第3話

 むしゃむしゃ。

 ぺろぺろ。

 あいすくりーむというものは、本当に美味しいものです。甘く、冷たく、それでいて温かい味がします。

 わたくしとホウリは、太郎様と花子様が召し上がっているあいすくりーむのお相伴しょうばんにあずかっている最中です。

 今いるのは、いつもの教会。平日であるため、人はほとんどおりません。それをいいことに、田中のご兄妹は大きなかっぷあいすを買ってきて、教会堂の中で食べているのでした。

 季節に似合わず、暑い日でした。

 それで、花子様があいすが食べたいと言いだし、こういうことになったのでした。

 わたくしとホウリは太郎様や花子様の邪魔にならないよう、小さな体のまま端からあいすくりーむを食べています。わたくしたちが食べていることを気にした様子もなく、田中のご兄妹は木のさじであいすを食べました。

 ああ、あいす。なんて美味しいのでしょう。

 そうしていると、近付いてくる人がありました。

 エリヤ様でした。

 エリヤ様はいつものように聖書を携えて、わたくしたちがあいすを食べているのを微笑んで見つめました。

「……今日は、暑いね」

 エリヤ様も外の暑さを感じているのでしょう、そうおっしゃいました。

「アイス、おいしそう」

「食うか」

 太郎様が提案します。それにエリヤ様が頷いたので、太郎様は匙であいすをすくいました。

 エリヤ様は腰をかがめて、太郎様が差し出した匙を口に含みました。そうして体を起こすと、天使のように微笑みました。

「おいしい」

「それはよかったな」

 エリヤ様は田中のご兄妹の前の席に腰を下ろし、お相伴にあずかって一生懸命あいすを食べているわたくしたちを見下ろしました。その表情の優しいこと。年頃とは思えません。

「……この頃は、どう?」

「いい仕事ができたわ」

 あいすを口に含んで、花子様はそう言いました。

 小さなオルガンのそばには、相変わらずヨハネスがいます。ヨハネスは空っぽの表情をしたまま、虚空を見つめていました。あいすの甘い香りなど、その鼻には届いていないのでしょう。

「……そう」

 エリヤ様が微笑みます。

「どんな様子だったの?」

「泣いてばかりいる赤ん坊に我慢の限界が来て、蟲の世界に落としたらしい」

「……そうなの」

 教会堂の青い光の中、エリヤ様の表情は神秘的でした。太郎様の言葉を聞いて、エリヤ様は聖書を開くと、それを読み上げました。

「無慈悲、憤り、怒り、怒号、ののしりなどを、一切の悪意とともに、すべて捨て去りなさい。互いに親切にし、優しい心で赦し合いなさい。神も、キリストにおいてあなたがたを赦してくださったのです」

 聖句を読み上げると、エリヤ様は聖書を閉じました。

「こうとも書いてあるの……。愛のうちに歩みなさいと。わたしたちにできることは、愛のうちに歩むことだけ」

「だが、どうしても愛せない相手というのはいる。それが子どもであろうと、親であろうとだ」

「そういうときは、主に助けを求めるの……。愛せないわたしを憐れんでくださいと」

「そんなに簡単じゃないさ」

「愛は感情じゃないわ……。決意の問題。愛する決意、それが大事なの。そうすれば、感情は後からついてくるから」

「そんなものか」

「そういうものよ」

 太郎様はあいすをくちに運びました。わたくしも夢中になって食べています。

 そうしていると、花子様のすまーとふぉんが鳴り出しました。花子様はあいすを頬張ってから、すまーとふぉんを手にしました。

「ええ。ええ。そうなのね。でも今アイスを食べているから。行くのはそれからね」

 簡単に会話を済ませると、花子様はすまーとふぉんをしまいました。

「兄様。お仕事だわ」

「そうか」

 お二人はあいすをくちに運びます。実にのんびりしたものです。

 エリヤ様はそんなわたくしたちを微笑んで見つめてから、オルガンに向かいました。

 そうして、弾きながら歌い始めます。

「谷川の流れを慕う、鹿のように……主よ我が魂、あなたを慕う……」

 聴いているのかいないのか、ヨハネスはオルガンの横でぼうっとしています。

 実に静かで、優しい時間でした。



 その家に着いたのは、結局夜になってからでした。アイスを食べ終えるのに時間がかかり、それから遠くのこんな土地へ来たものですから、遅くなってしまったのです。

 向かった家は、白い壁の古い戸建てでした。前庭は荒れていて、あまり手入れがされていません。家全体も掃除がされているのかどうかと言うありようで、ガラス窓は曇り、街灯の光をぼんやりと反射しています。

 太郎様と花子様は玄関の呼び鈴を鳴らすと、中から人が出てくるのを待ちました。

 この家に住んでいらっしゃるのは、藤村ふじむら孝則たかのり様という方と、その妻結子ゆいこ様です。孝則様も結子様もご高齢で、八十を超していらっしゃいます。特に結子様のほうは認知症を発症しており、徘徊が多いとか。孝則様はそんな結子様を介護していらっしゃいましたが、十日前、結子様が消えてしまいました。

 当初はいつもの徘徊かと思われましたが、いくら警察が捜しても見つかりません。その話を聞きつけた夜船様が、これは蟲の関わりを感じるとおっしゃって、田中のご兄妹に依頼したという次第です。

 暫く待つと、中から孝則様が顔を出しました。

「ああ……あなた方が、そうですか」

 物腰の柔らかい、丁寧なお声です。

「そうだ」

「……どうぞ、お入りください」

 孝則様は太郎様と花子様をリビングへ招き入れました。廊下や壁、色々な場所に手すりや蓄光テープが設置してあり、バリアフリーに改装されているのがよく分かりました。これも全て、結子様の為なのでしょう。

 テーブルの椅子に向かい合って座ると、孝則様は疲れ切ったようなため息をつきました。それからはっとしたように、ため息をついたことを謝罪なさいました。

「あ……これは失礼」

「別にいいわ」

「どうも、疲れてしまって……」

「そうなのね」

「はあ……」

 孝則様はもう一度ため息をつくと、改めて太郎様と花子様を見ました。

「それで……妻を捜してくださるというのは、本当なんですか?」

「本当よ」

「しかし、どうやって?」

「蟲を使うわ」

「蟲?」

 孝則様は怪訝そうな顔をしました。

「蟲とは、人間の世界とは違う蟲の世界に生きる生き物のことだ。蟲の世界は血と絶望の世界。そこでまともに生きられるのは蟲くらいのものだ」

「それで……その蟲で、どうやって妻を捜すんです?」

「お前の妻は蟲の世界に落ちたはずだ。そこで蟲の世界の入り口を探す」

「そうしたら……妻にもう一度会えるんですか?」

「ああ」

 太郎様のお返事を聞くと、孝則様はぐっと涙をこらえるような顔をなさいました。そうして目頭を押さえ、目をごしごしとぬぐうと、下を向いたまま口を開きました。

「……私は後悔しています。どうしても……妻にもう一度会いたい」

「後悔?」と、花子様。

「はい。……私はもう二十年妻を介護してきました。薬で症状を抑えても、進んでいく病状……。五年前には私のことも分からなくなり、草履屋さんと呼ぶようになりました。妻の小さな頃、近所に草履屋があったんでしょう。妻はどんどん精神が幼稚になり、私に手を上げることもたびたびでした。それでも体は元気だから、よく徘徊しては行方をくらましました」

 孝則様はもう一度目をぬぐうと、まだ顔を上げられないまま先を続けました。

「今回も……いつもの徘徊だろうと思っていました。でも、何かがおかしい。いつもなら誰かが妻を見つけてくれるのに、誰も妻を見た人がいないんです。妻は忽然と姿を消してしまったんです」

「問題は、十日前に何があったかだな」

「その日は……いつも通りの日でした。妻はデイから帰ってきて、夜ご飯を一緒に食べ……それから就寝しました。翌朝目が覚めてみると、隣で寝ていたはずの妻の姿がなかったのです」

「仮に徘徊だとすると、いつもは気付くこともあったのか」

「はい。妻が目を覚ますと、私も目を覚ますようになっていましたから……。妻は昼夜が逆転していました。ですから私も夜は注意して起きていることも多かったのです。でもあの夜は……どうしてか、妻が起きたことに気付かなかったのです」

「そうか」

 孝則様はもう一度涙をぬぐうと、ようやく顔を上げました。

「何か、妻に何かもっとできたのではないか。そう思って、後悔ばかりがつのって……。どうしてももう一度、妻に会いたい」

「嘘ではないな」

 太郎様はそうおっしゃいました。

 その太郎様のお言葉に、孝則様は涙をこらえられなくなり、うっと息を詰まらせました。

 そうして暫く泣いていると、ふと涙をぬぐって席を立ちました。

「あ……お茶もお菓子もお出ししないで……。今ご用意します」

「ありがとう」

 花子様はさすがに遠慮なさいません。特にお菓子は遠慮の対象にはならないでしょう。

 孝則様はやかんでお湯を沸かし、ちょうどいい温度でお茶を淹れてくれました。そうして持ってきたお菓子はおまんじゅうでした。

 お茶とおまんじゅうが並べられると、花子様は早速おまんじゅうに手を伸ばしました。

「頂くわ」

「ええ、どうぞ」

 花子様はおまんじゅうを頬張りました。太郎様も、お茶を一口飲みました。

 心のこもったもてなしでした。孝則様のお優しい性質が良く表れている感じがして、何とも切なく思えました。

 孝則様はお二人が静かにお菓子とお茶をくちにするのを見ていました。その視線は不安とも、悲しみとも分からないものでした。

 孝則様は何を思っておいでなのでしょう。

 わたくしは人の心を読みますが、それも完全ではありません。蟲の身では人間の心を完全に理解することはできないのです。

 ですがそれでも分かることは、この家には悲しみが濃厚に漂っているということでした。確かに漂う蟲の気配より、悲しみの方が濃厚でした。長年降り積もった悲しみが、蟲の気配を上回っているのです。その悲しみがどこから発せられているかと言えば、孝則様からでした。

「こんなものしか用意できませんで」

 孝則様はぽつりとおっしゃいました。

「いいのよ。とても美味しかったわ」

 花子様は指をぺろりと舐めて言いました。指を舐めるほど美味しかったのでしょう。

 太郎様もお茶を半分ほどお飲みになって、湯飲みを置きました。太郎様が出されたお茶をここまでお飲みになるのは大変珍しいことです。

「それで妻は……蟲の世界でどうしていますか」

「酷なことだが、聞くか」

 太郎様の質問に、孝則様は真剣な顔で頷きました。覚悟がおありのようでした。

 その覚悟に応えるように、太郎様はおっしゃいました。

「皮膚は溶け、眼球がこぼれ落ちた姿で、這いずっているだろう」

 それを聞くと、孝則様は眉根を寄せ、また涙を流しました。うっうっと声を漏らし、暫く泣いていました。

 太郎様も花子様も、それを黙って見つめていました。

「……話には聞いていました」

 嗚咽の合間に、孝則様は言いました。

「蟲の世界に落ちれば、這いずるものになると……」

 孝則様はなお暫く泣いていました。

 そうして泣きながら、手で目を押さえると、ぐっとこらえるように声を絞り出しました。

「……私です」

 孝則様は下を向いたままです。

「私が、妻を……蟲の世界に落としました」

「そうか」

 太郎様の反応は淡泊でした。花子様も何も言いません。

 孝則様はまだ顔を上げられません。

「あの夜は……いつもの夜でした。夕方デイから帰ってきた妻は、私を草履屋さんと呼んで、家に入るのも嫌がりました。それを何とかなだめて家に入れ、用意していた夕食を出しました。妻は自分で食事ができないので私が介助しました。はねのけられ、叩かれ……引っかかれました」

 孝則様は目をぬぐうと、両膝で拳を握りました。

「いつもの夜だったんです……。いつもの。食事を嫌がられるのも、無理に食べさせようとして人殺しと叫ばれるのも……いつもの夜だったんです。でも……そんなふうにいつものいつもが重なると、だんだんと苦しくなってきて……。……二十年です。だんだんとおかしくなる妻。私のことも他人だと思うようになった妻。料理の上手だった妻に代わって、私が料理をするようになり、最初はそれを美味しいと言ってくれていた妻が……まずい、毒が入っている、人殺しと叫ぶようになって……」

 握った拳に涙がこぼれ落ちます。太郎様も花子様も、それを何も言わずに見つめていました。

「……弾けてしまったんです。これ以上は限界だ。そう思ってしまったんです……」

 孝則様はようやく顔を上げました。

「これで楽になれるなら。もうこんな妻を見なくて済むなら。もうこれ以上は耐えられないと……でも! 妻を蟲の世界に落とした一瞬後、すぐに後悔がやってきました。なんてことをしてしまったんだ、まだできたことがあったはずだと……私は妻を……殺してしまった」

「殺してはいない。まだ生きている」

「這いずるものとしてでしょう。殺したようなものです」

 殺すよりも酷いことだとは、太郎様も花子様もおっしゃいませんでした。ただ黙っていました。

 孝則様はもう一度泣きそうな顔をなさり、けれどこらえて、震える手で食器棚を指さしました。

「……蟲の世界の入り口は、あれです」

 太郎様と花子様は孝則様の指の先を目で追いました。そこには古めかしい食器棚がありました。

「……妻の嫁入り道具だったものです」

 孝則様は呟きました。それを聞いていたのか、いなかったのか、花子様は虫眼鏡を取り出しました。

「ホウリ」

 花子様の声にしたがって、ホウリが現れます。太郎様もわたくしに声をかけました。

「ムスビ」

「はい」

 わたくしは眼帯の下から這い出して、太郎様の肩に止まりました。

 太郎様と花子様は立ち上がって、食器棚の前に行きました。それに何を思ったのか、孝則様も立ってきてお二人の横に並びました。

 すると、食器棚の隙間から血の霧が漂ってきました。

 太郎様はそっと食器棚の取っ手を握って、それを開けました。

 その途端、血の霧がわっと広がって部屋を満たしました。血の霧は徐々に薄くなり、何とか周りが見えるようになると、そこは血と絶望の世界に変わっていました。

 蟲の世界へと姿を変えたリビングの中を、色々な蟲が行き来しています。そんな中、リビングの戸が開いて、這いずるものが入ってきました。

 髪は抜け落ち、皮膚は溶け、眼窩から眼球がこぼれ落ちています。

 這いずるものを見ると、孝則様ははっと目を見開きました。

「結子!」

 そうして駆け出そうとするのを、太郎様が止めました。片手を上げ、駆けていかないように制します。

「やめておけ」

「妻なんです! あれは妻なんですっ!」

「分かっている。だからやめておけ」

「妻なんです……妻なんです」

 孝則様は太郎様の腕を掴みました。かなりの力です。しかし太郎様は表情一つ歪めずに、黙っています。

 孝則様からは、後悔と、悲しみと、自分への怒りが滲んできました。蟲の世界の、濃密な蟲の気配よりも強く。

「ムスビ」

「ホウリ」

 合図がかかりました。

 私は大きくなり、ホウリは口を露わにして、這いずるものへ向かいます。その瞬間でした。

「――やめてくれ!!」

 孝則様が駆け出しました。しかしそれを止めたのは花子様でした。孝則様は不安定な蟲の世界の床ではきちんと走ることができず、花子様が服の裾を引っ張っただけでその場に崩れてしまいました。

 そうして孝則様が転んでいる間に、わたくしたちは這いずるものをむさぼり始めます。

「ああっ……」

 孝則様から声にならない声が漏れました。

 這いずるものは、溶けた声帯で何か言おうとしているようでもありました。ですがそんなことがあるはずがありません。這いずるものになると、人間は理性も記憶も溶けてしまいます。言葉を発するなど、そんな発想もできないのです。

 孝則様は絶望を見るような目で、這いずるものが食われていくのを見ていました。

 かつて愛し合ったもの。でも壊れていったもの。もうこれ以上は耐えられないと手放したもの。しかし、まだできることがあったはずと思うもの。そういうものが食われていくのを、孝則様はただただ見ていました。

 わたくしとホウリが這いずるものを食ってしまうと、食器棚から人間の世界が戻ってきました。霧が風景を飲み込むようにゆったりと、その世界は戻ってきました。

 わたくしとホウリは、人間の世界が戻ってくるとそっとそれぞれの場所に戻りました。わたくしは眼帯の下に、ホウリは虫眼鏡に。花子様はホウリが戻ってくると虫眼鏡をしまいました。

 孝則様はまだ、床に両手足をついたままの姿勢です。

 数秒間、誰も何も言わない時間が続きました。

 そうして、孝則様はぽつんと呟きました。

「……結子」

 それに対して、太郎様も花子様も視線を向けませんでした。

「これで全て終わりだ。お前は自由になった。これからは自分の人生を生きるといい」

 その太郎様の言葉を聞いた瞬間、孝則様は床に突っ伏して、弾けたように大声を叫び上げました。

「わあーっ!」

 太郎様も花子様も、それでも視線を向けません。

「結子! 結子っ! すまなかった、許してくれ、戻ってきてくれーっ!」

 それを見もせずに、花子様は太郎様の顔を覗き込みました。

「兄様。行きましょ」

「ああ」

 太郎様と花子様はリビングを後にしました。その背中に、孝則様の嗚咽と叫びを聞きながら。

 家を出ると、荒れた前庭に蝶が漂っています。それが飛んでいくのを目で追うと、そこには夜船様がいらっしゃいました。

 夜船様は明るい着物をお召しになっていたので、夜道でもとても目立ちます。

「お疲れさま。よくやってくれましたね」

「ああ」

 夜船様は近付いてくると、ふふと笑いました。

「今回は前にも増して簡単でしたかしら」

「そうだな」

「そう。……どれどれ」

 夜船様はフクを構えます。

「フクちゃん。撮って」

 ぱしゃり。静かな夜道に、シャッターの音が鳴り響きました。

 じーという音と共に、写真が排出されてきます。その写真には、食器棚に妻を押し込む、孝則様の姿が写っていました。孝則様は今にも泣きそうなお顔をなさっていました。

 その写真を見ると、夜船様は満足そうに微笑みました。

「うふふ……」

 そうして、袖から封筒を取り出してきました。何だかとても厚みがあります。

「今回の謝礼ですわ」

「そうか」

 太郎様は封筒の厚みを気にした様子もなく、いつものように封筒を受け取りました。

「とてもよかったです。今回のようなことが多いと、あなたたちももっと潤いますわね」

「そうか」

「まあ、あなたたちはお金にはあまり興味がなくていらっしゃるから……どんなお仕事でも、いいでしょうね」

「そうだな」

「花子さんがいつもお金を数えているのも、あたくしが事件の一つ一つに一喜一憂しているのを見るのが楽しいからですしね」

「ええ、楽しいわ」

 花子様は太郎様の後ろからひょっこりと顔を出しながら、そう言いました。

 それがおかしく見えたのでしょう、夜船様は笑いました。

「うふふ。……それじゃ、次のお仕事はおいおいお伝えしますわ。次も、こういうものだといいですわね」

「ありがと」

 花子様の返事を聞くと、夜船様は踵を返してしゃなりしゃなりと歩いて行かれました。

 夜船様のお姿が見えなくなると、花子様は後ろから太郎様の手にある封筒をひったくりました。

「さあて、どうかしら」

 と言って開けようとして、花子様は封筒の厚みに驚きました。

「まあ、何だか沢山入ってる感じがするわ」

 そう言って中を出してみると、確かに、沢山のお金が入っています。花子様は珍しくお金を数えるのに難儀していました。

 ようやく数え終えると、花子様は嬉しそうな声を上げました。

「五十万! すごいわ」

 そう言うと、もうお金への興味を失ったかのように、すぐにお金をしまいました。そうして、封筒を太郎様の懐にさし込みます。

 それから、花子様は両手を合わせて上目遣いに太郎様の顔を見ました。

「兄様。お茶をしに行きましょ?」

「ああ」

 太郎様と花子様は、連れだって孝則様の家から離れていきました。月の綺麗な夜でした。

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