ベニテングダケのバターソテー〈後編〉
「それを知っていて、どうしてそのまま食べたんですか!?」
長沢記念病院を出て一番、その女性は僕を糾弾した。外とは言え病院だ。もう少し静かにするべきでは?
「静かにしろっていうほうがムリです」
ゆるふわなセミロングの茶髪。ほのかに幼さの残る顔立ち。
ベニテングダケの幻覚だと思っていた彼女が、ここに居る。
せいさんかり……いや、何でもない。ちょっと思っただけだ、忘れてくれ。
彼女は、ベニテングダケで昏倒した僕を助けてくれた人だ。初対面。全くどこの誰かもわからない。
「説明してもらえますか? わかっていて毒キノコを食べたんですよね」
「ベニテングダケは、毒キノコのうちに入らん。君は、フグ料理を毒物と言うのかね」
「毒抜きせずに食べるなら、毒物ですっ!」
「ふむ。まあ確かに、僕は望んで毒を食った」
もともと色白な彼女の肌が、ますます色を失い、静脈の青色がうすら浮かぶ。青ざめるとは、こう言う事を指すのか。
「……自殺するつもり、だったとか?」
しかし、その愛らしい顔は、蒼白になりながらも、怒りの熱を帯びているようだ。
僕が何をしたって言うんだ。
とにかく、正直に答えないと。
「死ぬつもりは毛頭無い」
「でも、わかっていて毒を食べた」
「その通り」
「矛盾してません?」
「してない。死なずに、それでいて、毒キノコを味わうつもりだった」
彼女は、いよいよ目眩を覚えたようだ。こんな単純な話で、何をそんなに悩むのか。
「まさかとは思いますが……興味本意ですか? ベニテングダケは、旨味成分が飛び抜けて豊富だと言いますし」
「興味本意? それでわざわざ長野まで足を伸ばすものか」
「本気で、味わおうとした?」
「近いが、やや間違いだ」
彼女は、やや泣きの入った顔で降参を示した。
「もう、わけわかりません」
なるほど、一から十までを丁寧に説明しないと駄目なタイプか。嘆かわしい。
「僕が危険な食べ物を食べるのは、必要な事だからだ。
旨い物を食べる。確かにそれも大事な動機ではある。
食べると言う事は、自分の命を明日に繋ぐ事。生きる意思そのものだ」
「それは、そうですね。食べているものが、無毒だったならですけど」
「一方で。生きる実感を最も得られる瞬間とは何だと思う? 僕は危険から"生還"した瞬間だと考える。
凄惨な事故からの生還。癌からの生還。襲い来る殺人犯からの生還。
それを乗り越えた瞬間、人は最も、自分の命に感謝する事が出来る。
日常の惰性の中で麻痺した、生きている事への感謝だ。
そして。
旨いものを食う喜びと、生還の喜び。この二つの相乗効果を得られるのは、僕のこの"毒食グルメ"以外には無い」
だから、僕は毒グルメを食べる。これで解って貰えたろうか。
「わ、わ、わかりませんっ! 全然!」
そんな馬鹿な。
これ以上、どうわかりやすく説明しろと言うのか?
まあ、理解を強制する気はない。その辺の価値観は人それぞれだし、押し付けてはならない。
だが、それを言うなら、
「そもそも何故、僕の趣味にそこまで構う? 助けて貰った事には感謝するが、所詮はすれ違っただけの他人だろう」
彼女の方こそよほど異常だ。
ベニテングダケを大量に採っていた僕を偶然見付けるや、ずっと後をつけてきた。
そして、僕が中毒を引き起こしたタイミングで、ガラス戸をぶち破ってまで助けてくれた。
「あんな大量のベニテングダケ、何に使われるかわかったものじゃありませんでしたから」
「そんな奴は、誰かに毒を盛るとでも?」
「どちらかといえば、自分で食べるほうを危惧してました。そしてそれは、正解だったわけですが」
「だから、そんな事で長野から追い掛けて来るか? 普通」
「追いかけますよ普通」
駄目だ、彼女には、自分の行動が異常だと言う自覚が無い。
やれやれ、厄介な手合に捕まったものだ。
「とにかく、助けてくれて有り難う。だが、僕の人生を他人にとやかく言われる筋合いも無い。これでもう、勘弁してくれないか」
頭ひとつ背の低い彼女は、挑むように僕を見上げて、
「これからも、毒キノコを食べるつもりですか?」
そんな馬鹿な。
僕は憮然として否定の姿勢を見せた。
彼女は、少しほっとしたようで、まだ疑い深く僕を睨んでいる。
だから、
「何もキノコばかりでは無い」
それを告げた。
僕の毒グルメがキノコしか無いと思われるのは、甚だ心外だからだ。
だが僕の返答は、ますます火に油を注いだらしい。いい加減、彼女の頬が薄桃色に上気して来てきて、
「決めました、わたし、あなたを見張ることにしますから!」
意味のわからない事を宣言してきた。
何か、悪い物でも食ったのか?
「あなたのお宅にしばらくお邪魔して、食べるものを監督させてもらいます」
頭が痛くなってきた……いくらなんでもアグレッシブに過ぎる。
だが、どう抗弁してもまるで聞く耳を持ってくれない。
なし崩し的に、僕は初対面の女と同居する事になった。意味がわからない。
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