第10話

 女学院で生活するにあたり、マナトは日記をつけることにした。


 ミッションは犯人探し。

 見たこと、聞いたこと、感じたことの3点をメモに残しておけば、何らかの役に立つかもしれない。


 初日に自己紹介した人物は2人。


 シスター・ユリア。

 ここの理事長で、マナトの正体を知っている人。

 気さくな性格をしており、人望もあるみたいだから、いざという時に頼れる大人といえる。


 剛田・ウランバートル・アケミ。

 はちきれんばかりの筋肉をまとった女子陸上界のホープ。

 見てくれは女戦士アマゾネスだが、その実は優しい心の持ち主であり、セイラとは互いにリスペクトし合う間柄といえる。


 まったく知らない世界に飛び込んでしまった。

 当たり前の実感が、ようやく湧いてくる。


「ふう」


 マナトはペンを置いて窓辺に寄った。


 ウッドチップを敷きつめたフカフカのジョギングコースを、何人かの女学生が走っている。

 芝生のところでは動きやすい服装でキャッチボールしている2人組の姿があった。


 怪しいと思えば全員が怪しく思えてくる。


 ベンチで本を読んでいるポニーテールの少女も。

 庭のところで土いじりしている黒縁くろぶちメガネの少女も。

 マナトのように女装している男かもしれない。


 えんじ色のカーテンをギュッと握ったとき、部屋のドアが開いた。

 入ってきたのはセイラとアケミで、夕食がのったトレーを持っている。


 お嬢様の手をわずらわせてしまった。

 落ち度に気づいた瞬間、マナトの体温は1度くらい上がった。


「申し訳ありません、お嬢様。それに、アケミさんまで。本来であれば、私が雑務を引き受ける立場というのに」


 反省しきりの従者に向かって、セイラはほがらかな笑みをくれる。


「いいのですよ、マナ。ここはお屋敷ではなく女学院なのですから。私だって、自分でできることは自分でやります」


 マナトが食べる夕食を、アケミは目の前に置いてくれる。


「力仕事は私に任せなさい。あと、高いところにある物を取るのは得意だわ。気兼ねなく声をかけてちょうだい」

「ありがとうございます、アケミさん」


 2人の優しさが胸にしみて、マナトは深々と頭を下げた。


「それじゃ、私は食堂で食べてくるから」


 アケミが出ていったので、セイラと2人きりになる。


「ここの食事について説明しておくと……」


 それぞれの寄宿舎には食堂がついている。

 みんなと一緒に食べてもいいし、自室でゆっくり食べてもいい。


 食事は基本、1日に3食。

 里帰りとかで不要なときは、あらかじめ申告しておく。


 これは休日限定だが、お弁当を用意してもらうことも可能。

 きれいな自然の中で学友とピクニックできるのだ。


「お嬢様はいつも自室で?」

「いいえ、食堂で食べることの方が多いですわ。生徒会の仕事が立て込んでいたり、テスト勉強で忙しいときは、自室でゆっくり食べますが」


 マナトのために気を遣ってくれたらしい。

 大切な人に迷惑をかけた恥ずかしさで、かあっ、と頬っぺたが熱くなる。


「勘違いしないで。今夜、マナを食堂へ連れていったら、周りから質問攻めにあいます。それでは落ち着きません。私が自室で食べたくて、自室で食べているのです」

「すみません。わざわざ合わせてもらって」


 マナトの返事が気に入らなかったのか、セイラの表情がムスッとした。


「あなたはすぐに謝る。改善すべき癖ですわ」

「そうわいわれましても、従者たる者、至らぬ点があったときは謝るのが当然です」

「いいえ、違います。すぐに謝ると、謝罪の重みも減ってしまいます。ゆえに、すぐに謝るのを禁止します」


 そんな無茶な、と思った。

 店員さんに向かって、いらっしゃいませ、をNGワードに設定するような暴挙である。


 しかし、セイラの命令は絶対。

 変な命令ではあるが。


「承知しました。謝る回数を減らすようにします」

「よろしい。あなたは有能なのですから。どんと胸を張っていなさい」


 セイラの視線が窓の外を向いた。

 銀盤のような月を見ているようだが、手はマナトの指をにぎにぎしている。


「今日が何の日かわかりますか?」

「いえ、わかりません」


 すみません、と続けそうになり、ぐっと飲み込んだ。


「私とマナが、およそ1年ぶりに食卓を囲んだ、その記念日なのです」


 セイラがふっと笑う。

 マナトも釣られて笑う。


「さあ、さっさと食べてしまって、お風呂に入って、一緒に寝ますよ」

「寝袋か簡易ベッド、本当に用意していただけないのですか?」

「ダメです。私のお話にたっぷり付き合ってもらいます」


 やれやれ。

 長い夜になりそうだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る