第4話

 車で5時間の大移動だった。

 セイラ、マナト、キャリーバッグをのせた法隆家の車は、のどかな田舎風景を突っ切っていく。


 途中、牛とすれ違った。

 腰の曲がったおじいちゃんが手綱たづなを引いて、カタツムリみたいなスピードで散歩させている。


 本当にこんなところに女学院はあるのか?


 そんな不安はすぐに吹き飛んだ。

 お皿を伏せたような丘陵きゅうりょうの上に、ヨーロッパの修道院のような建物が、ポツンと見えたのである。


 あれが聖クローバー女学院の敷地。

 セイラが1年間過ごしてきて、これからマナトも住むことになる空間が、絵本から切り取ったように存在している。


「あら、いけない。私が一方的にしゃべり過ぎてしまいましたわ」

「かまいません。お話を続けてください」

「さすがに退屈ではなくて?」

「楽しいです。とても」


 移動のあいだ、セイラはマナトのことを知りたがった。

 それ以上にマナトはセイラのことを知りたがった。


 1年間のブランクを埋めるのに、5時間の会話だけでは、あまりに物足りない。


「まだ不安なのですか、マナトは?」

「当然です。執事としての教育は受けてきましたが、女になりすます訓練は積んでいません。それに、私が男だと発覚したら、法隆家の名折れでしょう」

「心配いりませんわ」


 セイラのきれいな指が、リボンの位置を直してくれた。


「マナトは……いえ、マナはとっても美しいです。私の自慢のお供なのです。自然に振る舞っていれば、怪しまれることは絶対にありません」

「ですが、声が心配です。こればかりは化粧けしょうで誤魔化せるものではありません」

「ハスキーな声ですよ。とってもステキです」

「はぁ……」


 窓の外を見た。

 半透明のマナトが、ガラスに映っている。


 これが自分。

 海馬マナとしての姿。

 16年間セイラにお仕えしてきた同い年の女の子……という設定。


 ふいにスカートの内側がスースーしてきた。

 覚悟は決めているつもりだが、慣れないものは慣れない。


「いいですか、マナ! よく聞きなさい!」

「はい、お嬢様」


 セイラが自信ありげに腕組みしたので、マナトは背筋をピンと伸ばした。


「いま、聖クローバー女学院は、未曾有みぞうの危機に直面しています!」

「はい」

「どの生徒が男か分からない、ゆえに全員が疑心暗鬼になっています!」

「はい」

「もちろん、私たち以外にも、避妊具の落とし主を探そうとしている篤志家とくしかがいるかもしれませんが……」

「はい」

「そうはさせません! 手柄はこの法隆セイラがもらい受けます!」

「つまり、他の誰よりも目立ちたいわけですね?」


 ズルッ!

 図星だったらしく、ぐぬぬ、の声が返ってきた。


「私は聖クローバー女学院の生徒会長なのです。そこらへんの生徒会長とは、わけが違うのです。有能であることを、いついかなる場所でも、示す義務があるのです」


 セイラがぐいぐい距離を詰めてきた。


 近い! 近すぎる!

 1年間も離れていたせいか、幼馴染のような存在だったセイラのことを、1人の異性として意識してしまう。


 高嶺たかねの花。

 絶対に手が届かない存在。

 そう割り切るには、あまりにも近いのだ。


「どうして私を避けるのです、マナ」

「そりゃ、避けますよ。だって、私は男……」


 唇にチャックをされてしまった。


「あなたは女の子。私の姉妹も同然。いいですね」


 コクコクとうなずく。


「ふむ……」


 おもしろいことを閃いたのか、セイラの形のいい眉が持ち上がった。


「あなた、私の胸に触れてみなさい」

「はい⁉︎」


 耳を疑った。

 そんなことをすれば死罪……とはいかなくても、法隆家から追放されかねない。


「なに、制服の上から軽くタッチするだけです。女学院で生活していたら、うっかりの事故も起こるでしょう」

「ですが……しかし……」

「いちいち赤面していたのでは、マナが男だと疑われてしまいます」

「それは困ります。とっても困ります」

「でしょう。だったら……」


 マナトが触れやすいよう、たわわに実ったフルーツのようなそれを、セイラはぐい〜っと突き出してくる。


 セイラの体は法隆家の宝物。

 その胸には計り知れない価値があるというのに。


 触れてみたい。

 けれども触れられない。

 火炎と冷水のような想いが、凶暴なドラゴンの姿となり、しのぎを削り合っている。


「主人からの命令です。私の胸にタッチしなさい。最低でも3秒はタッチしなさい。あなたに拒否権はありません。さあ、これも訓練の一環なのです」


 ひえぇぇぇ⁉︎

 マナトは内心で悲鳴を上げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る