第19話

 土曜日がやってきた。

 マナトが編入してきて、はじめての週末である。


 田舎の景色が流れていく。

 いつぞやの牛飼いおじいちゃんとすれ違う。


 そう、マナトは外出している。

 バスの座席にポツンと座って、聖クローバー女学院から30分の距離にあるという、JRの駅を目指している。


 横に座っているのはセイラではない。

 くりっとした瞳が愛らしい、もう1人の四ツ姫様。


「ほら、もうすぐバスが着きますよ」


 チトセはそういって、マナトの手をちょこんと握った。

 まるで姉が妹に対してするように。


「セイラさんからマナさんを預かったのです。今日は私がしっかりリードしますね」

「お言葉ですが……」


 マナトは、こほん、と咳払いしておいた。


「チトセ様が道に迷ったり、逆方向の電車に乗らないよう、注意しておきなさい、とセイラお嬢様から言いつけられております。過去に3回ほど、知らない駅にいったことがある、1人で帰れなくなった、と聞いております」

「やだ、恥ずかしいわ」


 チトセは子どもっぽい声を出して、両手で顔を隠してしまった。


 このお嬢様は天然……いや、ド天然なのである。

 それでも生徒会に選ばれるくらいだから、セイラのようなリーダーの下では、かなりの実務能力を発揮するものと思われる。


「今日は私がチトセ様のナビゲーターです。道案内は私にお任せください」

「は〜い」


 お姉さんっぽいことができなくて、チトセは不服そう。


 マナトは声に出さないように笑った。

 これほど無垢むくな人、避妊具を落とした犯人であるはずがない。


「1つよろしいかしら、マナさん」

「はい、なんでしょう」


 チトセの手が、今度はマナトのあごに触れた。

 俗にいうあごクイだろうか。


「様呼ばわりはナシにしませんか? さん付にしませんか? 私とマナさんは対等な同級生なのです」

「…………」


 マナトは沈黙した。

 返事に迷ったから、ではない。


 さっきまで天然キャラ丸出しだったチトセが、りんとした、有無をいわせぬ、聖女のような笑みを浮かべていたからだ。


 見つめられただけなのに胸の奥がジーンとなる。

 こんな感覚、セイラ以外では初めてだ。


 そして理解する。

 佐々木チトセは四ツ姫の一角。


 家柄や血筋だけじゃない。

 ご令嬢としての素質を備えている。


「……はい」


 喉に引っかかった言葉がうまく出てこない。


「……チトセさん」


 もちでも吐き出すような苦しさで、チトセの名前を呼んだ。


 ところが、さらに驚く。

 チトセの反応に、である。


「あら、嫌だわ!」


 マナトに向かってペコペコと頭を下げてきた。


「あなたに向かって、暴言とか、脅迫まがいのことをいってしまいました」

「いえ……暴言でも脅迫でもありません」

「それでも、偉そうに振る舞ってしまいました」


 オーマイガーと表現するように頭を抱えてしまった。


 ショックを受けている背景はこうだった。

 チトセ兄の忠告らしい。


『いいか、チトセ。偉いのは佐々木の血であって、お前ではないのだぞ。生家の実力と、お前自身の実力を、ゆめゆめ履き違えるでない。特に女学院に入ったら、周りの生徒たちが、家来みたいに寄ってくるから』


 ふ〜ん。

 あのボンクラ兄。

 たまには正しいことを教えるらしい。


 しかし、さっきのチトセ。

 数秒だけ女王様のようなカリスマ性を発揮してきた。


 マナトが呑まれたのだ。

 いくら油断していたとはいえ。


 のほほんとしているチトセ。

 キリッとしているチトセ。


 二面性というか、ギャップというか、同一人物とは思えない。


「すみません、お嬢様に定時連絡しておきます」


 バスから降りたあと、マナトは携帯を取り出した。


「セイラお嬢様、私です、マナです」

「どうです? 道中に変わったことはありませんでしたか?」

「はい、問題ありません」


 チトセと2人で向かうのはショッピングモール。

 ここから電車にのって、さらに30分移動する。


「おほん……もう一度確認です……チトセさんに変なことをされませんでしたか?」

「変なこと、ですか?」


 チトセに聞こえないよう、マナトは小声で返した。


「手を触られたり、頭をなでられたり……ハ、ハ、ハ、ハ、ハグとか⁉︎」


 マナトはぷっと笑った。


「そりゃ、手と手の接触はありましたよ。ですが、学友として起こりうる範囲内です。その他、変わったことはありません」

「う〜む……それなら仕方ありませんね」


 心配性だな。

 今日の目的はショッピングなのに。


「いいですか。くれぐれもあなたの正体がチトセさんにバレないよう、細心の注意を払いなさい。そのためにも、肌と肌の接触は最低限に留めること」

「はい、承知しました。お嬢様も生徒会のお仕事、がんばってください」

「ふむ」


 電話を切られた。

 マナトはやれやれと携帯をポケットに突っ込む。


「マナさ〜ん!」


 無人駅のホームからチトセが手を振っていた。


「電車がきましたよ! 急いでくださいまし!」

「ッ……⁉︎ チトセさん⁉︎」


 逆! 逆!

 それは反対方向!

 声とジェスチャーの両方で教えてみたのだが……。


 ぷっしゅぅ〜!

 チトセをのせた電車のドアが閉まってしまう。


 ああっ⁉︎

 もうっ⁉︎

 あまりに悔しかったので、ちびっ子みたいに地団駄を踏んでいた。




《作者コメント:2021/05/01》

明日の更新はお休みします。

次回は5月3日を予定しています。

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