黒い家

 増田 育美(ますだ いくみ:仮名)さんという女性が体験した話。


 当時大学4年生、実家で暮らしていた増田さんに降りかかったエピソードである。


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 増田さんの両親は、数年前から非常に仲が悪かった。祖父の介護について大いに揉め、祖父が亡くなってから一切会話することがなくなってしまった。


 小さいマンション暮らしだったため、両親はほぼ毎日顔は合わせるものの常に険悪。増田さんと3歳下の妹は、いつも気まずい思いをしていた。



 増田さんの妹も大学へ進学したことをきっかけに、母親は家から出て行った。残された父と2人の娘は、一緒に暮らしながらも生活リズムが大きく違ったため干渉することは減っていった。


 そんな状況になってから、妹の様子がおかしくなった。自分の部屋で出たゴミを捨てなくなったのである。


 コンビニで買った弁当の容器、ペットボトルは部屋に放置。服も洗濯に出さず、汚れたら新しいものを買っては部屋に放置するの繰り返し。妹の部屋はすっかりゴミ屋敷と化していった。


 最初は何も言わなかった増田さんだが、妹の部屋から異臭が漂い始めたのをきっかけに、さすがに口出しすることにした。片付けるよう何度も言い聞かせたが、一向に掃除する気配はない。


 何をいっても無駄だと思った増田さんは、自分が家を出て行くことにした。もうすぐ大学を卒業し、就職することになる。

 実家を出て一人暮らしをするタイミングとしてはちょうど良かった。


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 一人暮らしを始めるまで数日となったある夜。ベッドで目が覚めた増田さん。


 喉が渇いたので、キッチンへ飲み物を取りに部屋を出た。父は仕事から帰ってきておらず、妹は就寝中。家の中は真っ暗で、静寂に包まれていた。


 妹の部屋の前を通り過ぎ、暗い廊下を歩く。キッチンへたどり着き、冷蔵庫の扉を少し開けた。冷蔵庫内の光がキッチンの一部を照らす。


 ガスコンロの近くにゴキブリが一匹いることに気づいた。「ヒャッ」と声をあげた増田さん。ゴキブリはカサカサと逃げていった。


 どこかに潜んでいるかもしれないが、とりあえず目の前からゴキブリが消えたことで増田さんは安心した。冷蔵庫の扉を開けていく。光がキッチンを照らす範囲も広がっていく。


 壁、天井、流し、食洗機、いたるところにゴキブリが張り付いていた。20匹はいたと思う。オーケストラの指揮者が指揮棒を振るように、触覚だけが動いていた。


 光に照らされたことでゴキブリは驚き、20匹全てが逃げ惑った。キッチン中を黒い塊が動く様を見て、恐怖が絶頂に達した増田さん。冷蔵庫の下に殺虫剤が置いてあるのに気づき、キッチン中に噴射した。


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 これまでもゴキブリが出ることは度々あったが、一度に何匹も出てきたことはない。妹の汚部屋が、この一件の元凶になっていたことは明白だった。


 妹に再度注意すべきかと考えた増田さんだったが、「もうこれ以上関わる必要はない」と思い、何も言わずに実家を出ることにした。


 それから数年後に妹も実家を出たそうだが、それまでの間に改心して部屋を綺麗にしていたとは思えない。父と妹は、増田さんが家を出てからもゴキブリが蠢く「黒い家」に住み続けていたことになる。


 独り立ちしてから家族とはこれまで以上に疎遠になってしまい、当時の様子は聞けていない、と語ってくれた。


※ご本人や関係者に配慮し、内容を一部変更しています。

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