第38話 死の足音(流血有り)

 コトン・・


「うっうっうっ・・ひぃっく!ううー・・」


カーテンからキアンが泣きながら這い出してきた。

窓からの月明かりにぼんやりと、目の前の惨劇のあとが見える。


「死ぬかと・・死ぬかと思った・・・ううーっく、ひっく・・」


呆然とする彼は、窓にかかる厚いカーテンの中にひっそり隠れていたのだ。

ただただ、腰が抜けて立てないまま、泣くことしかできないでいると、ようやく廊下に面したドアが開いた。


「王子!ザレ・・・あっあっ!駄目です!アイ様!来てはなりません!」


「でも!キアンは?!キャッ!」


いきなり部屋を飛び出したリリスを追ってきたアイも、ついドアから部屋を覗き込み、息を飲んで立ちすくむ。


「見ては駄目です!」


リリスはアイを横に押しやり、部屋に飛び込んでキアンの手を取った。


「王子!お怪我はありませんか?

ああ、何と言うこと・・」


周りを見回し、男たちから庇うように抱きしめる。


「リリス!リリス!ああー!リリスうー!」


待ちわびたようにワンワン泣きながら、キアンがリリスにギュッとしがみついてきた。


モルド・・もう、遅いか・・


ザレルも剣をしまい、意識のないモルドを横にして、傷口の上を落ちている布を裂いて縛る。

おびただしい出血は、すでにこの世界では死を意味していた。





 「ちっ!」


館の地下から水鏡で見ていたグレタが舌打ちする。


「おのれリリス!何故じゃ、ちゃんと御館様が酒に薬を混ぜたはず!

いつもいつも!良いところで邪魔を!」


そう言って水鏡の中を見回し、この場で意識のあるただ1人、胸を切られた男の身体に指を差し入れる。

男の身体がびくんと跳ねた。


「この腰抜けめ!リリスを、キアナルーサを殺せ!」




「どうして!どうして館の兵士が誰も来ない!

世継ぎの僕が襲われているのに!」


「王子・・」


リリスが声を失う。思わずキアンから視線をそらし目を伏せたとき・・・座り込んでいた男が突然弾かれたように立ち上がり、腰の短剣を抜いて二人に襲いかかった。


「キアン様!」


リリスがキアンを庇って突き飛ばす。


ドッ!「あっ!」


右肩に叩かれたような痛みが走る。


「リリス!」


ザレルが飛び出し、剣を抜きざまドッと男の身体を切り裂いた。


「うおおお!おのれ・・グレタめーっ!」


そう呟いて、男が絶命する。

リリスも崩れるように倒れ込み、その場にうずくまった。


「リリス!」


慌てて剣を戻し、ザレルがリリスの身体をそっと抱き起こす。


「だ、大丈夫です、怪我はありま・・」


そう言いかけたとき、ぶわっと右の肩口から暖かい血があふれ出た。


「駄目だ!動くな!クソ!何てバカだ!俺は!」


ザレルが口惜しそうにリリスの肩を押さえる。

剣を先に収めるなど、どうしてそうしてしまったのか、今更悔やまれて仕方がない。


「切られたのですか?切られたの・・かな?」


他人事のように呟き、リリスはただ、肩口がカッと火のように熱いだけで切られた意識がない。

それよりも突き飛ばされ、呆然と泣きじゃくっているキアンに怪我がないのを見ると、ほっとしてさっと部屋を見回した。


「あ、あっ!あの方は・・モルド!モルド様!」


モルドはザレルの友だ。

何度かザレルと、旅の途中で彼の家へ訪ねたことがある。

その男が血にまみれて倒れていた。


「駄目だ!動くな!・・・リリス!」


リリスが突然ザレルを突き飛ばして、片腕を失った男に駆け寄った。

モルドはすでに多量の出血から、血の気を失い意識がない。


「ああ!何て事に!急がないと!

医師を呼んで下さい!その間私が繋ぎます!」


「リリス!こいつはもう死ぬ!お前が先だ!」


珍しくザレルが感情的に叫ぶ。


「いいえ!まだ息があります!まだ、今なら!」


ズキンッ!右肩に初めて重い痛みが来た。

モルドはすでに暗い部屋の中でさえわかるほどに死の色が濃く、息も浅い。

しかし、リリスにはそれがたとえ誰であろうと、消えかけた命を放っておくなど出来なかった。


「死んではなりません!あなたを大切に思う方が悲しみます!死んではなりません!」


主に忠実な男の顔の向こうに、年老いた両親と、若い妻、そして子供の姿が見える。


「あなたには家族が、家族がいるでしょう?!

ザレルが・・・!ああ、ザレルの、あなたの大切なお友達ではありませんか!死んではなりません!」


リリスは潤んだ目をして両手を男の心臓に当て、呪文を唱え始めた。


「暗き門と光の門の番人よ、今一時その門を閉じて、この者を拒みたまえ。

イエサルド・キーン・ラルド・クーン!」


ポッとリリスの両手が光り始める。


「医師を・・医者を頼む!!誰か!頼む!」


ザレルが叫び、館の人間も騒ぎにようやく動き出して数人が駆けつけてくる。


「灯りを持て!兵を呼べ!誰か!

侵入者だ!キアン様が襲われたぞ!」


誰かが口々にそう叫び、蝋燭の明かりが部屋に走り、見回りをしていた兵士が押し寄せる。

リリスは右肩を真っ赤に染めて、声を掠れさせながら苦しそうに時々息をつき、それでも呪文の詠唱を止めず何とかこの暗殺者を救おうと集中している。

兵士に押されながらドア口にアイが呆然と立ちすくんでいると、後ろからヨーコ達が駆けつけてきた。


「アイッ!キアンは?リリスは?!」


アイは声もなく、ボロボロ涙を流してヨーコに飛びつく。


「一体何が・・わあっ!」


吉井も部屋を覗いて、顔をこわばらせた。


「あいつ・・あいつだ・・」


河原はみんなの後ろで何かを悟ったように、やがてさっとどこかへ走り去ってゆく。

それに気が付かず、ヨーコも中を見ようとすると、アイがしがみついて首を振った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る