レシピ7 幻のサトウキビ
僕の家族は、旅行が好きだった。
その執着たるや、人生の一部と言っても良かった。
父はいつも、有給休暇を目一杯使って、僕ら家族を旅に連れて行ってくれたものだ。
国内外、様々な土地を旅したが、僕個人にとって最も印象深いのは、沖縄旅行だろうか。
僕が高二で、兄が大学二年生の春だった。
那覇空港から外に出ると、本州とは桁違いの日光に見舞われた事を覚えている。
けれどそれは嫌な空気では無く、暑いながらもカラッとした涼風とさえ言えた。
圧倒的スケールの、美ら海水族館に行った。
エメラルドグリーンとターコイズブルーが複雑に入り混じった水槽の中を、鯨や鮫が飛び交っていた。
無数の小型魚が、隊列を為して過り去る。
アオブダイも居た。
瘤のように張り出した額こそ無骨だが、その体色は美しい蒼に満たされていた。
フグのテトロドトキシンをも凌ぐ、パリトキシンと言う猛毒の保有者でもある。
とても旨そうだが、水族館の物を獲って食べる訳にもいかない。内心で指を咥えながら、優雅に泳ぎ去る毒魚を見送った。
サトウキビの収穫体験もやった。
背中にのし掛かる陽気の下、自分より長身のサトウキビを地道に倒す。鎌で余計な葉を削ぎ落す作業もさせて貰った。
収穫したサトウキビを齧った。
茎から滲み出る砂糖水は、野生のスイーツとも言うべき、深い甘味を感じた。
兄と肩を並べて、甘い汁を吸う。
それこそ”太陽の笑み”で破顔する僕ら兄弟を、両親は愛おしそうに見ていた。
本当に、愛おしそうに。
個人的には、このサトウキビ収穫体験が、この沖縄旅行で最も有意義に感じられた。
まるで、宝探しのようだった。
ある海岸林を横目に歩いていた時、それを見付けた。
いかにも熱帯だか亜熱帯に生えているような、常緑樹。そこに、林檎とも熟したマンゴーとも思える、卵型の実がぶら下がっていた。
それは、ミフクラギと言う実だった。
僕は熟したそれを手に取ると、一息にかぶり付いて、「洲原さん、その実を食べた感想は結構です!」
慌てた男の声が意識に割り込むと、沖縄の情景が消し飛んだ。
「恐らく、その実を食べた後に病院へ行ったはずです。そこから何があったのかを教えてください」
そう、先生の言う通り。ミフクラギの実を食べた僕は、酷い眩暈と不整脈を起こした挙げ句、病院送りになった。一時、心停止を引き起こして生死の境を彷徨ったらしい。
ミフクラギとは、沖縄の方言で"目の膨らむ木"と呼ばれる。この木に触れた手で目を擦ると、酷く腫れ上がる所から来た通称だ。
実、種、葉、根、樹皮に至るまで、全体これ毒乳液の貯蔵庫とも言うべき植物である。
目が腫れると言うのはまだ生易しい表現であり、実際には失明した事例もあるそうだ。
実を食べれば、ケルベリンと言うアルカロイド系の配糖体が心臓に作用し、心拍を乱す。
ある意味で、青酸カリ並に危険な毒物だった。
父には、こっ酷く怒られた。
ミフクラギの周辺には、これでもかと"触れるな""まして食うな"の警告看板が立っており、それにも関わらず、僕はむざむざその実を口にしたわけである。怒られるのは当然だ。
だがそれ以上に、
これが一度目では無い事が、父の激昂に油を差していた。
以前、これも家族旅行でスペインに行った時、"死の林檎"ことマンチニールを口にしてぶっ倒れた事があるからだ。
このマンチニールも、ミフクラギ同様に木の根本から葉の先までがアルカロイド系の毒に満ちた植物だった。
似たような植物の拾い食いで再び中毒を起こした僕の愚が、父の怒りに益々の拍車を掛けたのは間違いない。
自殺か、と詰め寄る両親。
これ以上、隠し通せない。
僕は、その数年で現れた、僕の悪癖をカミングアウトする事にした。
自殺するような悲嘆は一切無い。僕はちゃんと、僕自身の事が大事だ。
その前提を根気強く説明して、朧気にでも理解を得られた頃に、この毒食の嗜好を打ち明けた。
理屈の上で、理解は頂けたと思う。
だが、この時点ではまだ、両親も兄も半信半疑であったように思われた。
帰宅してから一番、僕は、密かに持ち帰っていたサトウキビの一本を齧った
沖縄で口にしたそれとは文字通り一味違う、甘酒のような豊潤さが口一杯に広がった。
茎の断面を見やれば、美しいまでの赤色が、芯の様に浮かんでいた。
これこそが、この沖縄旅行で僕が最も楽しみにしていた品。
サトウキビ畑でこのお宝に巡り合えた時は、小躍りしたい程にテンションが上がったものだ。
それを啜ってから一分程度。
症状はすぐさま現れた。
その場で卒倒、痙攣、呼吸不全。
救急車は予め呼んでおいたので、搬送はスムーズに行った。
肺水腫。多臓器不全。一歩間違えれば、死んでいた。
サトウキビが孕んでいた、ルビーのごとき美色。その正体は、カビである。
このカビは、極めて強力な神経毒を持っており、中枢神経系を食い荒らす。
中国では、古来よりこんな言い伝えがある。
――清明のサトウキビは、蛇以上の毒である。
偶然、学校の図書室でこれに関する文献を見付けて以降、この幻のサトウキビが、喉から手が出る程欲しくなった。
次の旅行先を何処にするかの家族会議で、沖縄を強く推したのも、これが欲しいが為だった。
一命を取り留めた僕に対して、父はもう、何も言わなかった。
そして、それから洲原家は、家族旅行をしなくなった。
原因は当然、僕だろう。いつ毒を拾い食いするか分からない人間を連れて、遠出など出来る筈も無い。
僕の性は、家族から生き甲斐をごっそり奪ってしまった。
けれど僕は、毒を食わずにはおれない。
……大学三年の頃。進路を定める時期に差し掛かった時。
兄が言った。
「そろそろ、空気読もうぜ」
それで僕の行く末は決まった。
僕の家族は、有給を目一杯消費してでも旅をしたい、旅行中毒だった。
僕の悪食は、家族の希望と競合していた。
僕達は、家族としてマッチングしなかったのだ。
だから僕達は、別々に生きる事を選んだ。
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