レシピ5 焼き肉〈前編〉

 フグ毒とシガテラ毒、ついでにウナギの血清毒と言うちゃんぽんをしでかした僕の体は、治癒に半年近くを要した。

 今でもあちこち後遺症はあるし、何よりも記憶が戻る兆しは無い。

 主治医の松原先生は、僕を一生入院させて置きたかったらしい。退院は、ほとんど逃亡に近い有り様だった。

 良い病院だったけど、もうここは使えないと思った。引っ越しを考えなければならない気がした。

 入院して間もない頃、警察が僕の身元を割り出して家族の所に連れて行ってくれたが、どうやら僕と親兄弟との関係はあまり良好では無かったらしい。

 ついに、僕を保護すると言う言葉を一つも聞けないまま、別れた。

 多分、僕は実家に戻らない方が良いのだろう。

 

 とりあえず、自宅であるらしい場所に戻って見た。

 見慣れた風景を目にする事で、記憶が戻る呼び水になるか、と期待したが、駄目だった。

 そして幸か不幸か、僕は投資で生計を立てていたらしく、会社勤めをしていなかったらしい。

 つまり、迷惑を掛けた仲間が居ないと同時に、手懸りとなる仲間も居ないと言う事だ。

 持っていたスマホを見るに、LINEにはそれなりに知人が登録されていた。だが、それぞれと僕との関係性が分からないとなると、迂闊に話し掛ける事も出来ない。……と言うのも建前で”面倒臭い”と言うのが本音だ。

 ……パソコンを触ってみると、何となく手が仕事を覚えている。ソフトの操作も、相場の見方も、自ずと理解できる。

 これで食うには困らないだろうけど……仕事が刺激になって記憶が戻る事も無いようだ。

 しかし、何だろう? 自宅だと言うのに、ここに居ると気持ちが安らがない。何か、危険とも空虚ともつかない、ネガティブな感覚が沸き上がって来る。

 気ままな一人暮らしだったろうに、どうしてこんな気持ちになるのだろうか。

 とにもかくにも、外の空気が吸いたくなって来た。

 

 自宅の場所を見失わないよう、細心の注意を払いながら、知らない町を歩く。

 記憶には陳述的記憶と、手続き記憶と言うものが存在する。

 陳述的記憶は論理的なもので、手続き記憶は体感的なもの。

 論理的な記憶がまっさらになった僕が、こうして歩く事が出来るのは、”歩行”と言う記憶が手続き記憶として根付いているからだ。さもなくば、記憶喪失者は皆、息を忘れて死んでしまうだろう。

 歩けど歩けど、この町が分からない。手続き記憶として焼き付く程に、外を歩いた事が無いのだろう。

 と言う事は、僕はほぼ引き籠って生活していたのかも知れない。

 このままでは、記憶を取り戻す事は絶望的に思える。

 だのに何故だろう。焦りも悲哀も全く感じられないのは。

 恐らく、記憶を失う前の僕は、それ程幸福では無かった。これまでの断片的な情報から、それが分かる。

 その時に培った本能が、僕に思い出す事を拒ませているのだろうか。

 このまま、全くの別人として生きた方が、幸せだと。

 今、そこを深く考えても仕方が無い気がした。それよりも腹が減った。

 前方に、割合賑やかなアーケードを発見。既に手打ちうどん屋やイタリアンの店、バル等が見える。

 何が食べたいのか分からないまま、その雑踏に入った。

 そして、煤けたような外観の焼肉屋が目に留まった。一見して汚れた見た目は、しかし、昭和からこの令和までを生き抜いた強者の風格だ。

 こう言う店が旨いと言う事を、僕は本能で悟っているようだ。ここにしよう。

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