番外編 芝居(2)
※(1)からそのまま繋がっています。
* * *
かくして私と奈都は、涼夏の前で二年ぶりに再会した。何故か奈都は浮かない顔をしているが、風邪でも引いている設定なのかもしれない。
「そんなわけで、ちょっと村に戻るから、人質をお願いしたい」
「いや、戻って来ないでしょ」
「無言でハグ! 友と友の間はそれで良かった!」
「絶対に帰って来ないって、これ……」
ぶつぶつ言いながら、奈都が私の体を抱きしめる。ギュッと抱き合っていたら、涼夏に写真を撮られた。
「遺影だね。どっちかは死ぬし」
「急いで村に戻るよ。妹、衣装を買ってきた。結婚して」
「お姉ちゃんと?」
絢音がキョトンと首を傾げる。
「いや、私とじゃない」
私が手を振ると、涼夏が「絢音と絢音の結婚」と思案気に呟き、奈都は「チサとアヤの結婚」と眩しそうに目を細めた。兄妹設定を忘れないでいただきたい。
「結婚式は明日ね」
「早いよ。葡萄の季節まで待って」
「そうしよう」
素直に頷くと、奈都が悲鳴を上げた。
「ほら、来ないじゃん!」
「ちょっと遅れて来るどころか、そもそも戻って来ない可能性まであるな。これだから人間は信用できない」
涼夏が無念そうに首を振る。
どうにか絢音を説得して、続けて絢音の婿役の絢音を説得する。絢音は大きく頭を振った。
「急すぎる。葡萄の季節まで待ってくれ」
「同じこと言わないで。明日結婚式ね。私には時間がないの」
「死ぬの?」
「そのつもりだけど、もしかしたらちょっと遅れるかもしれない」
深刻そうにそう言うと、隣で奈都が悲しそうに泣き出した。愉快な子だ。
しばらく絢音の結婚式の一人芝居を楽しんでから、祝宴を途中で抜けて家に帰った。少し休もうと思って目を閉じると、起きたらもう昼だった。
「南無三、寝過ごしたか!」
私が大袈裟に頭を抱えると、奈都が「予想通りの展開だ」と、冷たい目で私を睨んだ。
「いや、ここ、原作通りだけど」
「急いで戻ってきて!」
「私に死んで欲しいの?」
「涼夏の改心に期待しよう」
奈都がそう言って期待の眼差しを向けたが、涼夏は「人は信用できぬ」と、トラウマを抱えた少女のように繰り返すばかりだった。
「じゃあ、頑張って走ってる千紗都に、山賊登場だね。ここを通りたければ、持ち物全部置いていけ」
絢音が通せんぼするように手を広げた。貫禄がまるでないが、私も棍棒を奪い取って殴り倒すなどできそうにない。
「何も持ってないよ」
「服着てるでしょ? 物語の最後で全裸になるには、ここで脱ぐしかないよ」
「そんな話だっけ? はい、じゃあ脱ぎました」
私が無感情な声でそう言うと、三人がじっと私を見つめた。何か期待されているようだが、さっぱりわからない振りをして先へ進めた。
「じゃあ、街に戻ってきた」
「早くない? 葛藤の部分は?」
涼夏が物足りなさそうに言った。実際にはここでメロスが疲れたり、もう諦めようと思ったり、水を飲んで復活したりしている。仕方がないので、スマホで原文を見ながら口を開いた。
「私はすごい頑張ったから許されるに違いない。奈都、許して。恨むなら涼夏を恨んで」
「その頃、涼夏と奈都は?」
絢音がせっかくなのでオリジナルシーンを演じろと促して、涼夏がノリノリで応じた。
「そら見たことか。千紗都は帰って来ない!」
「そんな気はしてた」
「さあ磔だ。市民も集まって、ナッちゃんが死ぬのを楽しみにしている」
「嫌な市民だなぁ」
奈都が諦めたようにため息をついた。友情も信頼もあったものではない。
「とにかく街に入りました。後少し」
「ああ、千紗都様。もうダメでございます! 無駄でございます!」
やにわに絢音が蒼白な顔で頭を抱えて、焦点の定まらない目で私を見た。妙に気合が入っている。まるでフィロストラトスを演じたくて、脇役すべてを引き受けたかのようだ。
「まだ陽は沈まぬ」
「もう無理だから。走るのをやめて。千紗都は間に合わなかったの。遅かったの」
「いや、まだ陽は沈まぬ」
「無理だって。現実を見て。もう後ちょっと早ければ! 恨むから! ナツは死ぬから!」
「応援してよ! なんなの?」
私が遺憾の意を表明すると、絢音がくすっと笑った。
「フィロストラトスは、王が放った最後の刺客なんだよ」
「なんて王だ。はい、間に合いました。奈都の縄は解かれたのである」
私が助ける真似をすると、奈都は長い息を吐いて胸を撫で下ろした。
「助かった」
「じゃあ、抱擁タイムだね」
笑顔で両手を広げる。ハグに始まり、ハグに終わる。温もりを待ち望んでいたが、奈都はジトッとした目で私を見てから、軽くスマホを指で叩いた。
「いや、大事なシーンがあるはずだけど」
「ああ、どうぞ。殴ってあげるね」
「チサからだって! 原文読んで!」
「私は途中で一度も悪い夢を見なかった」
きっぱりそう告げると、奈都は「えー」と心外そうに声を上げた。
「この娘は、ずっと千紗都を疑い続けていた」
涼夏が口添えして、私は「よし、殴ろう」と腕を振り上げた。そのままペチっと頬を叩いて、ひしと抱きしめる。奈都が私の腕の中で疲れた顔をした。
「ひどい話だ」
「助かって良かったね。じゃあ、予定通り千紗都を磔にするね」
涼夏が嬉々としてそう言って、私は思わず悲鳴を上げた。
「そんな話じゃないから!」
「私は約束を守る。そうしなければ、民からの信が得られない」
「すでに誰からも信用されてないから!」
一体この暴君は今さら何を言っているのか。私がどうにか助かろうと説得すると、涼夏は諦めたように深く椅子に座った。
「じゃあまあ、三人で仲良くしよう。私も仲間の一人にして」
「それは、どうしよう」
「うん。妹とか賢臣とか殺しちゃう人だし……」
奈都とひそひそと話すと、涼夏が「やっぱり磔だな」と無念そうに首を振った。
絢音が楽しそうに笑ってから、最後に登場する可愛い娘さんの役を引き受ける。
「緋のマントだよ」
「それは?」
私が聞くと、原作通りセリヌンティウス役の奈都が話を締め括った。
「チサは全裸だから。この可愛い娘さんは、チサの裸体を見ることができて、たまらなく嬉しいんだよ」
「そんなこと、どこにも書いてないよね?」
私が念を押すと、涼夏が「書いてあることの方が少なかった」と笑った。
ひどい話だったが、なんとか完走できた。それに、なかなか面白かった。久しぶりに『走れメロス』も読めたし、雑学的に役に立つこともあるだろう。
「それにしても、フィロストラトスの残念感すごいなぁ」
涼夏が私の持ってきたジュースを飲みほして、不満げに愚痴を零した。確かに、絢音は面白可笑しく再現していたが、言動は原作に忠実だった。この男は、何一つメロスを励ましていない。
「婿の牧人も頑固だったね。もうちょっと話がスムーズだったら、こんなにギリギリになってなかったかも」
「まあ、いきなり来て、結婚式を明日にしてくれって言われても、難しいよね」
「悪い夢を見るところの文字の密度がすごいよね。私は一度も悪い夢を見なかったけど」
「ナッちゃんの人間不信感がすごかった」
「戻って来る気がしなかった」
あれやこれやと原作と芝居の感想を言い合ってから、次は何をしようと、絢音が楽しそうに小説サイトのメニューを指で滑らせた。
今日はもう疲れたが、たまにはこういうのも面白い。
「『オツベルと象』とか『注文の多い料理店』とかいいね。長めならアリスとかオズまほとか」
絢音がそう言うと、奈都が「ジブリ映画やりたい」と珍しく意見を述べた。楽しかったのなら何よりだ。
これは私たちの舞台デビューも近いかもしれない。その日のために、頑張って演技に磨きをかけることにしよう。
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