フグ〈後編〉

「わたし、あなたのその悪食癖について理解しようと思ったんですよ。ろくに知りもしないのに、最初から否定してかかるのもダメだから」

「そうか、理解したか」

「たしかに、その人が何に生を感じるかは、千差万別です。他人に取り上げる権利なんてないのでしょう。

 でも危険な食べ物を食べるのは、やっぱりダメです。本人にその気はなくても、命を粗末にしていることに変わりないから。

 わたしは、あなたにそんな風になってほしくない」

「そうかもな。けれど、僕から毒グルメを取り上げたら、生きる甲斐が無い」

「だから、こういう、元々毒だったものを食べられるようにしたものなら……安全に、グルメを楽しめるかなって」

 成る程。だとしたら、彼女の気遣いは徒労だった。

 けれど。

 ……この状況自体は悪くない。その気持ちがますます強くなるのを感じる。

 ふと、一つの疑問が。

成山なりやまさん。いつ、長野に帰る気だ?」

 長野は恐らく、彼女の故郷だろう。休職中と言う事は、そこで働いてもいた筈だ。

 何時までも、僕を見張り続けるなど、出来まい。

 彼女はただ、困ったように笑って、

「洲原さんの悪食癖がなおるまで、かな?」

「では、一生帰れないな」

 冗談のようにしか思えない言に対して、僕も冗談を返してやった。

 なのに。

 少しずつ、彼女の面差しが沈痛なものに変わっているのは何故なのか。

「帰れないなら、それでも」

 ふむ。

 何となく、そう答える気はした。どうしてか、安堵を感じた。

 ならば。

「なら、君に男女の付き合いを申し込んでも良いか」

「――」

「長野に帰らず、僕と共に居てくれ」

 我ながら酷い申し出もあったものだ。

 同じ屋根の下で暮らしているとは言え、それで男女の仲に進もうなど、簡単に言われても、と普通なら思うだろう。

 ただ、どう言う訳か、ここで彼女と離れたくない自分が居る。恋愛と言うお題目にしがみついてでも。

「うれしいです」

 今にも泣きそうな彼女の笑顔が、何故か痛々しく見えた。

「けれど……それは出来ません」

 やはり、そうか。

 残念だが、まあ、切り替えて行、

 

「わたし……たぶん、もう長くないんです。五年、生きるのはむずかしいって」

 

 ――。

 いま、かのじょは、なんといった?

 もじれつとして、りかいはできるが、いみがしょうかできない。

 

「すい臓がん。むずかしい場所にくっついてて、切除もムリだって」

 

 聞いた事が、ある。

 膵臓癌の症状として。食欲不振は元より、消化酵素の分泌低下や十二指腸への浸潤によって栄養が採れなくなる。結果、著しい体重減少を引き起こす。

 彼女はほっそりとした印象があったが、こうして見ると、確かにやつれているようにも見えた。

「洲原さんと過ごしたこの数週間、なんだかんだで楽しかった。

はじめて誰かに、そばにいてほしいと言ってもらえて、うれしかった」

 側に居て欲しい、とまで言ったのか? 僕は。

「死ぬ前に、誰かの糧になりたかった。そんな時、ベニテングダケをどっさり抱えたあなたが通りかかりました。

 だから……ごめんなさい、そんなことで、」

「なら、僕が君の死に場所になろう」

 食い気味に被せてやった。彼女は、意表を突かれて間抜けな顔になった。良い気味だ。

「君の望み通り、それまで僕は死なない」

 とうとう、彼女の双眸から涙が膨れ上がって、筋となった。

 こけた頬を伝ったそれは、水滴の珠となって落ちては消えた。

「もう食べない、とは言ってくれないんですね」

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