毒食グルメ
聖竜の介
レシピ1 ベニテングダケのバターソテー〈前編〉
突然だけど、今からベニテングダケを食べようと思う。毒キノコの代表格として名高い、あれだ。
まず、調達からして大変だった。
ベニテングダケは、高原など、比較的標高の高い場所に生えている。
その為、わざわざ長野の山地に足を運ぶ羽目になった。どうしてこんな事に。
そもそも、人工栽培出来ない時点で不便だ。食べる側の都合も考えて欲しいと思う。
毒の無いタマゴダケと間違えたりしたら、苦労が水の泡だ。ネットと図鑑を注意深く見て、毒キノコだけを採取した。
そして今、我が家のキッチンには、山盛りのベニテングダケがある。
鮮やかな赤肉に白いイボがびっしりと生えて、斑点を作っている。明らかに、食べてはいけないと警告している姿だ。
これを、どう調理するか。
素人が迂闊に調理すれば、毒が抜けてしまう危険性すらある。
スマホで慎重に調べた。
結果、バターソテーが美味しく、毒も保たれる事がわかった。
調理は至ってシンプル。
フライパンに、ふんだんな量のバターを熱する。甘く濃厚な香りと共に溶けたら、縦に切ったベニテングダケを投入。
塩胡椒をさっと振り、表面に焦げ目がついてしんなりするまで炒める。
最後に醤油を少々加えれば、何とも言えない、甘香ばしい香りとともに完成である。
さて、冷めてしまわないうちに食べなければ。
白ワインを冷蔵庫から取り出す手間さえも惜しく感じられた。
今、僕の目の前にはベニテングダケのバターソテーが鎮座している。
肉厚のキノコが、薄ら琥珀色を纏っている。ベニテングダケの特長ともされる、斑点模様はすっかり落ちてしまい、艶やかな紅色だけが残っていた。
見た目の似ているタマゴダケは、柄の部分が黄色い。このベニテングダケは、柄の色が爽やかなまでの白色だ。
くれぐれも、間違えないでほしい。
さて。ご託はここまでにして、いよいよ実食。
……、……。
これは。
味が濃い! チーズかと思うほどの、濃厚な旨味だ。
そこへバターが絡み合い、複雑で奥行きのある旨味が押し寄せてくる。
程よい焦げ目と醤油の香りが、全てを包み込むように広がっていく。
一口で胃がもたれてもおかしくないクリーミーさだが、胡椒のピリッとした辛味のお陰で、舌がリフレッシュされる。毒の味かはわからないが、生姜をかじったようないがらっぽさも混ざっている。これも良いアクセントだ。
濃密でありながら、スパイシー。一口で満足できるのに、いくらでも食べられる。
最高だ。
松茸やシメジを遥かに凌駕する美食。
このベニテングダケに、気取った調理など必要ない。これこそが、素材の旨さと言うのだろう。
そして。
三十分は経過したか。
唐突に全身が濡れた。それが汗だと気付くのに、一呼吸遅れた。真水のようにサラサラな汗が、頭のてっぺんから流れ落ちている。
そして、寒い。
表面の肌ではなく、体の芯から冷たいものが染み出してくるような。たまらず上着を羽織ったけど、全く暖かくない。逃げ場の無い悪寒だ。
胃が握り潰されたように収縮して、食べたものが逆流してきた。
トイレへ駆け込もうとその場から飛び出すが、間に合わず。いくらか未消化のベニ テングダケ片が混ざったそれをフローリングにぶちまけてしまった。
何と言う事だ。後で掃除が面倒臭いじゃないか。失敗した。
「ちょっと、何てことしてるんですか!?」
唐突に。
女性の、耳をつんざくような悲鳴怒声が響き渡った。
僕は独身だし、彼女も女友達も居ない。いよいよ、幻覚症状まで出てきたようだ。
柔らかな腕に介抱される触感。
上品で控えめな香水と化粧の香り。
かすんだ視界には、ゆるふわセミロングの茶髪をした女性の輪郭が。
「きゅ、きゅ、救急車! 119番!」
涼やかで、それでいて柔和な優しさをはらんだ声音だ。
ベニテングダケがもたらした幻は、僕の五感全てをジャックしたようだ。
天窓から注ぐ光が眩しい。目が潰れそうだ。
ああ、少しずつ 意識 薄れ 僕は
……、……。
完全に意識が落ちる前に、言っておかねばならない事がある。
ベニテングダケを郷土料理に使う地域もあるので、その名誉を毀損しないためだ。
ベニテングダケは本来、必ず塩漬けにし、毒抜きした上で食される。
決して、僕の真似をしてそのまま食べてはならない。
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