第11/17話 絶望

 ばあん、という音は、前方、斜め下あたりから聞こえてきた。武幡はびっくりして、そちらに視線を遣った。

 小留戸の足下、爪先のすぐ前に、本が落ちていた。それは、少し前まで、こちらから見て彼の左隣にある机の上にて、ブックスタンドにより立てられていた物だった。何かの拍子に落下し、そのせいで、さきほどのような大きな音が鳴ったに違いなかった。

 そこまで認識したところで、はっ、と我に返った。(そうだ、小留戸がトリガーを引いたんだった!)

 顔を、ばっ、と俯かせ、胴から下の様子を確認する。どこにも、穴は開いていない。

 目視での確認だけでは、不安だった。ばっ、とヘルメットを脱ぐと、ぱぱぱ、と、体じゅうを触りまくる。しかし、やはり、銃創らしきものはなかった。

「外れだよ」

 そんな小留戸の声が聞こえてきたので、武幡は顔を上げた。彼は明らかに、機嫌を悪くしていた。

「小留戸、外れだ。拳銃を置いておくれ」

 小留戸は拳銃を、こちらから見て彼の右隣にある机の上に、ごと、と置いた。

 ベレッタが、同じ机に載っている箱を、持ち上げた。「それでは、武幡。実包を引いておくれ」武幡の右隣にある机の上に、こと、と置いた。

「ふうー……」

 武幡は思わず、長い安堵の息を吐いた。誰にともない頼みだったが、聞き入れてくれたようだ。チャンスが、巡ってきた。

「それでは、武幡。実包を引いておくれ」

 彼は、ゴム手袋を嵌めた右手で、箱を持ち上げると、胸元に引き寄せた。左手に持ち替え、右手を穴に入れる。実包を選び始めた。

(さて……はたしてどれを引くべきか、だが……)

 武幡は、箱の中にある実包を、次々と手に取っていった。何か、当たり外れを判断する根拠となるような情報が得られないか、調べる。

(うーん……やっぱり、それらしいものは、特に見つからないな……やっぱり、運任せで選ぶしかないのか……?)

 武幡は、調べ終えた五個目の実包を底に置くと、六個目の実包を手に取った。

 とりあえず、表面を、べたべた、と触りまくる。抽筒板を引っ掻き、薬莢を叩き、弾丸を撫でた。

(……ん?)

 そこで、違和感を覚えた。しばらくの間、引き続いて、弾丸を触りまくる。

(気のせいじゃない……この弾丸、微妙にぐらついているぞ……?)

 ぐらつきは、本当にわずかなものだ。普通に触っているだけでは、薬莢にしっかりと嵌め込まれているかのように感じる。しかし、弾丸に、ある一方向から、ぐぐっ、と強い力を込めると、少しばかり、奥のほうへと傾くのだ。

 その勾配は、おそらく一度にも満たないだろう。半ば自棄になって、べたべたと実包を触りまくっていたからこそ、気づけた現象だ。

(待てよ……他はどうだ?)

 武幡は、その実包を、それ以外の実包と混ざってしまわないよう、右手の薬指と小指で抱え込んだ。親指と人差し指、中指とで、残りの実包を摘まんでは、弾丸のぐらつきを確認する。

 しかし、いずれも、微動だにしなかった。ぐぐぐぐぐっ、と、それこそ、六個目の実包を調べた時よりも強い力を、長時間にわたってかけたのだが、文字どおり、びくともしなかった。

 武幡は、例の実包をもう一度摘まむと、弾丸に再び力を加えてみた。やはり、わずかながらぐらついている。

(どうして、これだけ、ぐらついているんだ……? ……まさか、これこそが、小留戸が付けた、当たりの目印なのか?!)

 一瞬、そう考えたが、すぐに否定した。彼は、さきほどのターンで、外れを引いている。もし、これが目印であるならば、見逃すはずがない。何の前提情報も持たない武幡ですら、気づいたような特徴なのだから。

(うーん……)

 武幡はしばらく、その実包を摘まんだ状態で、考え込んだ。その間にも、タイマーの示す残り時間は、刻々と減っていった。

 タイムリミットまであと一分を切ったところで、(よし!)と脳内で叫び、決心した。(これを装填することにしよう……どうせ、他に判断材料なんてないんだ。このぐらつきに賭けてみるのも、悪い手ではないんじゃないか)

 武幡は、その実包を摘まんだまま、右手を穴から抜いた。箱を、右隣にある机の上に、こと、と置く。

「それでは、武幡。実包の使用を試みておくれ」

 武幡は、右隣にある机の上に置かれている拳銃を取った。折ると、シリンダーに、引いた実包を装填してから、伸ばす。両手でグリップを握り締めると、銃口を小留戸に向け、トリガーに左右の人差し指をかけた。

 彼はすでに、ヘルメットを被っていた。シールドに遮られているせいで、どんな表情をしているかは、よく見えない。

 武幡は、すう、と、軽く息を吸い込んだ。両手の人差し指に力を込めると、トリガーを、思いきり引く。

 ばあん、という音がした。


 弾丸が発射された衝撃により、拳銃は、ぐおっ、と跳ね上がった。両手を離れそうになる。

「ぬお……!」

 武幡は思わず唸ると、ぐっ、と両手に力を込めた。なんとか、グリップを握り締め続けることに成功する。

(まさか、発砲の反動が、こんなに強いとはな……)

 拳銃を撃った人物が、それを落としそうになり、大慌てする場面なんて、今まで目にしたことがない。まったくの、無警戒だった。

 しかし、よく考えてみれば、当たり前のことだ。フィクションでは、そんなシーン、ださくて、入れないだろう。ノンフィクションでは、たいてい、訓練された人間が発砲するのだから、反動ごとき、じゅうぶんに対応できるに違いない。

 そこまで考えたところで、武幡は、己が現実逃避していることを自覚した。(いや……こんなことを考えている場合じゃない!)と心の中で叫ぶ。(小留戸のやつは、どうなった?!)ばっ、と、前方に視線を向けた。

 彼は床に、仰向けに大の字で寝転んでいた。

「や……やったか?!」思わず、声が出た。「いや……やった! これはやったぞ! やったやった! やったに決まっている! 絶対にやっ──」

「うるさいなあ……」

 武幡の先走った歓声を遮ったのは、他ならぬ小留戸だった。武幡は目を見開いて、彼に視線を向けた。

「いてててて……」小留戸はそう言いながら、むく、と上半身を起こした。「さすがに、衝撃は強いね……立っていられずに、こけちゃったよ……」立ち上がると、ぱんぱん、と、臀部を軽く叩いて、汚れを掃った。

「な──」

 武幡は小留戸の全身を、まじまじ、と見つめた。胸に腹、頭に手足。どこも、綺麗なままだ。怪我の類いは、いっさい負っていない。

「は──外したか?!」思わず、そう叫んだ。

「いいや?」小留戸は、首を小さく横に振ると、にや、と笑った。「ちゃんと、当たったよ? ほら」

 彼は、シャツの裾を右手で捲り上げた。左手で、露になった胸のあたりを指す。

 そこには、真っ赤な痣が出来ていた。何か小さな物が衝突した跡のようだ。

「当たりはしたんだ」小留戸はシャツの裾を下ろした。「怪我は、負わせられなかったがね」

「そんな──あり得ない!」武幡は拳銃を、スラックスの右の後ろポケットに突っ込んだ。両手を、ぶんぶん、と上下に振り、力説するかのように言う。「銃弾だぞ! それが命中したってのに、銃創どころか、傷一つ、つけられないだなんて──」

「察しが悪いなあ……」小留戸は呆れたような顔をした。「なら、察させてあげよう。【プライズ】さ。【プライズ】のおかげで、ぼくは、怪我を負わずに済んだんだ」

 武幡は、ぐう、と唸った。(やはり、【プライズ】か……!)と、心の中で呟く。

 小留戸が、【プライズ】により、肌を銃弾から守った。そんなことは、最初に思いついていた。しかし、どうしても認めなくなかったのだ。もし、その思いつきが正しければ、きわめてまずい事態であるからだ。

「ぼくの【プライズ】は、《装甲皮膚》(アーマー・スキン)、って言ってね。簡単に説明すると、肌を、とても堅くする能力だ」小留戸は、くく、と笑った。「といっても、ぶっちゃけ、銃弾すら跳ね返せるかどうかまでは、わからなくてね。ぶっつけ本番で、どきどきしていたけれど──結果は、ご覧のとおり。

 ついでに、もう一つ、教えてあげようか。《装甲皮膚》では、肌は強化できるけれど、粘膜の類いは堅くできない。眼球とか、鼻孔とか、口腔とかね。だから、頭にヘルメットを被る、っていうルールにしたんだ。弱点を防ぐために。

 さあ!」両手を広げた。「どうするんだい? 今、説明したとおり、ぼくが銃弾を食らって怪我を負うことは、考えられない。ちなみに、念のため言っておくと、《装甲皮膚》を行使すると、肌の堅さは、丸一日ほど維持される。【プライズ】の効果が切れたタイミングを見計らって発砲する、ということもできないからね。

 要するに、この勝負、少なくとも、ぼくが負けることはない、ということさ。それはつまり、きみに当たりの実包を引かれても、怖くない、ということを意味する。好きなだけ、引いたらいいさ。このギャンブルにおける勝利条件は、ただ一つ。『相手プレイヤーに、ギャンブルの続行を放棄させること』。きみがどれだけ当たりを引こうが、ぼくが、ギャンブルの続行を放棄することは、ありえない。

 そして、いくらきみだって、永久に当たりを引き続ける、なんてことはできないだろう。いつかは、ぼくが当たりを引く番が来る。そうなったら──」一呼吸置いた。「きみは、ギャンブルの続行を放棄せざるを得ない状況に陥るだろうね」

 武幡が懸念していた事態というのは、今まさに、小留戸が言ったことだった。勝ち目が、なくなってしまったのだ。

(いや……やつは元から、《装甲皮膚》という【プライズ】を持っていた。勝ち目なんて、最初から存在しなかったんだ……)

 ぐう、という声が出た。小留戸が、「さあ、武幡くん!」と、畳みかけるように言った。「もう、ギャンブルの続行を放棄したらどうだい? どうせ、このまま勝負を続けたって、いつかは、重傷を負って敗北するんだ。だったら、今、負けを認めたほうが、怪我をしない分、マシだろう?」

 ぐうううう、と武幡は低く唸った。歯を、ぎりり、と食い縛り、両手の拳を、ぎゅうう、と握る。

 しばらくしてから、「……トイレに、行かせてくれ」と言った。「頭を冷やして、考えたい……」

「いいだろう」小留戸は、ふふ、と嗤った。「じっくり、考えたらいいさ。負けを認めることについて、自分を納得させるための、言い訳をね」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る