第3話

 心外だな、とマナトは思った。

 チェスの駒のように扱われたことが、である。


 いまの高校は休学すればいい。

 明日から聖クローバー女学院に入りなさい。


 お金持ちの横暴というやつだろう。

 もうちょっと気の利いた言い方、


『こんな無茶を頼めるのは、この世にマナト、あなた1人しか存在しないのです』


 そういって手を握ってくれたらいいのに。

 マナトは従者の立場だから、


『ならば仕方ありませんね』


 二つ返事でOKしたはず。


 いつだって頼られたい。

 向こうが上の立場であったとしても。

 古代より変わらない男心というやつではないか。


 ささくれ立ったマナトの心は、


「ほら、できましたよ」


 セイラの声を耳にした瞬間、にわかに静まった。


 鏡を見せられる。

 そこにマナトが映っている。


 よく知る自分だ。

 顔のパーツは変わらないのに、1時間前とまるっきり異なっている。


 女になっている。

 つまり、メイクを施されている。


 ドキドキしたのは女装のせいじゃない。

 セイラの手が伸びてきて、マナトの顔を包むように挟んだから。


「かわいいですわ。このりんとした表情、賢そうな目つき、まさに大和やまと撫子なでしこですわ」

「勘弁してください。聖クローバー女学院へいけば、いくらでも真の大和撫子がいるでしょう」


 真の部分を強調してみたが、セイラには響かなかったようだ。


 もう一度鏡を見てみる。

 とても不快な記憶、昨年の文化祭を思い出して、顔をそらした。


「聞きましたわよ。マナトの学校で女装コンテストがあって、クラスの代表として出場したのでしょう」

「どうしてそれを⁉︎」


 かあっと体温が急上昇した。


「だって、写真を見せていただきましたもの。女装したマナトは、とてもステキでしたわ。そのことを思い出した瞬間、この計画を閃きましたの」


 あのクソ親父〜、とマナトは怒った。

 女装コンテストのこと、セイラにだけは知られたくなかったのに。


「かわいいです、マナト。あなたのような妹が欲しかったです」

「あのですね……男に向かってかわいいは、完全に虐待ぎゃくたいでしょう」


 セイラはうっとりしており、こちらの苦言が耳に入っていない。


「それより、名前はどうするのです? 海馬マナトでは、明らかに怪しまれるでしょう?」


 ずっと気になっていたことを質問した。


「その件については、私に考えがあります。聖クローバー女学院には、海馬マナとして書類を提出しておきました」


 マナトからマナへ。

 覚えやすいから助かる。


 聖クローバー女学院の制服を渡された。

 その場でそでを通してみる。

 サイズはぴったり。


 くるりと一回転してみた。

 プリーツスカートのすそが傘みたいに膨らんだ。


 かわいいのか?

 セイラがいうのなら、そうかな、という気はする。


「ねえねえ、写真を1枚撮らせてください」

「写真を撮って、どうするのです?」

「お守りにします」


 マナトはやれやれと首を振ってから、指示されたポーズを決めた。

 1枚といったはずなのに、洪水のようなシャッター音が降ってくる。


「ステキですわ。私のお供が務まるのは、この世でマナトだけです」

「やけに嬉しそうですね。女学院の非常事態というのに」

「だって、仕方ないじゃないですか」


 セイラは髪をひと房すくって、同情を誘うみたいに、指先でイジイジした。


「夏休みと冬休み、せっかく家に帰ってきましたのに、マナトは不在でしたから。こうして話せるの、1年ぶりというのに……」


 セイラの匂いが一気に濃くなった。

 抱きしめられたと理解するのに3秒かかった。


 これはいけない。

 セイラは主人で、マナトは従者。

 見つかったら怒られてしまう。


「お嬢様、いけません」

「昔はあんなに一緒だったのに……」

「それはお互いに子どもだったから」


 ノック音なしにドアが開いて、セイラの母が入ってきた。

 セイラは慌ててハグを解き、マナトの襟首えりくびを整えるふりをする。


「あらあら、とっても似合っているわ。さすがマナト。花も恥じらう乙女ね」


 さすが母娘ときうべきか。

 セイラと似たような感想が返ってくる。


「どう? 動きにくくはないかしら?」

「まったく問題ありません、ご婦人」


 ぺたぺたと全身を触られた。

 昔からこんな感じだから、もう1人の母のような存在である。


「セイラのこと、よろしく頼んだわよ」

「もちろん、全身全霊でお守りします」


 うふふ、と品のある微笑ほほえみをくれた。


 不思議だな。

 2人の顔はまったく似ていないのに。

 声とか、性格とか、形じゃない部分はよく似ている。


「この子ね、いつも強がっているけれども、本当は寂しがり屋で、甘えん坊で、誰かにかまって欲しくて、1人の時間が苦手で…………て、マナトは一緒に育ってきたから、誰よりも知っているわよね」

「ちょっと、お母様!」

「もちろん、知っております」

「マナトまで!」

「夏休みと冬休みなんか大変でね。屋敷に帰ってきたとき、マナトがいなかったから、カンカンに怒っちゃって、あなたの父を困らせたのよ」

「ああっ! もうっ! それは黒歴史ですわ!」


 1年ぶりに元気そうな叫び声が聞けたので、マナトは声に出さないように笑った。

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