第20話 ラグンベルクの画策

 カツン、カツン、カツン


暗い廊下に突き刺さるかのように、一歩一歩歩くたび細いヒールが音を立てる。

日が落ちた後の廊下には、所々で蝋燭の明かりがともっているが、最近女官達がやたら節約していて、蝋燭の立っていない蝋燭立てが寂しそうだ。


「暗いのう、日が落ちたらさっさと寝ろと先日ベラドーラに言われたが、あれは嫌味であったか。世知辛いのう。」


左手の蝋燭の炎が、ゆらゆらと揺らめきながら赤いドレスの女性の姿を暗闇に映しだした。

グレタガーラだ。

ラーナブラッド奪取を一任された物の、ペルセスは頼りにならず、リリスも思った以上にやり手だ。


「ううー、悔しや!どうしてくれよう。」


「グーレター様あ、負けたのお?」


「違う!」


グレタがグッと言葉に詰まり、バタバタ地団駄踏む。そして小さな少年をギロッと睨み付けた。


「負けたのではない!よいか?あれはのう、異界人が可哀想だから引いたのじゃ。

異界人に手を出すは掟破りじゃからな。うふふふふふ・・・そうじゃ、負けたのでは決してない。うふふふふ・・」


微笑む顔にはたらたら汗が流れている。シビルは首を傾げて頷いた。


「ふうん、優しいんだー、知らなかったあー。

えへえへ、ねえー!グーレター様あ、こっちこっちー。」


「ちょっと待て、シビルよ、私の紅は綺麗についておるか?化粧に乱れは無かろうな?」


じいっと、少年シビルとグレタガーラがにらめっこする。

シビルはとろんとしたブルーの目でじっと見ると、へらっと笑った。


「シワがぁー、いっぱいあるだけー。」


ぬぬっ!


「ふふ・・・うふふふふ・・」


グレタが顔を引きつらせ、拳をぶるぶる震わせる。しかし、シビルはにっこり笑って邪気がない。


「お前に聞いたが無駄であった。もう良い!」


「じゃあ、こっちねー。御館様、早くってー。」


「お前に頼む時は、普通早くと付け加える物じゃ、ぐーたらシビル。」


「えへへへー、ほめられたあー。」


「ほめとらんと申すに。」


「ね、ね、今日おー、一緒にいー寝ていーい?」


「わかったわかった、先に寝ておれ。」


「わあーいー!うれしいーなあー!えへえへ」


ピョンとシビルがグレタの腕に飛びつく。

やがて一人の兵士が番をしている大きなドアの前に立つと、シビルがコンコンコンと三回ノックした。


「御館様あ、グーレター様でーす!」


「入るがよい。」


中から、低い男の声が返ってくる。


「失礼いたします。」


グレタガーラは頭を下げ、一人顔を伏せたまま楚々と中へ入っていった。

ドアを入るとすぐに、薄いカーテンがある。

蝋燭の揺らめきがうっすらと透き通るだけで中は見渡せない。

ゆったりとした部屋は、広々としていて家具も奥に並んでいる。

中に入り、ドアをきちんと閉めてまた頭を下げていると、うっすら良い香りがして中からはベッドのきしむ音が聞こえた。

ここは寝室なのだ。


「そこでは話しもできん。近くに寄れ。」


「承知しました。」


頭を下げたままカーテンをくぐり、毛足の長いふかふかの絨毯を踏みしめる。

近くのテーブルに燭台を置いて、奥へ進むとベッドから少し離れたところへ膝を付いた。

ラグンベルクはベッドの端に座り、右の足先を左膝に乗せてくつろいでいる。

そしてやおらグレタの方へ、方肘付いて身を乗り出した。


「見よ、これにおる少年はお前からだと言うではないか。これは向こうの人間か?」


「はい。」


「ふむ、このまま帰さず我が小姓にしても良いが、いかがした物か。」


「は、御館様の御気を煩わせるのなら、このグレタが引き取りましょう。」


「よい。今は薬草で眠っておるが、明日話しをしてみよう、向こうの様子を聞いてみたい。

どのような所か、一度見に行ってみたいものじゃ。」


「お戯れを!走る魔物や呪われた人間の住む、地獄のように殺伐とした恐ろしい所でございます!」


「ホウ、それは面白い。クックック・・・」


慌てるグレタの様子に、ラグンベルクが低く笑い声を漏らす。


「どうか?キアナルーサの連れておるあの赤い髪の魔導師は。

あれは見かけは美しい子供だが、相当腕が立つであろう?是非欲しい物だ。」


ぎくう、それを聞くとグレタは何だか複雑だ。

この館での自分の地位が、あんな子供が来ると危うくなるんじゃないか?

御館様は欲しい欲しいと仰るが、冗談じゃない。


「お言葉ではございますが、このたびのご依頼では、あの子供は命を賭けて向かってくるでしょう。

もちろん、私もではございますが。」


「ふむ、命を落とすこともあり得ると?」


「は、魔力無くてはただの子供でございますから。」


「なるほど。」


ラグンベルクが立ち上がり、音もなくグレタに近寄ってくる。

ドキッドキッドキッ!

シンとした部屋の中に、グレタの心臓の音がラグンベルクに聞こえてしまいそうだ。

伏せた顔の前に、スッと男の足が見えた。

あっと目を閉じると、相手はしゃがみ込み、クイッとグレタの顎に手を掛ける。

ボッと、燃え出しそうに顔が赤く火照っていった。


「お戯れを、グレタは心の臓が止まりそうでございます。」


「可愛い女よ、お前ならわしの気持ちも分かろう?

妻を失ってから、わしたち親子の胸にうがたれた底知れぬ空洞を。

だからこそ、わしは可哀想なあの子に何かしてやりたいのだ。それがたとえ謀反だと言われようとも。」


グレタは目を閉じたまま、ラグンベルクに顔を向けて唇を震わせる。

息をするのも忘れ、小刻みに声を震わせてようやく返した。


「もちろんでございますとも。

御館様がご子息、ラクリス様を思うお気持ちは重々承知しております。

しかし、ラーナブラッドがキアナルーサ様の手から、ラクリス様の手に渡ることを誰が不満に思うでしょう。

国民は皆、キアナルーサ様に不安を感じております。

恐らくはこのたびのドラゴンマスターへの挑戦でさえ、うまくは行くまいと思っていることでございましょう。

これを謀反と申しましょうか?

異を唱える者は、容易く思い直すことでございましょうとも。」


「グレタガーラよ、目を開けろ。わしを見よ。」


「は、はい。」


ゆるゆると瞼を開くと、眼前にたてがみのように雄々しい白髪の、がっしりとした男の顔が現れた。

彫りが深く、強い意志が感じ取れる険しい目。

そして白いシャツの下の肩や胸は隆々と張りがあり、年齢を感じさせない程に鍛えてある。


ああ・・やっぱり何度見てもステキな方じゃのう・・うっとり・・


「お前の目に、わしは狂者に見えるか?わしは間違っておるか?」


「間違いなど、誰が決めましょう。

皆、国の安泰さえ有れば、それで満足するのです。

ラーナブラッドを持ち、ドラゴンに忠誠を誓わせる者。それがこの国の王なのです。

それが相応しい次代の王が誰かは、やがて皆が知ることになりましょう。

そしてそれは、現王の長子、キアナルーサ様とは限らないのです。」


「フフフフ・・・」


ラグンベルクが笑いながら立ち上がり、そして壁に掛けてある剣を手に取った。

鞘から抜いて、剣先をグレタに向ける。

グレタはびくっと思わず体を震わせ堅くした。


「グレタガーラよ、必要あらば、隠密に事を運ぶ気遣いもいらぬ。

たとえわしが囚われようと、命を賭けて命を果たせ!

それがお前の、わしへの真の忠誠と知ろう!」


「はっ!このグレタガーラの命を持ちましても!きっとご期待に添いましょう。」


グレタが絨毯に額をつける。

彼女の心には、勝算がある。

キアナルーサはまだまだ子供、ほんの一葉の朝露が、心に大きな波紋を呼ぶであろう。

リリスさえ王子の元から消えれば後は容易い。

ニヤリ、グレタは不気味な微笑みを浮かべて、笑い声を飲み込んだ。

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