第17/17話 目前の脱出ゲート

(当たった……!)

 南部武幡は、右手で、拳を、ぐっ、と握った。

「ぐおお……!」

 小留戸は、耳障りな呻き声を上げながら、両手で腹部を押さえた。しかし、出血を抑えるのには、大して役に立っていない。相変わらず、指と指の隙間から、掌の下から、血が流れ出している。

(おれが最初に、違和感に気づいたのは、5thラウンドが終わった直後、当たりの実包の表面に、血が付着しているのを見つけた時だった。弾丸と薬莢の境目に跨るようにして、こびりついていた)

 実包の表面に血が付着していること、それ自体は、なんら奇妙ではない。小留戸は、左手親指に、出血を伴ったらしい、小さな怪我を負っている。おそらくは、その状態で実包を扱ったために、血がこびりついてしまったのだろう。

(問題は、付き方だった。血痕は、弾丸と薬莢の境目で、左右に、三ミリほどずれていた)

 つまり、その実包は、血が付着した後、弾丸もしくは薬莢が、わずかに回転した、ということになる。

(おれも試しに、その実包の弾丸を、動かそうとしてみた……だが、薬莢に固く嵌め込まれていて、少しも捻れなかった)

 すなわち、何かしらの衝撃を受けた拍子に、弾丸あるいは薬莢が回転した、というわけではない。誰かが、工具の類いを使って、故意に、それらを弄ったのだ。

(さすがにその場では、「何の目的で触ったのか?」までは、わからなかった……だから、6thラウンドが始まる前に行ったトイレで、本格的に調べてみたんだ)

 武幡は便所に入ると、実包を二個、スラックスの左の後ろポケットから取り出して、洗面台に置いた。一つは、小留戸の部隊が所有していた、くじ引きの当たりとして使うための実包。もう一つは、柔代に借りた、彼女の携帯している拳銃に装填するための実包だった。

 彼は、それらの弾丸を、作業場から持ち出したペンチでひっこ抜いた。その後、両者を、見比べたり、触り比べたりしてみた。

(それで、気づいたんだ──小留戸たちの実包と、柔代の実包とで、火薬の量が違う、ということに。具体的には、小留戸たちの物のほうが、柔代の物よりも、少なかった)

 武幡は試しに、柔代から借りた、残り二個の実包、両方について、弾丸を引っこ抜き、内部に収められていた火薬の量を確認してみた。結果、多少の誤差はあれど、どちらも、最初に調べた物と、同じくらいだった。

 まさか、柔代が火薬の量を増やした、というわけではないだろう。わざわざ、そのようなことをする理由がない。小留戸が火薬の量を減らした、と考えるほうが自然だ。

(では、なぜ、彼は、そのような細工を行ったのか? 火薬の量を減らす、ということは、すなわち、弾丸の威力を弱める、ということだ。それがいったい、やつに、どのようなメリットを齎すのか?

 そんなもの、一つしかない。本来の威力の弾丸を食らうと、いくら、防弾性を備えた服とはいえ、防ぎきれないんだ。だから、弱めなければならなかった)

 よく考えてみれば、ユニフォームの防弾性が完璧ならば、その上から、さらに防弾ベストを着る必要はない。しかし、小留戸は着ていた。ユニフォームだけでは防弾性に不安がある、ということだ。

(つまり、当たりの実包に入っている火薬の量を本来の値に戻せば、やつの服を貫くことができる。そう思って、当たりとして使用されるほうの実包の薬莢に、もともと入っていたよりもたくさんの火薬を入れてから、弾丸を嵌め込みなおした。

 そして、6thラウンドが始まる前、おれが、当たりの実包について、不審な点がないか調べている時に、わざと、それを床に落として、拾った。その時、小留戸の渡してきた実包と、おれがトイレで細工した実包とを、手の中ですり替えた)

 細工した実包は、火薬の量が多い分、当然ながら、他よりも、あくまで比較的にだが、とても重たくなっている。小留戸は、まさか、その、とても重たい実包こそが当たりである、とは思わないだろう。【プライズ】に頼るあまり、他の実包、すなわち外れを選び続けるはずだ。そして、彼が外れを取り続けるのであれば、必然的に、いつかはこちらが当たりを引く、というわけだ。

「さあ、どうするんだ」武幡は両手を左右に広げた。「7thラウンド、始めるか?」にやり、と笑ってみせた。「おれは、それでも構わんが?」

 小留戸は数秒間、ぐうううううううううう、と呻いた。痛さや苦しさ、悔しさや怨めしさなど、さまざまな感情の籠もった、低い声だった。

 その後、彼は、「……ギブ、アップだ」と、呟くようにして言った。「ぼくは、ギャンブルの続行を、放棄する」


 小留戸が、ギャンブルの続行を放棄してから、つまり、敗北を認めてからの、彼と隊員たちの行動は、きわめて迅速だった。勝負に用いられた道具を片付けたり、彼が負っている怪我の手当てをしたりした。

 はたして、ベレッタが【プライズ】を行使してかけた、という暗示は、きちんと発動するのか。武幡は、そんな心配をわずかにしていたが、杞憂だった。

 最終的に、ギャンブルが終了してから二十分弱で、小留戸たちは店から撤収した。作業場には、武幡と柔代、ベレッタの三人が残された。

「さて……」ベレッタは、くる、とこちらを向くと、「すまなかったね」と言って、ぺこり、と頭を下げた。「あんたたちを、騙してしまって」

「いやいや……」武幡は、ゆるり、と右手を軽く挙げると、ふるふる、と首をゆっくり左右に振った。「気にするなよ。そりゃあ、罠にかかった時は、正直、怨みもしたが……結果的に、小留戸たちは追い払えたし、一等の【ザウバークーゲル・メダル】を獲得する機会にも、巡り会うことができた。むしろ、礼を言いたいくらいだよ」お辞儀をした。「ありがとう」

 視界の端で、柔代も、ベレッタに向かって頭を下げたのが見えた。

 武幡は顔を上げると、「さ」と言って、右手を、掌を上にした状態で、差し出した。「一等の【ザウバークーゲル・メダル】をくれ。あるんだろう?」

「もちろんさ」

 ベレッタは、ツナギの、腰の右側に位置しているポケットに手を突っ込むと、そこから、すぽ、と、灰色のビニール袋を取り出した。口の所が細く捩じられ、中が見えないようになっている。

 彼女は袋を、こちらの右手の上に載せた。「確認してくれ」

 武幡は、袋の口をまっすぐにし、わずかに開いた。瞼を半分ほど閉じて、おそるおそる、内部に視線を遣る。

 一等の【ザウバークーゲル・メダル】が、底に転がっていた。

(この、見ているだけで頭がどうにかなりそうな、異様な雰囲気……)

「本物だな」

 武幡は、ぎゅうっ、と、袋の口を捩じって細くすると、ぐい、と曲げて、ぎゅっ、と結んだ。なんとはなしに、内部の空間と外部の空間を断ち切りたい思いに駆られたのだ。

 彼は、袋を右手で持った。柔代に視線を遣る。

「じゃあ、さっそく、中国地方を脱出するぞ」

「承知しました」柔代は、こく、と頷いた。

 小留戸たちは、撤収させることに成功した。しかし、当然のことながら、追っ手は彼らだけ、というわけではない。いつ何時、別の南部グループの親衛隊が、現れ、襲いかかってきても、不自然ではない。一刻も早く、中国地方を脱出する必要があるのだ。

 武幡たちは店を辞すると、隠れ家【イナガキ】に向かった。到着するなり、休憩する間も惜しんで、持ち出す荷物の選別・用意を開始した。

 作業は、小一時間で終えることができた。その後、インターネットで調査したり、二人で相談したりした結果、本日の午後十一時に出発する高速バスに乗り、兵庫県へ行くことに決まった。

 乗車の手続きは、午後十時半までには始めなければならず、話し合いが終わった時にはすでに、午後九時を回っていた。武幡たちは【イナガキ】を出ると、公共交通機関を使い、バスステーションへ向かった。

 さいわい、トラブルの類いに遭遇することもなく、すんなりと目的地に到着した。各種の手続きも、遅刻することなく取り掛かることができた。

 手荷物や身体などの検査を受けた時は、吐き気を催すほどに緊張した。しかし、特に咎められることもなく、すべてパスすることができた。武幡たちが提示した、一等の【ザウバークーゲル・メダル】についても、何も言及されなかった。

「どっこいしょ……ふうー……」

 武幡は、そんなことを呟きながら、事前に予約しておいた席に腰を下ろした。

 バスの内装はとてもゴージャスで、まるで高級ホテルのようだった。床には、柔らかい絨毯が敷かれており、椅子の各部も、ふかふかとしていた。

 車内の中央に通路があり、それを挟むようにして、左右に一台ずつ、シートが設けられている。彼はそれの、進行方向に対して右側にある座席に腰かけていた。

 柔代も、武幡の後をついてきていた。彼女は、背負っていたリュックサックや、肩から提げていたボストンバッグなどを、頭上や足下にある収納スペースに置いてから、武幡の左隣に位置するシートに腰を下ろした。

 数分後、午後十一時を回り、バスが出発した。二人以外に、乗客は誰もいなかった。

 車内は、とても静かで、振動も最低限に抑えられていた。武幡は、ぼんやりとした気持ちで、窓から、外の景色を眺めていた。

 彼は「ふああ……」と大きな欠伸をした。わずかながら、涙が零れる。口を閉じると、ごしごし、と目を擦った。

 体じゅうが、ずっしりと疲弊していた。無理もないだろう、今日は、実にいろいろなことが起きた。一等の【ザウバークーゲル・メダル】を入手できるかと思いきや、罠に嵌められたり、身の破滅を賭けて、小留戸と戦ったり。何より、ギャンブルに勝利してからは、今に至るまで、一分も休憩せずに行動していた。

「ご主人さま」柔代が話しかけてきたので、武幡はそちらに目を遣った。彼女はこちらに、心配そうな視線を向けてきていた。「お疲れですか?」

「ああ……」武幡は、こく、と頷いた。

「兵庫県のバスステーションまで、まだまだ、道のりは長いです。どうぞ、お休みになってくださいませ」

 そう言うと柔代は、こちらの席に来た。壁の足下、窓の下あたりに付いている小さな棚を、ぱか、と開ける。そこから、サービスとして貸し出されているらしいブランケットを取り出すと、武幡に渡した。

「他に必要な物があれば、何でもお申しつけくださいね」

 武幡はブランケットを体に被せながら、「ありがとよ」と言った。

 柔代は微笑した。「いえ」自分の席に戻った。

 数十分後、バスは、兵庫との県境に到着した。まっすぐな道路に、垂直に交差するようにして、コンクリート製の、背の高い壁が聳えている。そこから先は、トンネルとなっており、それの入り口に、ゲートが設けられていた。鉄格子である、両開きの扉が取り付けられており、近くには、南部グループ親衛隊の詰所がある。

 車両は、それの数メートル手前で停止した。ドライバーが、道路に降りて、やってきた親衛隊員と、話をし始める。

 その頃には、武幡の頭を、本格的な睡魔が襲っていた。特に、抵抗する理由もない。彼は瞼を閉じると、シートに深く腰掛け、上半身をぞんぶんに凭れさせて、全身を脱力させた。ブランケットの肌触りと温かさが、心地よかった。

 数十秒後、バスが発車した。

 慣性力を全身に感じた。直後、意識が眠りに落ちた。


   〈了〉

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ギャンブル×ガンファイア 吟野慶隆 @d7yGcY9i3t

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