第7話 貴族

三日目になるとアズサ達とは別の補充兵が派遣された。

名前はジュール・ルクルトと呼ばれていて貴族出身だった。


アズサは正直、貴族と聞いて胸が躍った。


今まで自身が住んでいた村には貴族なんていう存在は居なかったからだ。

彼らの存在はアズサが生きてきて、少なくとも人づてでしか聞いたことがなかった。


だがジュールは小隊につくなり、お世辞にも良いとは言えない態度で他の隊員に接した。

貴族である僕がこんな場所にきてやったんだ。貴様らは僕を守る使命がある――――


あまりにも貴族然としてその態度(と、でも言えばよいのか)にアズサと他の者達も辟易したが、人生で遠くから見るだけだった貴族と初めて言葉を交わすことになったのだ。

最初の数日は皆それとなくコミュニケーションを図ろうとしたが、どれも上手く言葉を交わせたとは言えず、早々に諦めてしまった。


僕は自分が重たいと思った物を持ったことがないし、持つつもりもないぞ―――――――


どうして道端で寝なければいけないんだ!僕は犬畜生じゃないんだぞ!!


お前たちみたいな平民と、僕が一緒にいるなんて、どうして、、、


ジュールの口から出る言葉と言えばそういったものの羅列だった。


だがそんな中、ガスコイン軍曹だけは諦めずに意思の疎通は試みていた。

部隊ってのは、1人どうしようもないやつがいるせいで全滅することもある。それに、どうしてかどんなやつであっても部下ってのは可愛いもんなのさ。


アズサは命のかかったこの戦場で初めて優しさというものを見た気がした。

なんでも来週に後任の隊長として派遣される予定だった少尉は急病でこちらに向かっている間に離脱してしまったそうだ。

それゆえひとまずは継続してガスコインがE08部隊の小隊長として部隊を率いるとのことだった。


「あいつ貴族出身でこんな前線に飛ばされるってことは何かやったんじゃねえか」

「いや、最近では貴族は跡取りでなければ軒並み戦場に飛ばされるらしい。なんでも国を守ることを身も持って体現させるんだとよ」


最初の数日ジュールがいなくなると皆こんな噂話をした。

貴族はその特異性ゆえに国内でも扱いが一般市民と違う。


【デアラン】と言われる特殊能力を宿した彼らは、昔からその能力を誇示して一般市民を治める統治者として君臨していた。数百年前ではその能力を持ってして直接一般人に害をなす凶行も幾度も生じていたらしく、曽祖父母の時代には恐怖の対象でもあったらしい。


【デアラン】は個々人に寄って作用が違う。あるものは、物を宙に浮かせたり、磁石のように特定の物質を何も使わずに念じただけで引き寄せるなど、超常現象とでも呼ぶ力を発揮する。


力の強い者の中ではそれによって人を死に至らしめたり、害をなすことが可能だ。

太古の昔から存在していたらしく、時の王朝などではこの力が強い者を祭り上げ、恐怖によって政を動かしていた歴史もあるらしい。


だが近年では貴族の間でも【デアラン】の発現の力が弱まっているという噂で、一般人の中でも昔ほどの感情的な畏怖は薄れているということだった。


それに拍車をかけるように、数年前の政権交代、いわゆる軍部のクーデターによって特権的な権威も実質発言権のない名誉職的な立場に失墜してしまった。


特権階級を剥奪された彼らは、仮初の名誉職を傘にしてはいるものの、扱いは一般人と同様なので、前政権であれば考えられもしない、戦場に駆り出されることとなったのである。


それにしても、こんな前線に駆り出されるのは異例中の異例ということだった。

ジュールは小隊に赴任したのち、各々のワッペンを見て特殊技能を持っているアズサに目をつけた。

貴様は他と違うのだろう、であれば僕に付き従う資格がある、許可するゆえ手足となれ、と命令口調で言われた。


アズサは丁重に断ったつもりだったが、一般人がなんたることだと途端に怒り始め、

それ以来目の敵にされている。

ただ目の敵とは言うものの、何か害を加えられることもない。彼自身自分の手で他人に何か害意を向けたことがないのだ。


ただ事あるごとに私は貴様とは違うという旨の発言を繰り返してはくる。

ミストリなどが、あいつの言うことはあまり気にするなよ、お貴族様の考えることは俺たちには分からん、と励ましてくれた。


ディープオブエースが通り過ぎた日、司令部は夜間に丘の先の市街地に侵攻。

危険だと言われている夜間での侵攻作戦は多数の死傷者を出しながらもボルビアの勝利に終わり、市街地を占領した。敵地への橋頭堡となる重大な拠点を手に入れたことで、次は敵地第二の都市ブランビリアに繋がる橋の確保に進むという。


塹壕の中で寝ると、様々な振動と爆音、それに隣を走る兵士たちの息遣い、いつ起こされるか分からないという緊張感の中で中々身体が休まることはない。


塹壕の中はあまり風は吹かないが周囲の土や砂は熱を溜め込むことはなく、水捌けの悪い部分からは冷気が常に流れ出る。体を横にすると足の指先から徐々に冷たくなり、朝起きる頃には腰を多少捻るだけでも痛みを覚えるほどに冷たさが身に染みる。

起きた時は正直身体の節々の痛みで起きたようなものだった。

同じ小隊に配属された残りの三人も同様であるらしく、ミストリに至ってはここに到着した時のあの綺麗なベッドでいつ寝れるのやら、とぼやいていた。


朝の点呼の後、ガスコイン軍曹から小隊の今後の行動の指針が発表された。

どうやら占領した市街地の周囲に敵の残党が展開しており、既に塹壕の構築に入っているとのことらしい。


それに伴い、こちらも敵の塹壕に対するように塹壕を展開、占領した市街地に出来るだけ被害を与えない様に防衛線を展開するとのことだ。


噂では北方司令部から応援が来るらしく、今度は昨日とは違う「エース」が来るのではないかと言われている。


ガスコインが一通り戦線の現状を語ると、まさに神妙な面持ちで咳払いをした。新兵たちは気づかなかったが、古参の何人かは目を伏せこれからくるであろう付いてない状況に身構えた。


「我々F中隊はその塹壕を掘りにいく。まさに最前線への栄転だ。国のために力添えが出来るぞ。そうだな―――――新兵ども」


急に話題を振られ、昨日から戦場に入ったアズサは咄嗟のことに反応出来ないでいた。他の三人も同様らしく誰も何も言えないでいる。古参兵の失笑が漏れる。


ガスコインもそれに倣うように笑った。

この事態で笑えるほど場数を自分らは踏んでいない―――――、アズサは内心悪態をついたが、まだ何もかも現実感がない。


「これから出発だ。荷物をまとめろ―――。と言ってもまとめるほどの物もないか。15分後に出発する。それまでに水でも汲んでおけ」


ガスコインはそう告げると、俺は中隊長に詳しい配置を確認にいく、と言っていなくなった。

15分の間、アズサ荷物の確認をすると同時に、同じ小隊の仲間のことを考えた。


自身とミストリ以外の新兵の2人は、ロック村出身のレートロックにギモンだ。

2人とも同じ村の出身で赤毛にそばかす、身長は2人とも170cmほどだがギモンは肥満体型だが彼曰く戦場に向かう列車の中で5キロは痩せたと嘯いている。

ロートレックはお調子者で時間があれば近場の誰かとおしゃべりしていて、当初は煩くも感じたが、この塹壕の中ではやたらと頼もしくも感じる。


古参の兵は6人で、自己紹介のときに名前を言ったのは自分ら新兵のみで、まだ誰の名前も聞けていなかった。


ガスコインが戻ってきて、皆揃ったかでは出発する、という掛け声とともに一列縦隊で前に進む。自分たちの小隊の前にも別の小隊が列を成して進んでいて、どうやらF中隊の様だった。


他にも自分たちのE中隊、G中隊の面々が参加するらしく、所々に背中にEやGの文字が見てとれた。


市街地に到着するまでは徒歩で20分の距離らしい。当初はその短い距離のためにこんなにも塹壕を掘って争っていたのかと驚いたが、戦場に来た当初に眼前に広がった丘を越えるとすぐに眼下に街が広がっていて、狭い陣取り合戦で何人死んだのかと、暗澹たる気分になった。


丘の頂上からは敵の陣地らしい物も見てとれ、敵国の旗カムデン王国を象徴するクローバーの紋章が至るとこにたなびいている。


市街地に着くと、既にそれなりの数の兵士が街の復旧作業にあたっていて活気がない訳ではなかった。だが逃げ遅れた住民は一様に混乱している様相だった。


一夜にして占領されるとは思っていなかったのだろう、広場に集められた住人は皆、殺さないで欲しいと懇願していた。不安に怯える住人ほど危険なものはないのだと、村で唯一過去の戦争に参加した祖父が言っているのを思い出した。


特に子供たちの反応はある意味で素直だ。皆どうされるのか分からない恐怖に怯えている。弱い子供は必ずなく。そして子供の泣き声があたり一面に広がると、やたらとその場がヒステリックになるのだ。アズサは住民が集められた広場を通り過ぎるとき、思わず顔が強張るのを感じた。


塹壕建設地に着くと、先程の丘からの風景とは一変して、数百メートルを挟んで敵陣地と相対していて、敵国の脅威なのか圧力なのかを間近に感じ始めた。


「俺らが穴を掘っているときに攻撃されたら一巻の終わりだな」


皆が心の中で思っていることをミストリは平気で口にする。それに呼応してレートロックが、大丈夫だ、墓はこれから自分たちで掘るんだからな、と笑いながら答える。

現地に着くと既に昨日から侵攻していたという先遣隊が基礎部分を掘っていて、彼らの部隊と交代となった。


「銃を握らずにスコップで穴掘りかよ。敵は目前だっていうのにいいのかね」


ギモンは言いながらスコップにたんまりと土をのせ、塹壕の外に掻き出していく。レートロック曰く体力は村1番だったらしく、こういった土木作業に慣れている感じがある。村では一家代々大工をしていて、戦争に来なければ来年には自身で家を建てていたのだという。だが兄妹も多く、後継は兄が上に2人いるため自分は戦争で出世したいと願ったのだそうだ。


すると古参の兵の1人、ファルコと呼ばれる一等兵長が寄ってきて、これはカモフラージュだと言った。


「これは敵に見せるためのカモフラージュだよ。おそらく味方の本体は別のところにあって数日中に本格的な攻勢を仕掛けるだろう」

「ちょっと待って下さい。それならなんですぐにやらないんですか。エースが来ている今が攻め時でしょう。敵も陣地を失って浮き足だってる」


ギモンの言うことも最もだとアズサは思った。


「それは違う、正直市街戦はあの丘を取った時点でほぼ決着がついていた。民間人の犠牲を考えなきゃ占領するのは容易かったのさ。単純に丘の上から市街に向けて無差別に攻撃をすればいいんだからな。だが上層部はそれをせずにエースを投入して夜間に危険な作戦を実行した。おそらく、別の思惑があったんだろう」


ファルコは手を休めずに答える。


「おそらく敵も俺たちがあの丘を取った時点で、ある程度市街からの撤退を視野に入れていただろう。あの敵陣地の構築スピードは早過ぎる」

敵陣地に新兵の目線が集まる。


「俺たちも間髪入れずに攻められれば良かったが、戦線が多少縦に伸びすぎてしまうのを作戦本部は嫌ったんだろう。着実に陣地を警護しながら進んだのさ。ただそれで敵の撤退を許してしまった。ま、今回の司令官様は貴族出身だからな、成功よりも失敗しない確実な方法を選んだってことさ。敵さんも危険な夜間襲撃を実行してくるとは思わなかったんだろうな」


ファルコは丁寧でお節介だねぇ、と他の古参兵からの冷やかしが入る。


――――まあこっちはエースを投入していたから万が一にも失敗はあり得なかったろうがな。


ガスコインがこちらに寄ってきて合いの手を入れる。


「俺たちがやっているのは敵を油断させるためのフェイクさ。こっちも中長期戦をすると見せておいて数日中に突撃をかます。おそらく、今度もエースが投入されるだろう。敵さんも可哀想にな」


――――だから俺たちはこの使わない塹壕を掘っている内に敵の本格的攻勢がないことを祈るのみだな。ファルコが告げると、どこからか、お前は深刻すぎんだよっ、と言って笑いが起こった。

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