第38話 朝練(2)
その放課後、案の定絢音からバンドメンバーと帰ると告げられたので、とりあえずハグだけしておいた。
絢音が塾がないということは、涼夏はバイトということである。もちろん、二人とも空いている日もあれば、二人とも埋まっている日もあるが、基本的には今年も涼夏は絢音の塾のない日にシフトを入れている。
入れてくれていると言うべきか。涼夏とて絢音を好きな一人なので、本当は絢音の塾のない日に自分も休んで、3人で遊びたい気持ちもあるだろう。
絢音とハグを交わしている涼夏を眺めていたら、背後から垣添さんに声をかけられた。
「野阪さん、今日一緒に帰ってもいい?」
「大丈夫だけど、部活は?」
「今日はお休み」
そう言って、垣添さんが微笑む。この場合の「お休み」は、部活がないのではなく、単に垣添さんが休むだけだろう。今朝の会話を思い出すと、少なくとも今日は部活があって、参加するつもりでいたはずだ。
急に何かあったとしたら、生理が始まったくらいしか思い付かないが、もしかしたら今日は絢音も涼夏もいないとわかって、今朝の社交辞令的な約束を実現しようと思ったのかもしれない。
長井さん一派と一緒にいる涼夏のもとに垣添さんを連れて行くと、涼夏は少しだけ驚いたように眉を上げた。
「今日は糸織も参加? 部活は?」
「休んだ。帰宅部の体験入部」
「私はいないぞ?」
「それだけが心残り」
垣添さんが浮かんでもいない涙を拭う。涼夏が「じゃあ、千紗都は任せた」と笑いながら、垣添さんの背中を叩いた。
去年同じクラスだったし、今年からまともに喋り始めた私と違って、二人は元々友達だ。ただ、果たして今の言葉は本心だろうか。私が他の女子と遊ぶことを快く思うとは思えない反面、ぼっちで寂しい思いをするよりはましと考えているようにも見える。
今日も相変わらず余所行き涼夏だが、私に対しては隠し事をする気は一切ないようなので、また教えてくれるだろう。
今日も長井さんと広田さん、岩崎君と川波君の4人に、涼夏と私に垣添さんという大所帯だ。川波君は岩崎君と喋っていたので、今日は涼夏と垣添さんの3人で駅まで歩き、方向の違うメンバーとは駅で別れた。
「野阪さんと糸織は今日は何するの?」
反対側のホームにいる広田さんに手を振りながら、長井さんが言った。
「決めてないけど、定期の効く恵坂で遊ぶかな」
「ついてっていい?」
「私はいいよ」
予想はしていたので、ひと呼吸も置かずに答えた。そもそもどうしても垣添さんと二人で遊びたいわけでもないし、長井さんのことも苦手ではない。涼夏と絢音がいないのなら、申し訳ないが後は誰と遊ぼうが同じだ。涼夏に言わせると、それは十分余所行きの私らしい。
「私も全然いいけど。今の流れで私はちょっとって言えたら、ブレイバーだよね」
そう言って、垣添さんが苦笑する。長井さんが「それは確かに!」と声を弾ませた。
やって来たイエローラインに乗り込んで、恵坂に移動する。涼夏は一つ先の久間まで乗って行くので、車内でまたと手を振ると、涼夏がいかにも作ったような笑顔を浮かべたまま、私の耳元に顔を寄せた。
「今度、緊急会議だな」
ポンと背中を押されて、電車を降りる。ホームから振り返ると、涼夏はやはり同じ笑顔で手を振っていた。会議のテーマは大体想像がつくが、涼夏の心境はいまいちわからない。怒られないといいが、まあどんな感情であれ私には素直に話してくれればと思う。
「さて、どうする?」
二人の顔を見ながら、そう尋ねた。いつも輪の中心にいる長井さんと、自分から参加したいと言ってきた垣添さんである。私から何か提案する必要はないだろう。
そう思ったら、長井さんが大袈裟な動きで首を振った。
「帰宅部の部長は野阪さんだって聞いたけど」
「それは涼夏と絢音と一緒の時だけだね。今日はモブキャラみたいな感じでいこうと思う」
「モブキャラって……」
長井さんがくつくつと笑う。表現がウケたのもあるようだが、そもそも冗談と解釈されたようだ。私ほど控えめな、端的に言えば暗い女子はそうそういないと思うが、実に不思議だ。
結局、ファミレスに入ってくだを巻くことにした。長井さんは垣添さんを名前呼びしているが、二人が知り合ったのは2年になってからだし、垣添さんはお昼も長井さんのグループには入っていない。二人はまだ、ほとんど話したこともないはずだ。
私も二人のことはよく知らない。正直、大して興味もないのだが、長井さんの三角関係を何とかする遊びは頑張らないといけないし、今日の垣添さんの言動も気になる。涼夏の緊急会議のテーマもその辺りだろうから、情報を集めておくに越したことはない。
しばらく1年の頃はどうだったという話をしてから、「それで、今日はどうしたの?」と、私ではなく長井さんが切り出した。聞きにくいことをはっきり口にしてくれて、内心で拍手を贈ると、垣添さんは「うーん」と小さく唸ってからポテトをつまんだ。
「部活をね、辞めようか迷い中。今日はちょっとそれを野阪さんに相談したい気持ちもあって」
「もしかして、私、邪魔だった?」
「朋花が退屈じゃないなら別に」
「てか、なんで野阪さん? 席が隣だから? いきなり悩み相談を持ち掛けるような仲だっけ?」
長井さんが首を傾げる。それはまったく私も同感だ。1年から一緒で、たまたま隣になって喋るようになったが、私など垣添さんの物語の極めて端役だろう。
答えを求めるように覗き込むと、垣添さんは言葉を選ぶように答えた。
「朋花は、部活を辞めた経験がないでしょ?」
とても単純な話だった。私は部活を途中で辞めた経験がある。しかも同じバドミントン部だ。だから私に相談しようとした。
1年前は私はまだその一件がトラウマだったから、なるべくそれを聞かれないようにするために、涼夏や絢音にもあまり中学時代のことを聞かずに過ごしていたが、今となっては割とどうでもいい。詳しい話はしていないが、垣添さんにも中2の途中で辞めたことだけは話している。
言い淀んだのは、垣添さんの口からそれを長井さんに言っていいのか迷ったのだろう。罪悪感を取り除くように、長井さんに聞かれる前に頷いた。
「確かにバドミントン部を辞めた経験はあるけど、人間関係がこじれたから辞めただけで、垣添さんの参考になるような含蓄のあるエピソードじゃないよ?」
「野阪さん、本当に表現が面白いね」
垣添さんがくすくすと笑った。特に私が話すネタはないので続きを促すと、どうやら1年の時に仲の良かった同じクラスのバドミントン部の子と、クラスが離れてしまったのが原因のようだ。もちろん、私も同じクラスだったのでその子のことは知っているが、垣添さんと同じで、話したことはほとんどない。
「クラスが離れても大丈夫かなって思ったんだけど、新しいクラスで早速友達作って、部活でもその子たちと一緒で、ちょっと疎外感」
垣添さんがそう言ってため息をつく。ユナ高伝統の、素敵なクラス替え制度は使わなかったらしい。それとなく理由を聞くと、相手もそれを望んでいる自信がなかったとのこと。結果的にあっさりと疎遠になってしまったのなら、垣添さんの予感は当たっていたとも言える。
「クラスが離れるとね。私も毎日優希といるけど、1年の時はそうでもなかったし。そもそもクラス違ったしね」
長井さんが同情するように息を吐いた。上手な息の吐き方なので、私も習得したい。共感の呼吸と呼ぼう。
私が見る限り、長井さんと広田さんは仲がいい。ヒエラルキーが高くても偉そうにしないのが、長井さんの人気の理由かもしれない。悪い子ではないが、だからこそ余計に涼夏は面倒くさがっている。
何となくホットにしたカフェオレをぐるぐるかき混ぜていると、垣添さんが目を細めて私を見た。
「野阪さんは部活を辞めた時、後ろ髪引かれなかった?」
「別に。そもそも私、大してバドミントンが好きってわけじゃなかったし」
「中学って、とりあえず何か部活に入る的な空気あるよね。私、ソフトテニス部だった。弱小だったけど」
長井さんがそっと息を吐いてそう言った。今のは共感のメソッドだ。話を奪うための情報開示ではなく、心情に寄り添うための道具として使ったのだろう。なかなか勉強になる。
「私はまあ、バドミントンが好きで入ったけど、人間関係無視して続けるほどでもないかなって」
「そんなに空気悪いの?」
「そうでもない。無視されてるとかでもないし、普通に喋るけど、10が7くらいになっちゃった感じ?」
垣添さんがわかるでしょという瞳をしたが、それを言ったら我が帰宅部は、10が3くらいになってしまっている。寂しくて死にそうだ。
「私も帰宅部を辞めるか」
意味もなく呟くと、ジュースを飲んでいた長井さんがいきなり咽せた。笑わせたお前が悪いという目で睨まれたが、私は何も悪くないと、ひらひらと手を振って返した。
「1年の時に野阪さんたちを見てて、帰宅部も面白そうだなって思ってたところに、丁度席も隣になったから、今日は体験入部」
その一言が、今日のすべてだった。やはり、単に悩み相談がしたかったわけではなく、垣添さんは私たちの活動に興味を持っている。
それ自体は有り難いことだが、私たちはただ仲良し3人で遊んでいるだけで、別に部員の募集はしていない。自分で言いたくはないが、帰宅部は部活ではなく、ただのお気楽コミュニティーだ。
もっとも、だからこそ時々個人的に遊ぶくらいなら問題はない。むしろこういう絢音も涼夏もいない時は大歓迎だが、私が寂しい時限定というのはいくらなんでも相手に失礼だろう。
その後は何でもないクラスの話や友達の話で盛り上がって、夕方に駅で別れた。楽しかったと言えば楽しかった。私は一人が苦手なので、遊んでもらえるのは有り難いが、彼女たちを都合のいい存在にしてはいけない。
それに、あの涼夏ですら、面倒くさいと言いつつ長井さんの誘いを断れないのだから、私にはもっと無理だ。3人だけの聖域は、私とて大事にしたい。
帰りに何となく涼夏のバイト先に寄ると、「緊急会議はそこまで緊急じゃない」と笑われた。元より重たい話をしに行ったわけではない。単に涼夏の顔が見たかっただけだと言うと、涼夏は恥ずかしそうに顔を赤らめていた。
考えることが多くなってきたが、目下一番の問題は奈都の朝練である。他の悩みはすべて、友達が増える方向の、言わば贅沢な悩みだが、奈都の朝練だけは友達を失ってしまう。しかも奈都は愛友三柱の一柱だ。これを失うわけにはいかない。
とは言え、奈都は根っからの部活っ子で、中学でもずっとバドミントンを続けていたし、高校でも私に相談することなくバトンをやると決めた。朝が眠いのは毎朝見ているから知っているが、部の総意が朝練に傾けば、奈都はそれに従うだろう。
いっそ帰宅部も朝練をするのはどうか。夜に絢音にそうメールしたら、すぐに電話がかかってきて、「帰宅部の朝練はウケる」と笑われた。
朝練というよりは、朝活だろうか。早く学校に着いて、勉強してもいいし、遊んでいてもいい。電話越しにそう言うと、絢音は部長がそう言うならと賛成してくれた。ただ、恐らく涼夏は無理だろう。母子家庭で家事もしているし、メイクの時間も必要だ。単に私が奈都といたいという理由だけで誘うのは気が引けるし、誘わないのも断らせるのも申し訳ない。
翌朝も奈都は眠そうだった。南極に行くアニメを存分に楽しんでいるようだ。楽しいという割に一気に見ないのは、一話一話味わっているかららしい。ご飯をよく噛んで食べるタイプなのだろう。
電車でシートに座る時、一応お尻を揉まれないか警戒したが大丈夫だった。代わりに私の手を握って、肩に寄りかかってきた。
「今日は眠たい」
「いつもじゃん。奈都に朝練は無理そうだ」
牽制するようにそう言うと、奈都は数回まばたきをして、柔らかくまぶたを閉じた。心なしか微笑んで口を開く。
「朝練は行かないよ。もしやるって決まっても」
「強制参加だったら?」
「部活を辞めて、帰宅部に入るかな」
「そこまで眠いのか」
思わず苦笑して、指先で奈都の指を撫でた。奈都にバトン部は辞めて欲しくないが、帰宅部に来てくれるのは嬉しい。長井さんや垣添さんと違って、奈都なら心から歓迎されるだろう。
そんなことを考えていたら、奈都が囁くように言った。
「チサがいるからだよ」
「何が?」
「朝練。私はこの時間を失いたくない」
昨夜の涼夏ではないが、なかなか照れる発言だ。しかし、奈都が私との時間をそんなに大事に思ってくれているのは意外だ。意地悪と照れ隠しでそう言うと、奈都は何でもないように言った。
「昔とは関係が違うでしょ」
「正妻ムーブ?」
「まあそうだね。チサの中では、私の存在なんて下流まで流された石くらい小さくなってるだろうけど、私の中でチサの存在は土星くらい大きくなってる」
「気球くらい大きいよ?」
「土星の勝ちだね」
得意げに奈都が笑った。
生憎奈都の中で私の存在がそこまで大きいようには思えないが、キスやら1時間チャレンジやら色々あって、少しは私の地位も上がったようだ。
まだ可愛い後輩ちゃんの問題は残っているが、最大の問題は解消されたと言っていい。
「奈都と通学できなくなったらどうしようって、昨日は悩みすぎて全然眠れなかった」
本当はぐっすり寝たが、少しくらいの誇張表現は許されるだろう。明るい声でお礼を言うと、奈都はあくびをしながら私の肩に頭を乗せた。
「私の方が遥かに眠そうだ」
それは間違いない。私は毎日23時には寝ているし、今もまったく眠くない。
もしかしたら今日もこの後、富元さんに遭遇するかもしれない。思うように愛友たちとの時間が取れないが、ひとまず毎朝眠そうな奈都を拝む時間は確保できそうだ。
今のところはそれでよしとしよう。
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