第19話 文化祭 5

 誕生日当日は何事もなく過ぎた。朝、奈都がおめでとうと言ってくれて、教室では絢音と涼夏が、こっそりとお祝いしてくれた。他の子には一切誕生日を言っていないし、下手にプレゼントをもらっても、お返しが面倒くさい。誕生日が静かに過ぎていくのには慣れている。

 そうして授業を終え、文化祭の準備をしていたら、川波君が近付いてきて何やら不穏な包みを渡してきた。

「今日、誕生日だろ? これあげる」

「その情報はどこから得たの?」

「出生を調べさせてもらった」

「怖っ! 二度と私に近付かないで!」

 そう言いながらプレゼントを受け取る。「物だったらもらわないから」と言って包みを開けると、市販のクッキーだった。この男、よくわかっている。

「川波君、モテるでしょ」

 袋を開けて、クッキーを1枚口の中に放り込むと、川波君がニヤけた笑いを浮かべた。

「そう言うってことは、少なからず嬉しかったと解釈していい?」

「私は別に。一般論として」

「それはツンデレなの?」

「川波君、文化祭が終わった後に告白とかしないでね? 申し訳ないけど、1%の希望もないから」

 はっきりとそう言いながら、クッキーを1枚くれてやると、川波君は「野阪さんが手渡しでクッキーをくれた」と、嬉しそうに頬張った。迂闊だった。男子というのは、そんなくだらないことで喜ぶのか。気を付けよう。

 そんなふうに、絢音の誕生日も何事もなく過ぎていった。もっとも、こちらは豊山さんと牧島さんと3人でささやかなパーティーを開いたらしい。結局練習には一度も行けていない。せっかく誘ってもらったのにと謝ると、絢音が全力で首を振った。

「逆だから。千紗都が文化祭の準備を頑張ってくれてるから、私はのうのうと練習が出来るの。毎日神棚に感謝を捧げてる」

「私はその神棚にいるの?」

「祀ったよ」

 うっとりと目を細めて頬を染める。まるで最大の賛辞を述べたような表情だが、私は喜ばなくてはいけないのだろうか。まったく嬉しくなかったが、「ありがとう」とぎこちなく笑うと、絢音が顔を覆って肩を震わせた。

「この人、祀られて喜んでる……」

「違うし!」

 思わず声を上げたが、絢音はしばらく大きな声で笑い続けていた。


 文化祭の準備は順調に進んでいた。本番は来週で、前日は半日授業で全校準備日に充てられているが、そこでバタバタすることはなさそうだ。涼夏主催のパーティーは土曜日だが、準備のために学校に来る必要もなければ、気に病む必要もない。

 すでに完成した立て看板を涼夏と二人で眺めながら、自分たちの進捗を自画自賛していると、江塚君が苦笑いを浮かべながら言った。

「君たちは、少し自分たちでやり過ぎた」

「そう? 結構みんなに手伝ってもらったと思うけど」

 私は首を傾げて江塚君を見上げた。例えばこの看板も、美術部の子が描いてくれた。ただ、装飾は絢音がリーダーになったこともあり、全力で手伝ったし、業者の選定、仕入、会計、当日の動き、撤収、生徒会との調整、各種雑用はほとんど男子も含めた帰宅部員でやってしまった。

 一部には帰宅部が仕切り過ぎだという不満の声も出ていることは知っているが、そういう声は江塚君と川波君が引き受けてくれている。私たちはあくまで二人の指示で動いているだけということにしてくれているが、実際にはほとんど私たちが勝手に動いてやっている。

 ただ、結局お金を出したくない問題も、先生が立て替えることになった。説得してもどうにもならないことがあるように、部活で忙しい子や、やる気がない子に粘り強く言ったところでしょうがない。時間の無駄だと訴えると、江塚君は困った顔をした。

「過程に意味があるんじゃないのか? 会社じゃないんだし。極論を言ったら、4人だけでカフェが上手くいったとしても、それは文化祭が成功したことにはならない」

「そうかもね」

 私がそう微笑むと、江塚君は一瞬呼吸を止めてから、渋い顔で立て看板に目を戻した。隣で涼夏も目を丸くして、凍り付いたように私を見つめていた。何かおかしなことを言っただろうか。

 その日の帰り道で、私から聞くまでもなく、涼夏が先程の件を切り出した。

「今日の千紗都の『そうかもね』は震撼した。千紗都と出会ってから今日までで、一番怖かった」

「待って。意味がわからない」

 何か不穏な空気だったので、私は握った手を離して腕を組んだ。涼夏が歩きにくそうによろけながら、顔を近付けて言った。

「だってあれ、全然納得してないけど、面倒になったから打ち切っただけでしょ?」

「そうだけど」

 涼夏の言う通り、私は江塚君の意見に納得していなかった。もちろん、過程に意味があることはわかるし、本当に4人だけで完成させるのは違うと、私も思う。ただ、それはあくまで極論であって、実際にはたくさんの子が積極的に手伝ってくれている。100%全員が同じ方向を向くのは不可能だ。一部の出来ない人ややる気のない人を説得するのは無駄に感じる。

 そう言うと、涼夏は大きく頷いた。

「それはわかる。私も同じ。千紗都はそれを私には言ってくれた。江塚君には言わなかった」

「そりゃ、涼夏は大事な友達だから。江塚君とは別にわかり合えなくていい」

 はっきりそう言うと、涼夏は情けなく眉を曲げて、軽く私の頬にキスをした。

「ずっと、そうやってちゃんと気持ちを話してね。私、千紗都にあんなふうに話を打ち切られたら、たぶん本気で泣く」

「ああ、そういうこと?」

 ようやく意味がわかって、私は呆れながら笑った。これ以上話してもしょうがない。わかってもらえなくても構わない。意見を言うのも面倒だ。そんな感情を、私が涼夏に持つはずがない。逆に、もし涼夏にそんな態度をされたら、私だって泣く。実際に前に一度、涼夏に見捨てられたと勘違いして号泣している。

 私は涼夏に依存している。涼夏もそうなら嬉しい。くすっと笑って、先程のお返しに、そっと涼夏の唇にキスをした。


 週末、土曜日。私と絢音の合同誕生日会は生憎の雨だった。前日から予報で雨だとわかっていたので落ち込んでいたが、涼夏はあっけらかんと笑った。

「どうせ家に引きこもるつもりだから、どうでもいいよ」

 確かに、雨だから行くのが面倒という意味ではない。涼夏が外での遊びや街歩きを考えていないのなら、私たちは別に構わない。

 奈都と二人で涼夏の最寄り駅まで行くと、涼夏は足元の悪い中、迎えに来てくれていた。すでに来ていた絢音と喋っていたが、私たちを見つけて手を振った。

「いらっしゃい」

「家知ってるから、別に来てくれなくても良かったのに」

「家で時間までそわそわするのが好きじゃない」

「涼夏はそうだね。そういう人だ」

 私が大きく頷くと、涼夏が「なんだそれは」と不思議そうに首をひねった。雨の中を歩きながら、涼夏が明るい顔で奈都を振り返る。

「今日は幽霊部員のナッちゃんもいるし!」

「いつの間にか、私は完全に帰宅部の幽霊部員になってるんだね?」

 奈都が呆れたように肩をすくめる。既成事実を作ってしまえば、奈都もだんだん、帰宅部をサボっていることに罪悪感を覚えて、部活に顔を出すようになるだろう。涼夏がそう訴えると、絢音が可笑しそうに頬を緩めた。

「帰宅部をサボるの二重否定感、すごいね」

「真面目にバトン部やってるのに、ひどい言われ様だ」

 奈都が冗談とわかるように大袈裟に首を振った。強引なのは承知だが、この馴染み様は、もはや帰宅部のメンバーと言っても過言ではない。私は微笑みながら奈都の肩に手を置いた。

「バトン部の助っ人お疲れ様」

「助っ人じゃないから!」

「バトン部、どう?」

 絢音がふんわりと尋ねる。抽象的な質問だったが、奈都は練習や文化祭の話をしてから、満足そうに頷いた。

「みんなのやる気も、前より上がって来てる気がする。あんまり熱血でも困るけど、だらだらやるのも好きじゃないから、今丁度いい塩梅」

「ミイラ取りがミイラになるってヤツか」

 そっとため息をつくと、奈都が「誤用だから!」と声を荒げた。この子はいちいち反応が大袈裟で面白い。涼夏が陽気な口調で言った。

「ミイラ取りは、どうしてミイラを取りに行ったの? ミイラなんて、欲しいか?」

「比喩の話?」

「語源の話」

 涼夏が隣に顔を向けると、絢音がなんでもないように言った。

「ミイラは薬だったんだよ。正確には、薬だって信じられてたっていうの? 不老不死的な」

「アヤは2学期も頭がいいね」

 突然奈都がそう言うと、涼夏が可笑しそうにお腹を押さえた。

「その台詞は頭が悪そう」

「どうして! 2学期は私、涼夏に勝つから。全勝する」

「突然のライバル宣言? いいよ。ナッちゃんが勝ったらアイス奢ってあげるから、私が勝ったら帰宅部に入って」

「全然等価じゃないんだけど!」

 二人がけらけらと笑う。すっかり仲良しで微笑ましい。

 それにしても、ミイラが薬とは、昔の人は考えることが超越している。ミイラは元は人である。カニバリズム的なヤツだろうか。食べた相手の能力を吸収するとかは、ゲームやマンガではありそうだ。

「私も涼夏を食べたら、涼夏みたいに可愛くなれる」

 ぽそっと呟くと、勢いよく喋っていた涼夏と奈都が、ピタッと話すのを止めた。突然雨の音しかしなくなって、首を傾げて3人の顔を見回した。

「どうしたの?」

「いや、今の、何?」

「涼夏は、もし私を食べても、何も得られないと思う。涼夏って、私の完全な上位互換じゃない?」

 同意を求めるようにそう言うと、3人はしばらく顔を見合わせてから、何事もなかったかのように歩き始めた。ひどい反応だ。極めて遺憾だと訴えると、涼夏が憐みの目で私を振り返った。

「千紗都の思考は、人類には早いんだよ。ついて行きたいとは思ってるけど」

「いや、太古の話をしてるんだけど。今日、涼夏が体にリボンを巻いて、私が誕生日プレゼントとか言ったら、私はステーキにして食べる」

「言わないし! 友達を食べるな!」

「涼夏みたいに可愛くなりたい」

「もう十分可愛いから! ナッちゃん、この人怖いよぉ」

 涼夏が奈都に泣きつくと、奈都も怯えたように首を振って、私から一歩距離を置いた。

「私も怖い。チサの外見をしてるけど、中身は昨日までとまるで別人だ……」

 奈都が芝居がかった口調でそう言うと、絢音が突然大きな声で笑い出して、体をくの字に折り曲げた。

「もうダメ! みんな、面白い! もうダメ!」

「いや、面白くないから! 笑ってないで助けて!」

 涼夏が悲鳴を上げながら、絢音の腕を掴んだ。ツボに入った絢音がくすぐったそうに身をよじったので、代わりに私が涼夏の肩に触れた。

「何を怯えてるの? 後で二人きりで話そっか」

「食べられる! 今、フラグの立つ音がした!」

「どうか体中に、塩をたくさんもみ込んでください」

 絢音が息絶え絶えにそう言って、もうこれ以上笑えないと片手で涼夏に抱き付いた。嘘泣きしている涼夏を、奈都がよしよしと慰める。よくわからないが、みんな楽しそうで何よりだ。

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