山菜フルコース〈後編〉
清蓮会中央病院。ここの内科医・松原先生は、かなりの名医と評判だ。
「ハシリドコロによる中毒症状です」
少し小太りな彼は、僕と成山さんを責めるような目で告げる。
「外見がふきのとうに似ている為、誤って食べてしまうケースが多く見られます。
この毒草は、副交感神経を麻痺させ、せん妄・幻覚・錯乱・失見当識をもたらします」
ああ、知ってるさ。それくらい。
食べた者が狂ったように走り回る、と言う意味から"ハシリドコロ"と名付けられた。
「あと少し処置が遅れていたなら、死んでいたかも知れません。生半可な知識で山菜を採るのは、控えて頂きたい」
いや、分かった上でハシリドコロを採っていたんだけど。言って理解されるとも思えないので、黙っておいた。
ああ、これは目を付けられたかな。次、ここに運び込まれたら確実にバレる。
引っ越しの頃合いかも知れない。
とりあえず退院。
奇妙な同居人の女は、未だ黙ってついて来る。
はぁ……嫌な溜め息も出るものだ。
「もう良いだろう。これで分かった筈だ」
彼女の指には包帯が巻かれている。恐らく、ハシリドコロでラリった僕を押さえようとして負った怪我だ。
「君の目を盗んで、ふきのとう味噌を、僕が作ったハシリドコロ味噌に摩り替えておいた。僕は、こんな奴だ」
彼女が心を込めて作ってくれたふきのとう味噌を、僕はそんな風に無下にした。流石に心が傷む工作ではあったが、これ以上僕の生き甲斐を邪魔されない為だ。
それに。
「僕の近くに居たら、君も危険だ。もう、説得は諦めるんだな」
所詮、他人が他人の領分に踏み込む事は出来ない。少なくとも僕は、彼女がうちの毒食材を誤飲した場合に責任を取れない。
だが。
彼女は僕の言葉にまるで耳を貸さず。
もたれ掛かるような勢いで、そのか細い両手で、僕の胸倉を握り締めて来た。
痛い。何をするんだ。痣になるだろう。
「もう、ダメかと思った、死んだかと思った!」
子供のように震えながら、僕の胸に顔を埋めて来る。
何だ? これは。
「もう、帰ってこないかって……」
――。
――学生の頃、サークル仲間に言われた言葉がある。
――お前が死んでも、誰も悲しまないよな。
全くその通りの事実なので、別段腹を立てる事も無かった。
僕は、他人の為に動く事を一切して来なかった。彼のそれは、正当な評価と言えよう。
死んで悲しまれる程に大切な存在と言うのは、その他不特定多数の存在があって成り立つ。誰かの特別になりたければ、相対的に存在を示すべきであり、その一切を放棄して生きて来た僕では、死を悼まれる事は無い。
ただ、こうした他者の領分へ無思慮に踏み込む人種は、後々マイナスになると思ったので、その男とはそれっきり、一切のコンタクトを断ったのだが。
ただ、彼は、僕の人生における事実をわかりやすく言語化してくれた。その筈、だったが。
録に互いを知らない間柄の女が、僕が死に掛けた事で泣きじゃくっている。
一つの定説を否定された。そんな気がする。
これは何か、重要な変化の予兆なのか。
僕は、
「済まないが、これから暫く、共に暮らしてくれ」
己が内の疑問も処理しきれないまま、上滑りした思考のまま、そんな事を言ってしまっていた。
彼女が、勢いよく顔を離して、
「あったり前です! あなた、絶対野放ししたらダメなやつです!」
一つの契約を締結した。
僕は何をしているのか。わざわざ、僕の生き甲斐を妨害しようとする者と共生しようとは。それは、何とも自滅的な行為に思えた。
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