第9話 徴収
周囲には深緑色のテントが複数立ち並んでいて、その隙間に20メートル四方のちょっとした空き地がある。
そこに小隊が前後2列に並ぶ。
小隊と言っても全部で15人程なため、前の列には8人程、後列には7人が整列する。
彼らの前に立っているのは全身真っ黒な軍服でメカシこんだ少女だった。
少女の軍服はところどころ、金だったり銀だったりと金属的な装飾が至る所に施されており、陽の光に当てられて、それらが武骨に光った。
存外金属って瞬かないんだな、とアズサは思った。
軍帽には頭部が三つある犬が鎖を口に咥え、正面を睨んでいる金属製の帽章がツバの上のところに付いている。
少女は身長が150cm程で、顔を見る限り年齢は妹のシェーレより幾分高い程度だろうと思った。
13、14歳かな。
幼ないが目の前にいる自身より年齢が高い男性たちと向かい合っても、気後れすることなくしっかりと向かい合っている。
ガスコインが顔を殴られて呆然としているジュールの襟を掴んで、整列しているアズサたちに合流した時目の前の少女は、ふん貴様らの小隊はどうやら腑抜けしかいないらしい、と少女らしからぬことを言った。
手に持っていた教鞭を二、三度左右に振り、それで軍曹、これで全員揃ったのか、と少女はガスコインに聞いた。
「は、E08小隊これで全員であります」
答えるなり、古参の兵たちは次の瞬間に一斉に目の前の少女に敬礼した。
アズサやミストリなどの新兵はそれにやや遅れる形で慌てて敬礼をする。
ジュールも同様に敬礼したが、先程の殴られた衝撃を引きずっているのか、何か恥に耐えるように歯を噛み締めるようにして右手を上げている。
「ふむ、これはもはや小隊と呼んで良いものか。まあ近年の情勢から鑑みて、仕方のないことなのだろう」
まるで大人のような口ぶりに整列している誰もが戸惑う。
だが戸惑っているのは恐らく少女が大人びた発言をしているからではないだろう。
誰もが心の中で思っているのは、あの目の前の少女が見慣れない、おそらくエースの部隊の制服を着ているという事実についてだった。
アズサは何度も眺めた新聞記事の写真を思い返していた。あの写真の部隊の制服に間違いはない。
だがそれにしても、声が可愛い。
年相応の柔らかく丸みを帯びた声とでも言えば良いのだろうか。
自分以外の人間がどんな表情をしているか伺い知りたいが、少なくとも首を動かすことは出来ない状況だった。
エース率いる部隊、現在ボルビア国内で稼働しているのは複数存在する。
アズサは戦場にくるときに母と約束したことを思い出した。
絶対にエースの部隊に入る。それが出来ないことには女性として軍隊に居続けることは出来ない。
戦場の良いところと言っては変だが、風呂に入る事は基本的にない。
シャワーのような簡易的に水浴び出来る施設はあるにはあるが、不特定多数の人物が入れる程広いものはなく、互いに肌を見せ合う機会がない。
トイレは一応木の戸板で仕切られてはいる。一度戦場に出てしまえばすぐには女性と見破られることはないだろう。
戦場の派遣先も村長に願い出たままになっている。
エースの部隊が派遣されるであろう場所に配置されるようにして欲しい。
それが村を出るときに村長に願い出た一つの希望だった。村長はそんなことは不可能だと前置きしたものの、まあ激戦区には派遣されるだろうと言った。
それすなわち最前線への希望ということだが。
アズサは入隊したときの入り口が特殊技能兵である。これに選別された限り基本的にどのような場所にも配属希望を提出出来る。
多くは後方の支援部隊への配属希望が主である。
だがアズサは迷わずこれから最も激戦になるであろう最前線を希望した。
すなわち、この東部戦線である。選別された特殊技能にもよるが、彼女の希望は何の問題もなく中央政府の裁可を通過した。
こんなにも早く希望する部隊が目の前にくるなんて。アズサは思いがけず興奮した。
それに目の前の存在も同様だ。
年端もいかない少女のはずなのに屈強な兵士の誰もが彼女の一言一句に傾聴し平伏している。
女性が生きていくためには必要な全てのものを備えているのだ。
目の前の少女は右に二歩進み、180度回転方向転換すると逆方向に4歩進む。
「貴様らの中に選ばれた人間がいる」
少女は教鞭をくるくると円を描くように手首だけで回す。
アズサは心臓が跳ね上がる思いがした。
可愛い声だと思って若干気が緩んだが、それも一瞬のことだった。
もしかして偽造した戸籍証明書がばれたのであろうか。
村長は問題なく申請出来るだろうと言っていた。
君のお母さんに誓って問題ないようにしようと言ってはいたものの、そう簡単に中央の役場を騙しとおせるものだろうか。
それとも戦争が長引くにつれてスパイを炙り出すための何かしらの活動なのだろうか。
ぐるぐると様々なことを考える。
「特にこの戦場にいることが似つかわしくない存在だ」
正面を見据えていた顔を心なしか伏せる。
腋から自然と汗が出る。二の腕付近を雫が垂れていく。そのまま手首に伝っていくのを感じる。
しかしもう一方の手でその汗を拭い去ることは出来ない。
軍隊に入ってまともな訓練も大して受けていないがこの場で動くことはしてはいけないと空気が言っている。
「これから名前を言う者は前に出ろ」
どうしたら良いのだろう。だが逃げ出すことは出来ない。頭のどこだろう、右上の部分であろうか、ぐるぐると右回転してこの場を逃げ出す言い訳を考えだす。
言い訳――――?
そんなことが出来るのであろうか。いや、出来ない。スパイーー?もしも捕まったらスパイ扱いになるのだろうか。
母、家族はどうなるのだろう。疑いを掛けられ何か責められるような目に合うのだろうか。
「――――ミストリ――――、ミストリ・グラーデン。前に出ろ」
全体の空気が一瞬張り詰めたかと思うと、皆がミストリの方を見る。
だがミストリの緊張の糸は張り詰めたままだろう。ミストリ以外の人物の空気が弛緩していくのが分かる。アズサ自身も急激に緊張の溜飲が下がり、周囲に気づかれないようにゆっくりと深呼吸をする。
横目でミストリの方を見る。
顔には表情がなかった。人間は極度の緊張に陥ると笑ってしまうのだという。
だがそれすらも通り越しているのだろう。
ミストリは上ずった声で、はっ!、と言うと敬礼して一歩前に出る。前に出たときに敬礼で掲げた右手がそのままだった。敬礼したまま目の前の少女の声を待つ。
黒い服の少女はミストリの前までテクテクと歩く。それは数歩のはずで、時間でいうところものの数秒だったが、誰もしゃべらない沈黙の数秒はとてつもなく長く感じられた。
「貴様か、そうか」
少女は持っている教鞭をフラフラと振りながら、ミストリの周りを円を描くようにくるくると回り始めた。
それが2、3周続き、ミストリの正面で止まると、少女はミストリの正面10cmのところに立った。
相変わらずミストリの右手は敬礼の姿のままだ。
むしろ下ろしどころが分からずにこのままで良いのかとまどっている。
ミストリの身長は170cmだ。その身長差のせいで少女はミストリを下から覗き込むように彼を見る。
「おい、貴様。貴様の出身地を言ってみろ。私は前回貴様と似たような名前の奴を選んで大恥をかく羽目になった。ミストリなんて名前そうそうあるとは思わないだろ普通。それで、出身地はどこだ」
少女の持っている教鞭の先端はミストリの膝のあたりをそれとなくたたいている。ペシペシと小さい音がアズサの頭の中で想像の中の音として繰り返し鳴る。
「、、あ、あの自分は、ォ、オ、オーリエの村の出身です」
「あっ、ォオオーリエ村か?そーなのか!?」
少女の声は語尾に従って大きくなる。だが彼女の柔らかい声のボリュームは、滑らかな山なりの波形を描いているだろう。
「い、いえ、オーリエ村の出身です!!」
ミストリの声も負けず劣らず自然と大きくなった。
「そうか、オーリエ村出身のミストリ・グラーデンで間違いないな。そうなんだな!?」
「はい!オーリエ村のミストリ・グラーデンであります」
ミストリは胸を張って敬礼の右手に力を入れなおして、答え直す。
すると少女は右手で持っていた教鞭の先端をミストリの左膝に勢いよく打ち込んだ。
ミストリの膝に向かって大きな杭が撃ち込まれたかのように、気持ちの良い音が鳴った。
支えを失った家畜の様に、いや生まれたての子鹿が生まれて初めて立ったときの映像を逆再生したかの様にミストリは左膝から崩れ落ちた。
だが痛みがあるのかどうかまでは分からない、ミストリは一瞬のことだったこともあり、呆然とした様子で、片膝を付いたまま、目の前の少女を見上げている。別段痛がっている様子はなさそうだった。
黒い制服の少女は教鞭をミストリの顎下に構えると、
「良いか、今度から聞かれたことには一度で答えろ、出ないとこれから先同じようなことになる」
と言って睨みを効かせた。
ミストリが声も小さく、は、はいと答えると、顎下に教鞭を二、三度打ちつけて、分かったならよし、と言い少女は小隊と初めて向かい合わせた時の位置に戻った。
そしてミストリに向かって手の素振りだけで立ち上がれと伝えると、自身の身なりを正して、二、三度咳払いをし直立の姿勢に立ち直った。
「これからミストリ・グラーデンは我が部隊と行動を共にしてもらう」
部隊全員が息を呑むのが分かった。
「それは今この瞬間からそうなる」
なのでガスコイン小隊長、補充兵が入ったばかりで申し訳ないがまた改めて兵員を補充して欲しい、上にはもう既に話を通してあるから、司令部に行けばすんなりと話が通るようになっている。
小隊の者たちはお互いに声は発しないものの、思考は同様である様だった。
この目の前にいる少女は本当にあのエースの部隊なのだろうか。
なぜミストリは突然に選ばれたのだろう。そしてこの目の前の少女の得体の知れなさは一体全体どういうことだ。
アズサは考えれば考えるほど、目の前で起きている事象に付いていけない自分に戸惑っていた。
少女は部隊内の若干の動揺を予期していたのだろう。
だがそれに付き合うつもりは毛頭無い様だった。
「そしてこの部隊からもう1人、同様に我が部隊の指揮下に入ってもらう者を募集する」
目の前の少女は教鞭をまた左右に振りながら、当たり前のような口ぶりで言葉を発する。
志願する者は手を上げろ。
そう言って少女は自身の右手を上にあげた。まるで遊びたいものはこの指に止まれとでもやるような仕草だった。
小隊全体がそれとなく周囲を気にする素振りを見せる。
エースの噂は基本得体の知れないといった類のものが多い。
国内の世論を操作するためのプロパガンダ部隊として見ている者もいる一方で、前線で戦っている者の多くは彼らの活躍を賛美しつつまるで女神を崇める様な扱いをする者もいる。
だが、かの部隊の成り立ちを知っている者は1人としていなかった。ただ新聞などの記事では少なくとも特殊能力の「デアラン」が強力な者たちを国が選別して設立した特殊部隊であるというストーリーだった。
そしてほとんどが女性の構成員であり、独立遊撃部隊として至る所の戦場に顔を出しては、拮抗していたり難局な局面を打開しては次の戦場に移っていく、という触れ込みだった。
記事では国内からエースの部隊に入隊したいと言う女性の志願者が殺到はしているものの、どういった選考過程を得て入隊出来るかなど一切明らかにされておらず、広告塔として露出する以外は謎に包まれているのだった。
噂ではデアランが発現しているという観点から恐らく貴族階級出身者でなければ入隊出来ないのでは無いだろうかという話だった。
―――――――デアランは基本的に貴族にしか発現しないと言われている。
アズサはあまりの急展開に戸惑った。
人生でここまで唐突に何かの判断を突きつけられたことが無かったからだ。
それに部隊の誰もが瞬時に立候補しようとする者がいないのもその戸惑いに拍車をかけた。
ベテランの古参兵に限っては、やはり修羅場を潜っているのもあるのだろう、補充兵として来た新兵たちよりは時間が経つにつれて落ち着きを取り戻している。
確かにチャンスだが、彼らは基本的に最前線への特攻任務が主であるはずだ。
それを考えるとデアランを所有していない一般兵が彼らと行動を共にするということは、ある意味で死傷する確率を格段に上げる。
同じ組織で味方として存在してもらうことには歓声を上げるが、いざ自分が所属するとなるのは御免被る。
その見えない共通意識がこの小隊内を支配していくのが、アズサには若干分かる気がした。
昨日までのこの戦場に来た時からの光景を思い返す。荒れ地に傷ついた兵隊たち、それに唐突に行われる砲撃、あの異常な歓声を上げる前線の兵隊達。思い返すと自身が来てしまった場所に恐れをなす。
だが母や家族のことを考える、そしてこれほどのチャンスが他にあるだろうか。
思考に用いたのは恐らく数秒だった。アズサは右手を指先まで伸ばして上に掲げると真っ直ぐ黒い軍服の少女を見た。
少女はそれを見ると、ほぅ、と言って腕を組み、それから右の唇を上にあげ軽く笑った。
「この部隊は中々に勇敢だな。恐らく他の部隊で同様のことをやってもおそらく志願者は出ないだろう。ガスコイン軍曹、すまなかったな、最初の意見は撤回する」
そう言うと少女は一歩前に出る。
「まさか、2人もこの瞬間に志願者が出るとはな」
アズサは思わず自身の真横に視線を送る。だが自分以外に手を上げている者はいない。
後ろを振り返る。すると1人手を挙げている。
貴族上がりの御坊ちゃま、ジュール・ルクルトも自身と同様に手を挙げていた。
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