第32話 ライブ(1)

 いささか緊張した面持ちで、涼夏がそのカフェのドアを開けた。私も息を呑んで後に続く。

 カフェという場所には入り慣れているのだが、こういう夜はバーレストランになるようなタイプのカフェには縁がない。しかもミュージックバーだ。

 絢音は「いつもは知らないけど、今日はお客さんも高校生ばかりだから大丈夫だよ」と笑っていたが、木製のドアに、店内が見えない作りになっている時点でもう敷居が高い。先に来ているはずの絢音に連絡して、外まで来てもらおうかとも話していたが、あまりにも情けないのでやめておいた。

 今日は絢音のバンド、Prime Yellowsのライブがある。Prime Yellowsはユナ高の3人、絢音と豊山さん、牧島さんの3人のバンドだが、今回は牧島さんの友達のサックスの子も加わるらしい。今後もPrime Yellowsに参加するかは今日次第で、そもそも絢音自身がPrime Yellowsに軸足を置く気はないと断言している。あくまで帰宅部優先らしい。

 今日のライブは去年には決まっていて、特にイベントのない1月で一番楽しみにしていた。それは涼夏も同じで、帰宅部は全員同じ気持ちだと思っていたが、今ここにいるのは私と涼夏だけだ。奈都は3学期開始早々、部活で顧問から出演依頼の話をされて、苦渋の決断でバトンを選んだ。

 せっかくなので、夏のお返しと言わんばかりに、真顔で「こっちが先に決まってたよね?」と詰め寄ったら喧嘩になった。後ろめたい気持ちがあったのか、奈都が顔を赤くして声を荒げた。

「私だってそっちに行きたかったけど、しょうがないじゃん! 部活は団体行動なんだよ? 大体、出演者のアヤが言うならともかく、チサが言うことでもないでしょ?」

「私、部長だし。帰宅部も団体行動だから」

「部活ですらないじゃん! 大体、私、入った覚えないし! 私だって悲しんでるのに、そんな言い方しなくてもよくない!?」

「同じこと言ってる」

 思わずくすっと笑った。私も、私が一番悔しかったと言ったが、相手してもらえなかった。さすがにそんな古い話を持ち出す気はなかったが、奈都もあの日のことを思い出したのか、いよいよ怒ったように表情を険しくした。

「全然違うし! っていうか、そのネタいつまで使うの? 私が許したんだから、もういいでしょ?」

 言葉の節々に苛立ちを感じて、私は胸の前で手を広げた。からかっているだけで、責めるつもりも喧嘩するつもりもない。奈都が勝手に後ろめたく感じているだけだが、それは奈都の優しさなので、これ以上いじめるのはやめてあげよう。

「そうだね。もういいよ。部活頑張ってね!」

 励ますようにそう言うと、逆効果だったのか奈都は怯えたように肩を震わせて、大きな瞳に涙を浮かべた。

「何で突き放すの……?」

「いや、突き放してないから。そもそも冗談だから。ごめんごめん」

「チサ、私に冷たい……」

「冷たくないから! 愛してるから!」

 そう言い放って抱きしめてキスしたら、奈都はなんとも言えない複雑な顔をしていた。私の方から奈都を見捨てることなどあるはずがないのに、一体何をそんなに不安がっているのだろう。

 そんなわけで、今日は涼夏と二人だ。元々帰宅部は3人の部活なので、自然と言えば自然である。ちなみに奈都と喧嘩した話を二人にしたら、「それは千紗都が悪い」と口を揃えて怒られた。そんな気がしなくもないので、念のためもう一度謝っておいた。

 重たい木製のドアを開けると、うっすらと聴こえていたドラムの音が大きく響いた。早めに来たが、すでに参加者以外にも人が集まっていて、席も半分以上埋まっている。ステージではリハーサルか、男子の集団が楽器を持って立っている。絢音たちの姿はない。

 高校生バンド応援DAYと題されたライブは、今回で5回目らしい。出演料は知らないが、客は500円+1ドリンク注文制で、それ以外には必要ない。出演者の友達が多いが、中には明らかに店の常連と思しき中高年の人もいる。

 二人用の席はすでに空いてなかった。大きいテーブルにつくと、恐らく相席になるだろうから、先にどこか人のいる場所に座った方がいいだろうか。涼夏と顔を見合わせると、奥から女の子の声で呼び掛けられた。

「涼夏ー。よかったらここ来て!」

 見ると、知らない女の子が手を振っていた。3人で来ているようで、その内の一人は見たことがある気がする。涼夏のことを知っているし、別のクラスの同級生だろう。

 涼夏が確認するように私を見たので、大丈夫だと頷いた。まったく知らない人と一緒になったり、他校の男子に絡まれるくらいなら、同じ高校の女子と喋っている方がいい。

「じゃあ、お言葉に甘えようかな。こっちは我らが帰宅部の野阪千紗都部長」

 涼夏が座りながら紹介する。軽く会釈して椅子を引くと、一人が「噂の野阪さんだ!」と声を弾ませた。私のような地味な女が、一体どんな噂になると言うのか。

「私を知ってるの? 前世で会ったとか?」

「や、前世じゃないけど。すごい美人で頭も良くて淑やかだって」

「淑やかは違う。淑やかな子は、初対面で前世の話とかしない」

 涼夏が真顔でそう言うと、女の子たちは可笑しそうに笑い声を立てた。楽しそうで何よりだ。

 自己紹介によると、彼女たちは全員1組で、牧島さんの友達らしい。島井さん、矢谷さん、戸和さんと自己紹介をされたが、覚えられそうにない。彼女たち自身は下の名前で呼び合っているし、涼夏も声をかけてくれた島井さんはもちろん、他の二人にもいきなり下の名前で話しかけている。私にはできない距離の詰め方だ。

「みんなも楽器やるの? さぎりんとは高校から?」

 涼夏が屈託のない微笑みを浮かべると、戸和さんが「高校からギター始めた」と声を弾ませて、他の二人は首を横に振った。みんな高校で知り合った仲良しらしい。私たちと同じだ。

「猪谷さんたちは? 西畑さんの友達だよね?」

 矢谷さんがそう聞いて、涼夏が大きく頷いた。

「3組は部活に入ってない女子が3人しかいなくて、その3人で仲良くしてる」

「よくハグしてるよね」

「絢音が広めた帰宅部流のコミュニケーションだね」

「欧米を感じる。帰国子女とか?」

「生粋のジャパニーズだね。学年6位の考えることは凡人の私にはわからんけど、ハグはもっと広まっていいと思う」

 涼夏が力強くそう言ったので、私も二度ほど頷いておいた。ハグは気持ちがいい。温もり、香り、柔らかさ、五感のすべてが心地良く、その上心の繋がりも強く感じる。そう力説したらドン引きされるだろうから、心の中で言うだけにしておいた。

 しばらく取り留めもない話をしていたら、店の奥から絢音たちがやってきた。豊山さんと牧島さんとは面識がある。一人知らない子が、牧島さんの友達のサックスの子だろう。涌田菜摘さんといって、仁町女子の子だとは聞いている。

「二人ともいらっしゃい」

 絢音がそう言いながら、私と涼夏を椅子ごとハグして微笑んだ。相変わらずだ。

 みんなお揃いの黄色いTシャツを着ている。胸にはオシャレなフォントでPrime Yellowsの文字がプリントされている。そんなTシャツが売っているはずがないので、アイロンプリントだろう。

「このロゴ可愛いね」

 戸和さんが牧島さんの胸を撫でながら言うと、牧島さんは嬉しそうに頷いて「莉絵ちゃんが作った」と笑った。ロゴの話で盛り上がる同級生たちの声を聴きながら、私は絢音の胸を見つめた。

 今、さらっと戸和さんが牧島さんの胸を撫でていたが、私も絢音の胸を撫でてもいいだろうか。胸自体に興味があるわけではないが、触ることによる反応が気になる。

 もっとも、今さら戸和さんのようにさらっとは出来そうにないので、変態のレッテルを貼られたくなければやめておいた方がいいだろう。

 今にも飛びかからんとする右手を、左手でグッと握り、「鎮まれ」と呟くと、豊山さんが目を丸くして私を見た。

「野阪さん、今の何? 何か封印されてるの? ナゴの守?」

「いや、そういうのじゃないけど、私の中のアンビバレンス?」

「私の中のアンビバレンス!」

 涼夏が噴き出しながら繰り返して、大きな声で笑った。絢音もお腹を抱えてひーひー言っている。他の面々はみんなポカンとしているから、やはりこれは帰宅部のノリなのだろう。

「野阪さん、面白いね」

「私としては、莉絵ちゃんのナゴの守も大概だと思う」

「思った! あはははっ!」

 1組の子たちが声を揃えて笑い出す。会話の内容はともかく、とても女子高生らしい空気だ。笑いに入りそびれたので、ポツンと立っていた涌田さんに声をかけた。

「涌田さんは、中学の時は吹奏楽部だったの?」

「うん。高校でも続けようと思ったんだけど、色々あって辞めちゃった」

 そう言って、涌田さんは困ったように笑った。私は思わず眉間に手を当てて首を振った。

「私は今、すごく無難な話を振ったつもりだった。それがまさか、涌田さんのトラウマを抉ってしまうなんて……」

「いや、そんな深刻な話じゃないから! 体験の時のサックスの先輩が苦手なタイプで」

「人間は怖いね」

「野阪さんこそ、何かあったの? 心配になる発言なんだけど」

 涌田さんが不安そうに私を見つめた。また変な帰宅部ノリを出してしまった。どうしたものかと思ったら、横から絢音が口を挟んでくれた。

「この子、ちょっと変なだけだから気にしないで」

「それ、フォローなの? 私は絢音に言われるほど変なの?」

「うん」

 静かに絢音が頷いて、涌田さんが可笑しそうに顔を綻ばせた。まったく心外だが、楽しんでもらえたのなら良しとしよう。

 いつの間にか店内は満席になっていた。一応チケット制で、私と涼夏は絢音から前売りで買っていたから良かったが、飛び込みでは入れなかったかもしれない。

 今日の参加バンドは5組だが、どのバンドも集客を頑張ったのだろう。今このテーブルにはいないが、4組の子たちも来ていて、豊山さんが挨拶していた。仁町の子ではないが、涌田さんの中学時代の部活の友達も来ていて、Prime Yellowsの客だけでも10人ほどいる。

 バンドメンバーがそれぞれの友達と喋り始めたので、私は小声で絢音に聞いた。

「絢音は、LemonPoundの子には声はかけなかったの?」

 LemonPoundは絢音が中学時代に作ったバンドで、豊山さんも参加していた。他には、一岡に行った3人が参加していたが、ベースの子が絢音に告白したのと、豊山さんがPrime Yellowsに軸足を置いたことで、休止状態になっているらしい。

 聞くまでもなかったが、案の定絢音はふるふると首を横に振った。

「私は誘ってないし、莉絵も声をかけなかったみたいだね。まあ、私たちとやりたがってる子に、私たちが他のバンドで演奏してるのを誘うのもねぇ」

 それはもちろん、もっともだ。ただ、それだともう、一岡組とは縁が切れてしまうのではないか。他の遊びでは声をかけたりしているのかと聞いたら、絢音は小さく笑ってやはり首を振った。

「私の中ではもう切れてるんだけどね。積極的に疎遠にしてるわけじゃないけど、学校も違うし、そんなもんでしょ」

「私とは学校が変わっても疎遠にならんでね?」

 涼夏がそう言いながら、スッと手を伸ばして絢音の鼻をつまんだ。絢音がスッとその手を取って、周囲に気付かれないようにその指先をペロリと舐める。

「もし二人がいなかったら、もう少し声をかけたかもね」

「私たちのせい?」

「そうだね。私は今、涼夏と千紗都だけで十分満足してる。でもそれは、二人も同じでしょ?」

 答えをまるで疑っていない眼差し。少しも迷うことなく、涼夏が「んだね」と頷いた。

 もちろん、奈都も入れての話ではあるが、私も帰宅部活動だけで満足している。時々一人になる瞬間もあるが、その時間を埋めるために他の友達を作ったところで、どうでもいい薄い関係にしかならないだろう。

 音と声の溢れる店内でしばらく喋り、お腹が空いたので演奏が始まる前にパスタを注文した。絢音たちが裏に戻っていき、パスタを食べながら1組の子と涼夏の話に耳を傾ける。

 今は部活について話しているが、3人ともバラバラで、島井さんは卓球部、矢谷さんはアーチェリー部、戸和さんは手芸部らしい。いかにも部活動が盛んなユナ高らしい。

「さぎりんはずっと帰宅部なの?」

 涼夏が聞くと、3人は「どうだったかなぁ」と顔を見合わせた。

「確か、軽音部に顔を出したみたいなこと言ってたと思うけど、入ったんだったか、入ってから辞めたのか」

「私がさぎりと仲良くなった時は、もう帰宅部だったよ」

「一瞬だね。音楽性の違いとかかな」

 3人の話に、私はなるほどと頷いた。推測の域を出ないが、音楽性の違いはいかにもありそうだ。絢音と豊山さんとは合ったのだろうか。確か、サマセミの後、牧島さんの方から豊山さんに声をかけたと聞いている。

 そんなようなことを言うと、矢谷さんが「さぎり、西畑さんのファンみたいだしねぇ」と笑った。

「私も文化祭で聴いたけど、西畑さん、歌上手いよね」

「可愛いし勉強も出来るしギターも弾けるし、無敵だね。3組の帰宅部、どうなってるの?」

「ここは平凡組」

 涼夏が私と自分を指差して笑う。どう考えても涼夏は平凡ではないが、私が突っ込むまでもなく島井さんが首を振った。

「いや、可愛さと女子力MAXの涼夏が平凡なわけがない」

「私だけが平凡」

「野阪さん、学年中で有名人の自覚を持とうか」

 そう言って戸和さんが笑う。そんな自覚、もう3学期だがまったく持っていないし、そもそもどうして噂になっているのかさっぱりわからない。

 もし多少容姿が良かったとしても、学校ではほとんどメイクをしていないし、他にも可愛い子はたくさんいる。友達は3人しかいないし、趣味がないのを悩んでいるくらい、何も持っていない。

 ネガティブにならない程度にそう言うと、「そのミステリアスなところもいいんじゃない?」と教えられた。

「でも、今日喋ったら面白い子だってわかった」

「穏やかだよね。絶対に悪いこと考えてなさそう」

「滲み出るいい人感」

 果たしてこれは褒められているのだろうか。素直にお礼を言ったら、隣で涼夏が笑いを堪えるように肩を震わせていた。

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