番外編 芝居(1)

※今回、話の切れ目ではないところで切っています。


  *  *  *


 何の話をしていたかは、奈都のその悪意のない一言によってすっかり飛んでしまった。

 ただ、恐らくなんでもない、帰宅部では当たり前のような会話をしていたら、奈都が爽やかに微笑んだ。

「帰宅部って、いつもくだらないこと話してるよね」

 思わず三人で真顔になって奈都を見ると、奈都は慌てた様子で手を振った。

「もちろん、いい意味でだよ?」

「ごめんね。私たち、不勉強だから、くだらないって言葉をいい意味で解釈する能力がないの」

 私がやんわりとたしなめると、当の本人は私の言葉を文字通り受け止めたらしく、「気にしないで」と満面の笑みで頷いた。

 ここで限界が来たようで、絢音がお腹を押さえて笑い出し、涼夏も困ったように苦笑いを浮かべた。

 恐らく本当に悪い意味で言ったつもりはないのだろうが、部長として部の尊厳を守るために、奈都にもわかる日本語で言い直した。

「今のは、くだらないって言葉は、どう考えてもいい意味じゃないよって教えてあげたの。叱ったの」

「そうなんだ。不勉強だからわからなかった」

「反省して」

 真剣な瞳でそう言うと、絢音が身をよじりながら口を開いた。

「二人とも面白い!」

「まさにそういうことを言ったんだよ。コントみたいな会話してるねって」

「じゃあ、ナッちゃんも一緒だね」

 涼夏が明るい声でそう言った。

 二人とも怒っていないようで、私はほっと安堵の息をついた。奈都が無意識に失礼な子だというのは、もう二人も熟知してくれている。とにかく選ぶ言葉のセンスがないのだ。

「前に漫才クラブの話とかしたけど、三人でコントやったら? あるいは、芝居とか」

 奈都がテーブルの上のジュースを手にして、背もたれに体を預けた。ここで少しだけ身を引く仕草が、いかにも自分は参加しないと言っているようだ。

「芝居か。そういえば、そういうのに挑戦したことはないね」

 涼夏が親切に奈都の言葉を拾い上げた。芝居と言えば、前に変な悪役令嬢の話をしたくらいだろうか。あの時も今と同じように、ファミレスでポテトをつまんでいた。

 ぼんやりとその時のことを思い出していると、絢音が何やらスマホをいじって、テーブルの上に置いた。

「じゃあ、『ロミオとジュリエット』のワンシーンをやってみよう。涼夏がロミオね」

「決定なんだ」

 スマホに表示されているのは、著作権の切れた作品を無料で公開している小説サイトだった。指でスクロールしてみたが、いかにも古い言葉遣いでわかりにくい。

「ロミオとジュリエットが一緒にいるシーン、全然ないね」

「じゃあ、私乳母やるよ。涼夏、ここ読んで」

 絢音が笑いながらスマホを指差した。涼夏が顔を近付けて、眉間に皺を寄せる。

「えっと……おうばどの、おぬしのおひーさんへ、ねんごろに、つたえて、くだされ。わしはあくまで、ゆーておく……」

「はれ、よいおひとや、ほんに、そのとーりもーしましょう……もーしましょわいな。ほんに、ま、どのよーに……」

 珍しく絢音も詰まりながら文字を読み上げて、奈都が呆れたように眉尻を下げた。

「二人とも、日本語で喋って」

「限りなくアラビア語。ナッちゃんも読んでみて」

「えー。なう、姫に勧めてくだされ、この昼過ぎに、何とかさいかくして……ざんげしきに、こらるるよう。あのロレンス殿のあん……あんじつで……ざんげの……」

 だんだん奈都の声が小さくなり、やがて途切れた。私はそっと絢音のスマホを取って画面をタップした。

「日本語の作品にしよう。私たちには、シェイクスピアは早すぎた」

 そもそも最後にロミオが勘違いで死んで、ジュリエットも後を追うように死ぬ以外にストーリーを何も知らない。代わりに『走れメロス』を開いてスマホを置いた。やはり教科書に載っていて、誰でも知っていると言えばこれだろう。

 涼夏がスマホを覗き込みながら、満足げに頷いた。

「これならわかる。じゃあ、千紗都が走る役ね」

「主役か」

「部長だしね。私、王様やる」

 似合うとは言わないが、いかにも涼夏がやりたがりそうな役だ。そうなると、古くからの友人である奈都がセリヌンティウスだろう。力強く配役を告げると、奈都ががっくりと肩を落として頭を振った。

「チサ、絶対に来ない。わかる」

「行くって! 頑張って走るから」

「ちょっと遅れてきて、罪が永遠に許されるエンドだ」

 そう言って、奈都が両手で顔を覆った。もう少し私を信じて欲しいものだ。

「じゃあ、私がその他全員ね。最初は街にやってきた千紗都の相手をする老爺か」

 絢音が嬉しそうに顔を綻ばせた。名もない役ばかりだが、実に満足そうである。

「なんか、街が暗いんだけど、どうしたの?」

 軽いタッチで聞くと、絢音が悲しげに首を振った。

「王様の涼夏が人を殺すの」

「どうして? 乱心した?」

「みんな、悪いこと考えてるだろうって。妹まで殺しちゃった」

「秋歩ちゃん……」

 中学生にして男好きのはっちゃけた子だったが、涼夏は自ら手にかけてしまったらしい。奈都が「殺すことはなかったんだ」と、ツラそうに眉根を寄せた。妙に芝居がかっているが、またアニメの台詞だろうか。

 当の本人は、「人の心はあてにならない」と、澄ました顔でストローをくわえている。私は空のグラスを持って立ち上がった。

「生かしてはおけぬ。その前にドリンクの補充だ」

「私、コーンスープ」

 そう言って、涼夏がカップを渡してきた。そんなものはドリンクバーに存在しないので、適当なジュースを注いで持ち帰ると、涼夏が悲しそうに首を振った。

「これだから人は信用できぬのだ」

「じゃあ、乗り込んであっさり捕まろう」

「くっ、殺せ!」

 突然そう言ったのは奈都だった。何やら渾身の一言だったようだが、そんな台詞ではない。今のは何かと聞いてみたが、気にするなと流された。変な子だ。

「このフォークでどうするつもりだったの?」

 涼夏が鋭い瞳でそう言いながら、手にしたフォークをポテトに突き刺した。それを口に運んでもぐもぐと頬張る。

「涼夏を殺して、街を救うの」

「そしてお前が新しい王になるのか?」

 涼夏が鼻で笑った。アドリブがひどいので、涼夏の言葉は聞き流して芝居を続けた。

「私はぼっちだったから、孤独を知ってる」

「私の仲間になれ。世界の半分をくれてやろう」

「人は疑っちゃダメなの」

「人間なんてみんな欲の塊だから、信じちゃダメって、先代の遺言なの。みんな殺して平和になる」

「どんな平和なの、それ」

「黙れ小僧! お前に私を救えるのか!?」

 涼夏が突然目をカッと見開いて、隣で奈都がマンガのように噴き出した。「それが言いたかった」と涼夏が満足そうに微笑みを浮かべ、絢音も「面白かった」と拍手を送った。もう少し真面目にやって欲しい。

「まあいいや。とりあえず千紗都にも死んでもらおう」

 涼夏が素っ気なくそう言って、絢音の方を見ながら、首の前で手をスライドさせた。絢音が心得たと頷いたので、私は慌てて手を振った。

「三日待って。村に帰って、妹を結婚させる」

「ダメだね。私も妹死んじゃったし、むしろ千紗都も一族全員打ち首だね」

「自分で殺したんじゃん! ちゃんと帰ってくるから。そうだ、奈都を人質に置いていくよ!」

 明るい声でそう言うと、奈都が絶望的な瞳で首を振った。

「絶対に来ない。わかる」

「もし私が三日後の日暮れまでに帰って来なかったら、奈都を絞め殺してください。ええ、そうしてください」

「よかろう。少し遅れて来るがいい。お前の罪を許してやるぞ」

 涼夏があっはっはと快活に笑う。なかなかの悪役だ。

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