レシピ4 毒海鮮の盛り合せ
それから三年、彼女は生きた。
僕が毒を食らわないよう、目を光らせて。
あれからも僕と彼女の攻防は幾度と無く続いた。彼女の隙を突いて、見事、毒グルメを口にして見せた事も一度や二度では無い。
それだけでは無い。最初の一年、僕らは恋人らしいイベントを一通りこなした。
ショッピング、映画、水族館、海外旅行……。
彼女の身動きが難しくなった二年目以降の事は……今は語りたくない。
彼女がベッドに伏した頃から、僕はほとんど毒を口にしていなかった。
多分、いつ喪うか分からない、彼女との時間が貴重過ぎて、そんな暇が無かったのだろう。
けれど、今は。
久々に遠出をした。助手席に誰も居ないレジェンドは、無駄に広く感じられた。
目的の物を一通り入手して、家に帰る。
ドクウツボ、オニカマス、
キンシバイ、ムラサキガイ、ウナギ。
これらを手早く捌いて、螺旋を描くように盛り付けてゆく。
ごく薄く切った白身は、皿の模様が透けて見える。からし色の貝肉が、鈍い艶を孕んでいる。
こうして見ると、真っ当な鮮魚盛合せと見分けが付かない。これを出せば、要人も難無く暗殺出来る気すらする。
名付けるなら、毒海鮮の盛り合せ、と言う所か。
当然、一度にこれだけの種類を食べるのは初めてだ。
今度ばかりは、生還は難しいだろう。
だが、今の僕にはもう、それを止める枷は存在しない。ウナギの刺身を取ると、ポン酢ともみじおろしに付けて、すんなりと口に運んだ。
あっさりとして、脂が後からやってくる。弾力のある歯応えだ。
意外に思われるかも知れないが、生のウナギには毒がある。
ウナギの血液中には"イクチオヘモトキシン"と言う毒が含まれている。
適量を摂取する分には、ほぼ危険は無い。だが、触れた時の被害がそれなりにある。
目や傷口、口内に触れると、酷い炎症を引き起こすらしい。
完全に血抜きをしないと、生食の安全性は保障されない。だからウナギは滅多に生食されないのだ。
今現在、症状らしい症状は感じられないが……もう、そんな事はどうでも良かった。
次は貝に手を付ける。
ムラサキガイはムール貝とも言われ、これも市場に出ている物は安全だ。
しかし、全く管理されていない物は、餌のプランクトンから麻痺毒やら下痢毒等を蓄積する。わざわざそうした個体を探して採って来るのには骨が折れた。
キンシバイ貝は、その見た目からして毒々しい。からし色の身に、どす黒い斑点がぽつぽつと付いている。
保有する毒は、テトロドトキシン。フグ毒でお馴染みの奴だ。その危険性は、今更説明するまでも無いだろう。
ムラサキガイにはレモン汁をかけて、頂く。牡蠣のような感覚で食べられる。味も、あっさりとしていて、身が柔らかい。
キンシバイの方は、順当に磯臭く、順当にコリコリとした歯応えだ。
次、ドクウツボ。名前からして、清清しいまでの毒物だ。
身が引き締まっていて、歯応えがある。尚且つ、脂が乗っていて濃厚だ。正直、ウナギと被る。生物学的にも近いので、仕方がないが。
口の中をリセットすべく、冷酒のお猪口を手に取――ろうとして、炙られるような痛みが指を焼く! 持ってられなくて、酒を盛大にぶちまけてしまった。
ああ、もうシガテラ毒が神経に回って来たようだ。
冷たい物に触れると、まるでドライアイスを直に握り締めたかのような激痛に苛まれる。
ドライアイス・センセーションと言う奴だ。
眩暈吐き気不整脈口の中の灼熱感過呼吸。
いよいよ僕の体がボロボロになって来た。
だが まだ オニカマス こいつもシガテラ毒 駄目押しシガテラ毒 もう何が何だか分からな 僕と言う存在 ほどけて これが 消えると言う事 死ぬ、と言う事なのだろうか
僕は、
清蓮会中央病院。ここの内科医・松原先生は、かなりの名医と評判だ。
「生きているのが不思議な程でした」
少し小太りな彼は、僕を責めるように言う。
確かに僕の不注意もあったろうが、ここまで怒らなくても良くないか?
「以前のハシリドコロと言い、あなた、わざとやってませんか? そうでなければ、あんな毒物のフルコースを食べた理由が分からない」
「僕には……良く分かりません」
松原先生は、心底疲れた様子で天井を仰いだ。
「そうでしょうな。所で、前回付き添われていた女性は、一緒では無いのですか」
弛んだ瞼の下から、刺すような眼差しが覗く。けれど、
「それも、覚えてません」
僕には、記憶が無かった。
どうも僕は、食べてはいけない海鮮類をしこたま食べてしまって、倒れたらしい。
そして、たまたま郵便配達の人が僕を見付けてくれて、この病院に運び込まれたと言う。
「十中八九、ムラサキガイの貝毒が原因でしょうな」
松原先生が 、溜息混じりに言った。
「ある種の珪藻は、ドーモイ酸と呼ばれる毒アミノ酸を生成します。ムラサキガイがそれを食べた結果、ドーモイ酸はその身に蓄積される。
ヒトがこのドーモイ酸を摂取した事による神経症状は、記憶喪失性貝中毒とも呼ばれます。今のあなたが、まさにそれだ。廃人にならなかっただけでも、奇跡的でしょう」
どうやら僕は、毒の溜まった貝のせいで記憶喪失になったらしい。
どうしてそんな事をしたのか、見当も付かない。
よくよく先生の話を聞くと、僕は以前にも食中毒を起こして、この病院に担ぎ込まれたらしい。
そして、前回ここに運び込まれた時は、若い女性が一緒に居たらしい。
その人が、何かを知っているのだろうか。
僕に、毒を盛った犯人かも知れない?
本当に、何も思い出せない。
これから、どうすれば良いのだろう。
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