第19話 文化祭 8(2)
文化祭の前日は半日授業で、午後からは各クラス、一斉に文化祭の準備を始めた。外では模擬店などのテントが用意されている。大半が部活のもので、うちのクラスからもたくさんの子が部活の手伝いに行ってしまった。それも計画通りだ。全員いても邪魔になるだけである。
「なんだかんだとここまで来たな」
教室の外に店名を書いた紙を貼っていると、川波君がやってきてしみじみと呟いた。ほとんどひと月、毎日放課後一緒にいて、何度も一緒に帰って、たくさん話をしてなお、私はまったく友情が芽生えていないが、川波君の方は大丈夫だろうか。
「終わるもんだね。まあ、私はあんまり何もしてないけど」
「いや、実作業も頑張ってくれたし、何より野阪さんはいてくれるだけで力になる」
なかなかナンパな台詞だ。可愛い女の子は見ているだけで幸せになれる。要するにそういう意味だろうが、そういう目で見られることを喜ばない女子も多い。
「それは人によっては反感を買う台詞だから気を付けてね」
そう忠告したら、川波君は軽やかに笑った。
「相手は選んでるよ。野阪さんは怒らないでしょ」
確かに、私は別に怒りもなければ喜びもない。極めてどうでもいいが、川波君は私にそっけなくされるのが好きなのだろうか。マゾだな。
「野阪さん、今日、前夜祭はどうするの?」
隣で貼るのを手伝いながら、川波君がさらっとそう言った。もちろんそれが本題だろう。
前夜祭とは、今日の17時から中庭の小ステージで行われるイベントで、有志がダンスやライブで文化祭を盛り上げようというものだ。当日は一般客もおり、羽目を外しすぎないよう言われているので、ユナ高の生徒だけで行われる前夜祭は、文化祭の中で一番盛り上がるとも言われている。
もちろん、文化祭自体を楽しみにしていた私は見に行くつもりだったが、涼夏はどうしてもバイトが抜けられなかったと言って、泣きながら帰ってしまい、装飾班のリーダーである絢音も、終わり次第バンドメンバーと合流すると言っていた。奈都は言うまでもなく部活の仲間と一緒である。
私が腕を組んで目を閉じると、川波君が強張った声で言った。
「よかったら一緒に行かない?」
「まあ、そういう誘いだろうとは思ったけど、もうちょっと普通にして」
呆れたようにそう言うと、川波君が大きく息を吐いた。こっちにまで緊張が伝わってくるが、別に行くと言ったところで、特別な関係になるわけでもない。単に中庭まで一緒に行って、同じものを見て解散するだけだ。
「一人で見るよりはましか」
大きくため息をつくと、川波君が全力で頷いた。
「そう思う。俺もそうだ」
「わかったから。江塚君は? 私は他に誰かいた方が嬉しいけど」
「俺は嬉しくない」
「私、準備の最中に、川波君と付き合ってるのかって、3人くらいから言われたんだけど」
げんなりしながらそう言うと、川波君は困ったように苦笑いを浮かべた。
「まあ、みんなそういうの好きだよな」
「私のことが好きなら、私に断らせないでね? 次の席替えまで無視し合う関係なんて、川波君も嫌でしょ?」
念のため、もう一度牽制しておくと、川波君は照れたように顔を赤くしてそっぽを向いた。
「キミは本当に男子の扱いに慣れてるね」
「人聞きの悪いこと言わないで。興味が無いだけ」
店名を貼り終えたので、テープを持って教室に戻った。店内はすっかり喫茶店の様相で、なかなかに夏の色合いだ。浴衣に合うかと言われるとなんとも言えないが、テーマ性があるのは大事だろう。
他の子に指示していた絢音を捕まえて教室の隅に連れて行き、一応前夜祭に川波君と行くことを伝えると、絢音はしばらく呆然と立ち尽くしてから、震える手で私の袖を掴んだ。
「私も涼夏も、千紗都を見捨てたわけじゃない……」
「いや、知ってるけど」
何が始まったのか、不思議に思って見つめると、絢音は無念そうに首を振った。
「私、莉絵とさぎりんに断ってくる!」
「いや、バンドを優先して。今日までの私の我慢が無駄になる」
「その我慢の行き着く先が、男子と二人で前夜祭なんて……。私、涼夏に合わせる顔がない!」
絢音が両手で顔を覆って、めそめそと嘘泣きを始めた。この茶番は何だろう。とりあえずわしわしと頭を撫でて慰めると、再び作業に戻った。
店のすべての飾り付けを終えて、残っているメンバーで、朝の搬入の段取りとシフトを確認した。最後に円陣を組んで「頑張ろー!」と青春っぽいことをしたら、少しだけ胸が熱くなった。今さらながら、無駄にした中学時代を惜しむ気持ちが湧いてくる。あの時、あの男子が告白して来なければ、私は3年間バドミントン部で楽しく過ごせたかもしれない。
たらればを言っても仕方ない。他人の行動は強制できない。せめて川波君は同じ轍を踏まないでほしいと願いながら、二人で中庭に向かった。まだ明るいが、ライブガチ勢がペンライトを持って騒いでいる。前の方はもみくちゃになりそうだったので、少し離れた場所からステージに目をやると、川波君が可笑しそうに笑って私の顔を覗き込んだ。
「楽しそうだね」
「楽しみだから来たんだけど」
「野阪さんと猪谷さんの印象が逆だった。最初、西畑さんを巻き込まないために手を挙げたのかと思ったけど、キミは文化祭が好きなんだね」
あの日の理由も裏の事情も、もちろん男子には一言も話していないが、さすがにこれだけ長くいれば気付くだろう。手を挙げたのは絢音のためだが、文化祭は楽しみだった。はっきりそう言うと、川波君は「それはいいことだ」と偉そうに言った。
やがて時間になって、テンション高めの司会の男女がステージに上がった。最初は2年の男子グループがダンスを披露して、同じく2年の女子グループがアイドルソングに合わせて踊る。ダンス部でもなく、ただの同じ学年の有志の集まりだが、なかなかキレがあって見応えがある。
音源に合わせてカラオケも披露され、疾走感のある曲の連続に、だんだんと会場が湧いてきた。友達がステージにいるか、あるいは友達と一緒にいたら私も声くらい出したかもしれないが、男子と一緒なのであまりはっちゃけるのは止めておいた。
結局開始から2時間、前夜祭を最後まで楽しんで校門をくぐる。周りにいるのはみんな、前夜祭を楽しんだ生徒たちばかりで、路上でもやかましく騒いでいる。苦情が来るほど遅い時間ではないが、大丈夫だろうか。
何を話すでもなく歩いていると、川波君が「どうだった?」と聞いてきた。
「よかったよ。できれば涼夏や絢音と見たかったけど、まあしょうがない」
「お役に立てず」
「一人よりはまし。ありがとう」
一応お礼を言うと、川波君が感極まったように体を震わせた。
「野阪さんにお礼を言われた!」
「いや、お礼くらい言うから!」
「そういう意味じゃない」
くだらないことを話しながら上ノ水まで歩いて電車に乗る。一人になってぼんやりと明日のことを考えていたらスマホが震えた。見ると涼夏からだったので、ひとまず切ってメッセージを送る。
家の最寄り駅で降りてかけ直すと、涼夏が泣きそうな声を上げた。
『千紗都!』
「どうしたの?」
『前夜祭、川波君と二人で見たって!』
「あー」
どうやら早速絢音から情報が共有されたらしい。別に何もなかったから安心してと告げると、涼夏が悲しそうな声で言った。
『それ自体がもう、何かあった後だから。事後だから!』
「事後とか言うな。川波君には、希望は無いって何回も言ってるから大丈夫だよ」
『私は心を鬼にして、もう一度千紗都の頬を叩かなくちゃいけない』
「やめて。何もないから!」
『今度ホームルームで、全員の前で千紗都とキスする! 私たちは付き合ってるって宣言する!』
「大丈夫だから! ちょっと落ち着け!」
私は呆れながらため息をついた。涼夏は男子の友達も多いし、絢音だって男子と一緒にバンドをやっていた。にもかかわらず、私ばかりこんなに心配されるのは、やはり隙があるように見えるのだろうか。
スマホの向こうで、涼夏が嘘泣きしながら喚いている。もう何を言っても子宮には響きそうになかったので、諦めて適当に謝っておいた。心配してくれるのは有り難いが、そもそも前夜祭というイベントを前に、部長を一人ぼっちにした部員の責任はもっと追及されるべきである。罰として、明日はしっかりと私の相手をしてもらおう。
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