捕まりたかった

 市村 和久(いちむら かずひさ:仮名)さんという男性から聞いた話。数年前、市村さんが地元の大型ショッピングセンターで買い物をしていた時の出来事。


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 市村さんがその出来事に気づいたのは、甲高い女性の叫び声を聞いた時だった。声のする方向を見ると、男子トイレの前に男の人がうつ伏せで倒れていた。顔はよく見えないが、歩行用の杖も一緒に倒れていたことから年齢は60代以上。腹部を刃物か何かで刺されたようで、白いセーターの一部が赤く染まり、床に血溜まりができていた。


 市村さんは警察と救急に通報。近くにいた店員数名にも報告した。店員は持ってきたタオルで男性の腹部を押さえ、救急隊員が来るまで止血していた。休日の平和なショッピングセンターが恐ろしい事件現場に一転。通りかかった客は騒然としていた。


 そんな中、市村さんはあることに気づいた。現場から5mほど離れたエスカレーターの脇にあるベンチに腰掛けている男がいるのだ。チラリと見た感じ、年齢は50代くらいで、服装は紺色のポロシャツに青いジーパン。足を小刻みに動かしながら事件現場の方を見つめている。周りの客とは違い、慌てることもなく冷静そうだったので余計に気になった。


 15分ほど経って警察と救急が到着。刺された男性は運ばれていった。警察官が事情聴取を始めようとした時、ベンチに座っていた男が立ち上がり、現場の方へ歩いてきた。そして警察官に、


『やったのは俺です。』


と言い放った。


 市村さんは通報した張本人であったため状況について色々聞かれたが、男の、血で真っ赤に染まった腕を見れば、犯人が誰であるかは明らかだった。男はその場で逮捕された。


 後日、新聞で事件の詳細を知った市村さん。犯人の男は当時、刃渡り18cmの包丁を所持。トイレ内で面識のない60代男性の腹部を突き刺した。刺し傷は10cmほどまで及んでいたが、被害に遭った男性は一命を取り留めた。犯人は『警察に捕まりたかった。長く刑務所に入るため、誰でもいいから殺そうと思った』と供述。このような内容が記事に書かれていた。


 過去、刑務者に入ったことがある人は出所後、定職に就けず生活苦に陥り、犯行を繰り返して刑務所に戻ろうとすることがある。この事件の犯人も、そのような考えで人を刺したのだろう。


 そんな身勝手な理由で、もしかしたら自分が被害者になっていたかもしれないと考えると、背筋に冷たいものが走った、と語ってくれた。


※ご本人や関係者に配慮し、内容を一部変更しています。

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