てきたのは赤い飴玉だった。


「もし良かったらどうぞ、食べて下さい。都で流行っている新しい味の飴です。ここでは甘いものはあまりありませんから」


促されたまま2人がそれを口に入れると、砂糖を煮詰めたような甘い味の後にレモンのような強烈な酸味が舌を刺激した。


リンパが刺激され、涎が口の中いっぱいに溜まるのを感じる。


地元の村でも甘いものは頻繁に手に入るわけではない。普段食べられない程貴重でもないが、毎日は食べられない程度のものだ。

だが戦場の風景を見る限り、地元よりも更に手に入りにくいのは言われずとも感じる。


グロリアは2人が口に飴玉を入れたのを確認してから、にっこりと笑って話し始めた。


「お二人には今日から私たちの部隊の一員として行動してもらいます」


アズサは涎を飲み込んだ。まるで小匙一杯ほどはあったのでないかというほどの量があって、飲み込んだ時の喉を鳴らす音が周囲に聞こえてしまったのでは、と思うほど自身の体の中では大きな音を立てた。


イゾルダから事前にそのようなことは言われていたが、いざ正式に言われると緊張するものなのだなと思った。


「それで今後、現在の戦況で地形を生かした行動をしたいのです。それに伴ってこの付近の地理に詳しい方のお力が必要となりまして、ミストリさんをお呼びしたのです」


視線を送らずとも雰囲気だけでわかった。隣に立っているミストリは興奮しているだろう。

自身の心臓もそうだが、隣に立っている男の息が明らかに早く強くなっている。


「そこで早速諸々伺いたいので、ミストリさん。こちらでお話を聞かせて下さい。ブラウンさんはこれからの行動と、諸々の雑務を聞いておいて下さい」


グロリアは周囲にいたコートを着ている1人の女性兵士の方を向き、デヴラこの人をお願い、と言ってアズサを指し示すと、ミストリさんはこっちに来て下さい、と言って中央の地形図が広げられている円卓の方に戻っていった。


デヴラと呼ばれたコートを着た黒髪の女性がアズサの近くに来ると、貴方はこっちに来て、と言って手招きしてアズサの横を通り抜けてテントの外に出た。


アズサは慌てて彼女の後を追った。

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