第39話 グレタガーラの呪い(流血あり)
「・・駄目、駄目・・見ちゃ駄目・・」
涙でグシャグシャのアイの顔に、ヨーコの不安が増大する。
「アイ!どいて!」
アイを引きずるようにして、ドアに群がり始めた館の人間を押しのけヨーコが室内を覗き込む。
しかし不安はそのままに、蝋燭が沢山持ち込まれて明るく照らされた室内は、凄惨その物だった。
三人の男が血を流し、その横で身体半分を真っ赤に染めたリリスが、赤い髪を燃え上がらせて死にものぐるいで呪文を詠唱していた。
その横ではただ泣きじゃくるキアンを放って、ザレルが必死の面もちで何か叫びながら、リリスの赤に染まった肩を押さえている。
「うそ・・」
ヨーコには、あまりにも自分の世界とかけ離れたその光景が、現実だと認識するのに不思議と時間がかかった。
しかし、これが現実!と認識したとたんに、声を失い気が遠くなりそうになる。
ガクガクと震える膝を踏ん張り、もう一度死体を見ないようにして見回した。
キアンは・・兵士に囲まれ、泣きじゃくってはいるが怪我はなさそうだ。
「ヨーコ!もう部屋に帰ろうよ!」
後ろでアイが、泣きながら叫ぶ。
「でも!リリスは?」
ヨーコの目に、血に染まったリリスが映った。
「アイッ!こっち来い!」
後ろにいた吉井がヨーコにしがみつくアイを引き剥がし、しっかと胸に抱きしめる。
「リリス!」
ヨーコが叫んで、兵士が止めるのも聞かず室内へ飛び込んだ。
彼女はその時まで、リリスの血は返り血だと思っていたのだ。
「もういい!止めろ!リリス!リリス!」
しかしザレルの指の間から流れ出す血、そして必死の形相のザレルの顔。
次の瞬間、彼女には分かったのだ。
「リリス!駄目!あんた死んじゃう!駄目よ!」
ヨーコがリリスに飛びつく。
それでも呪文を止めないリリスに、ヨーコが必死で抱きつくとそのヨーコごとザレルが後ろから抱きしめた。
「頼む!もう止めてくれ!死んでしまう!
お前が死んでしまう!モルドは戦士だ!戦士なのだ・・」
「イエ・・サルド・・・キーン・・・ラ・・ド・クー・・・・」
リリスの声が、小さく掠れて消える。
血の気を失って、ガクガクと震えながら彼は、意識を失う寸前消え入りそうな声で呟いた。
「・・・ザレル・・・私は・・一人だ・・から・・いいん・・だ・・誰・・も・・・・」
悲しむ人などいない・・
「今じゃ!リリスの意識が消えた!」
地下で水鏡を見ていたグレタが嬌声を上げる。
シャランと腕輪を鳴らし、両手を高々と上げた。
「水よ!汝リリスを巡るその美しく赤き水よ!
今その巡りを止めて、お前を操る憎き胸の鼓動を止めよ!
シードルクス・レン・キーン!
我が名を持って、その身は呪いに汚れよ!」
ビクンッ!
「あっ!あっ!」
リリスの身体がザレルとヨーコの手の中で大きく痙攣する。
「リリス!リリス!しっかりして!」
「うっ!ぐっ!あ、あっ!うっ!」
胸を掴み、大きくのけぞらせてもがく身体。
「死ぬな!死ぬな!」
「リリス!」
祈るようにリリスを抱く二人の手が震える。
その時、リリスの指にある銀の指輪が一瞬、部屋を満たすほどの光りを放ち、そして弾け散った。
パーンッ!
「ギャアッ!」
グレタの身体に稲妻が走り、彼女の身体が奇妙にねじ曲げながらその場に倒れる。
「ヒイーッ!ヒイーッ!
バッ バカな!!
の、呪い返しだと!!呪い返しなどと!ヒイーッ!セ、セフィーリアめ!」
髪を振り乱し、必死の形相で胸をかきむしり、口惜しそうに叫んでいるその時。
「おいっ!この魔女ババア!」
ハッと振り向くと、そこに河原が飛び込んでいた。
「お前!何用じゃ!」
「やっかいババア!お前なんか・・!」
人の噂は、嫌でも耳にはいる。
アイ達の話を聞く内、それが何であるか、徐々に理解できたのだ。
お前なら御館様を止める事も出来たろうに!
怒りの河原が階段を駆け下り、手近に置いてあった杖を取って、それを振り回すとグレタに襲いかかる。
それは精神的に苦しんだ事への復讐も込めた一撃だった。
「ひええええ!!だっ!誰か!」
グレタは頭を庇って、かがみ込むので精一杯だ。耳にヒュンと杖が風を切る音が迫った。
「えいっ!」
バカーンッ!ガシャッ!ガシャ!ガラン!
「こんな物有るからお前は水鏡で余計なことばかりする!こんな物!こんな物!こんな物!」
ガシャン!ガシャン!ガシャン!バン!ガチャン!
「ひいっ!あ、あ、私の!私の、カメが・・」
指の間から粉々に壊されてゆくカメを呆然と見て、グレタの体中から力が抜けてゆく。
これ程大きいカメは、この世界では滅多に手に入らない。貴重品なのだ。
何度焼かせてもヒビが入り、水鏡をするに必要な完璧さ、黄金律などほど遠い。
「あ、あ、あああああ・・・」
「フンッ!お前なんかこれがなくちゃ、ただのババアだ!ざまーみろ!」
へなへなと、グレタが崩れ落ち、呪い返しと大切な魔術道具を失ったショックで髪が真っ白に、バサバサと抜け落ちて行く。
ドッと肩を落として千年は老け込んだグレタを残し、河原は清々した面もちで、みんなのいる部屋を目指して走り去っていった。
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