第18話

「はぁ⁉︎ ありえませんわ!」


 耳をキーンと刺すようなセイラの声が響いた。


 空飛ぶペンギンなんて存在しない!

 そう主張するくらい、マナトに注がれる語気は強かった。


「チトセさんが避妊具を落とした男だなんて、ありえませんわ!」

「わかっております、お嬢様」


 マナトはまあまあとなだめる。


 肝心なのはこの先。

 セイラを説得して協力してもらわねば。


「私もチトセ様は白だと思っております。99%白、いえ、100%白でしょう。チトセ様の白を確定させておきたいのです。だってチトセ様は潔白なのですから」


 チトセ=無罪の部分を強調しておいた。

 セイラのまぶたは怒りでピクピクしているが、マナトはひるまない。


「それにチトセ様はお嬢様の右腕、かつ、腹心のような立場。万が一、裏切られるようなことがあっては、消えない恥となります。絶対にありえないと思いますが……」

「たしかに。一番の脅威ではありますね」


 セイラは頭の回転が速い。

 往々にして冷たいイメージを生み出すが、生まれ持った慈愛のようなものが、今回は勝利していた。


「チトセさんは私の親友です。疑いたくはありません。ですが、証拠がないのに、贔屓ひいきして無実と決めつけるわけにもいきません。それで? マナが用意している作戦というのは?」


 きたな、とマナトは思った。


「それほど複雑な話ではありません……」


 ゴニョゴニョゴニョ。

 あらかじめ用意しておいたセリフを耳に入れる。


「いささか強引な気がしますが……」

「背に腹はかえられぬ、というやつです。1週間に1人のペースで無罪証明したのでは、50人を洗うのに1年かかかります」

「マナのおっしゃる通りね。時は金なり、ね」


 私はこれからお風呂に入る、とセイラがいった。

 バスタオルとか、新しい寝巻きとか、マナトはもろもろを用意してあげる。


 よかった。

 セイラが動いてくれて。


 ここの生徒が男じゃないと証明する方法。

 そのためには肉体的な接触が必要……となる場合もある。


 シスター・ユリアのケースで痛感した。

 セイラとの連携がないと、この事件解決は難しい。


 送られてきた謎の手紙。

 あれはセイラに見つからない場所に隠している。


 私は犯人を知っている?

 そいつは四ツ姫の中にいる?


 ふざけるな! とマナトは思う。

 手紙の差出人……仮に容疑者Xと呼んだとしよう。

 犯人としてもっとも怪しいのは容疑者Xに他ならない。


 自分が避妊具を落としてしまった。

 そのせいで聖クローバー女学院がハチの巣をつついたような大騒ぎとなった。


 ほとほと困った容疑者X。

 よし、四ツ姫に罪をなすりつけよう、と思い立ったのではないか。


 一方でこうも思う。


 シスター・ユリアのいたずらじゃないか?

 マナトに手紙を送りつけて遊んでいるのでは?


 というのも、マナトが犯人探しに血眼になっているのを知るのは、セイラとシスター・ユリアの2人なのだから。


 あるいは……。

 1ミリも考えたくないが……。


 マナトは浴室のドアをにらんだ。

 シャワーの水音が、心地いいBGMのように響いてくる。


「まさか……な」


 一瞬でも疑ったことを恥じておく。


 セイラはご主人様。

 マナトは従者。


 たとえ世界のすべてを敵に回しても、マナトだけはセイラの味方なのだ。


 くつめろといわれたら靴を舐める。

 みんなの前でハイハイしろといわれたらハイハイする。

 そのくらいの心の準備がある。


「すみません、マナ」


 ふいに浴室のドアが開いて、セイラが首から上をのぞかせた。


「私がつかっているボディソープが切れてしまいました。新しいのを取ってくださらない。洗面台の下にある収納に入っております」


 すぐ指示に従った。


「お待たせしました。交換が後手に回ってしまい申し訳ありません」


 といって両手で差し出す。


「洗ってくださらない」

「はぁ?」


 ボディソープを取り上げたセイラがあやしく笑う。


「気安く謝らない。以前に約束しましたよね。それなのに、申し訳ありません、が口から出ました」

「ッ……⁉︎」


 しまった!

 慌てて口を押さえたが、すでに手遅れだった。

 16年間染みついてきた習性は、そう簡単に抜けないらしい。


「ほらほら、私の背中を流しなさい」

「ですが……しかし……それは……」


 鏡に映っているマナトの顔はゆでタコみたいに赤い。


「あら? 私の命令に逆らうのかしら? これはペナルティなのに?」

「うぐぅ……」


 マナトは仕方なく靴下を脱いだ。

 スカートがなるべく濡れないよう、太ももで挟んでおく。


 あかすりタオルにたっぷりのボディソープを垂らした。

 粘り気のあるミルク色のそれをゴシゴシと泡立てていく。


 初めてじゃない。

 セイラが法隆の屋敷にいたとき、よく浴室に呼ばれた。

 けれども、あの頃と比べて、セイラの体は大人の女性に近づいているのであって……。


「お体、失礼します」


 タオルをセイラの背中に押し当てる。

 お気に入りの力加減はよく分かっている。


 赤ちゃんを愛でるようなストロークで。

 毛穴の一つ一つまで洗うように。

 心を無にして手だけ動かす。


「うふふ」


 セイラの口から微笑がこぼれた。


「こそばゆいですか?」

「いえ、昔を思い出してしまって。互いの背丈は大きくなっても、変わらないものはあるのですね」

「はぁ……」


 変わらないもの。

 何を指しているのか不明であるが、その7文字は、とっても甘美な響きを帯びていた。

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