第03/17話 ピンチ
二週間後、十一月の第三土曜日、正午。
武幡と柔代は、駅前ロータリーを出ると、オークション会場に向かった。
二人とも、髪型や服装は、二週間前と同じだった。武幡は、短髪でスーツ姿、柔代は、ツインテールでメイド姿。違う所と言えば、柔代は、両手にアタッシェケースを提げていた。
「なんとか、一億円ほど、用意できたな」武幡は、ちら、と、柔代の持つ鞄に視線を遣った後、すぐに逸らして、前方に戻した。「お前のおかげだよ。本当、助かった」
「い、いえいえ……」彼女は、ふるふる、と、首を軽く横に振った。頬が、ほんのり赤くなっている。「わたしは、全力を尽くしただけですから……」
「謙遜する必要はないよ。お前が、ベル運びシャトルラン大会で、鐘を、九・四トン分も運んでくれたから、あんな大金を得ることができたんだ。
おれなんか、ぜんぜん、役に立てなかったからなあ……いてて……」右手で腰を、軽く摩った。「三キロとか五キロとか、あんなに重たかったんだなあ……」
「いくら、ルールに従い、正当なプレーをした結果とは言え、主催者のみなさまには、悪いことをしました」柔代からは、申し訳なさそうな表情をした。「わたしが、百キログラムの鐘を六個担いで走り始めた時の、彼らの絶望した顔と言ったら……」
「……まあ、そんなに気にすることはないと思うぞ。別に、不正をしたわけじゃないんだし、こっちだって、わずかでも賞金を上げようと、必死だったんだし……」
少し、気まずい雰囲気になった。武幡は、話題を逸らそうとして、「え、ええと……」と言った。「オークション会場って、どこだったっけ?」
「稗瀞(ひえとろ)模型店です」柔代が答えた。「ベレッタさまが、普段、営んでおられるお店ですね。わたしは、今までに何度か、ベレッタさまと、直接顔を合わせたことがありますが、いずれの時も、同じお店でお会いしました」
その後も、雑談を交わしながら歩いていると、数分で、模型屋のある商店街に到着した。ゲートをくぐって、通りを進み始める。かなり寂れており、休日の昼間だというのに、ほとんどシャッターが下ろされていた。開いている店も、どことなく陰気そうだったり、売り物の数が少なかったりと、とうてい、繁盛しているとは言えない。
「この調子じゃあ、模型屋も、どんな感じか、わかったもんじゃないなあ……」武幡は思わず、ぼそり、と呟いた。
目的の店へは、数分後に着いた。通りの右手に建っている。大きさは、一般的なコンビニ二軒分ほどだった。
壁は、ガラス張りになっており、内部の様子を覗くことができた。模型店、という名のとおり、いろいろな、プラモデルの組み立てキットや、制作するためのツールなどが揃えられている。完成品も、いくつか展示されていた。さすが、本業にしているだけはある、と言うべきか、素晴らしい出来栄えだった。
模型の販売をメインとしていることは見て取れたが、それ以外にも、いろいろな玩具を扱っていた。認知症の改善実績があるというパズルブックや、子供の知育に役立つと謳っているボードゲーム。派手で格好いいデザインをした金属製のコインや、見ているだけで癒されるような縫い包み。老若男女を対象とした、多様な品が陳列されていた。
また、店としては、特に、ミリタリー関係の物に力を入れているらしかった。陸海空を問わず、さまざまな兵器や、軍事に関するアイテムのプラモデルの、キットだの完成品だのが展示されている。売り場の一角においては、もはや模型ですらない、軍帽やダミーカートなど、実際に使われていたという、中古のグッズが置いてあった。
「ふうん……」武幡はガラス越しに、店内を、じろじろ、と見た。「客は少ないが……品揃えは、かなり豊富じゃないか」
「ですね……少なくとも、儲かっていない、というわけではなさそうです」
柔代は、ガラス扉を、ぎいっ、と引いて、店に入った。武幡も、後に続く。
通路が、出入り口からまっすぐ奥へと伸びていた。こちらから見て左側は、壁となっており、それに背面を接するようにして、商品を陳列している棚が置かれていた。突き当たりの壁には、バックヤードへ通じるであろう、両開きの扉が設けられている。
途中には、壁から生えるようにして、L字のレジカウンターが取りつけられていた。その向こうには、エプロンを着た、若い男性店員がいた。
彼は、出入り口のガラス扉が動かされた時の、ちりんちりん、という鈴の音で、客の入店に気づいたようだった。こちらに、ばっ、と視線を遣ると、間髪入れずに、「いらっしゃいませ」と抑揚のない声で言い、すぐさま顔を元の向きに戻した。
レジには、客は、誰も並んでいなかった。しかし、店員は、暇そうになどはしていなかった。むしろ、どことなく緊張した面持ちをしている。武幡は、少し感心した。
柔代はカウンターに近づくと、店員に話しかけた。「あの」
男性は、ばっ、と、彼女に視線を向けた。顔に、わずかな笑みを浮かべる。「何でしょう?」
柔代は、「ここの店長さんと会う約束があって、来ました」と言った。「浜田柔代と言います。わたしの名前を、店長さんにお伝えください」
「浜田さん…………ですね。店長から、話は聴いております。こちらへどうぞ」
彼は、どことなく早口でそう言うと、カウンターを出て、左折した。すたすた、と、通路を歩き始める。
武幡たちは、その後についていった。一瞬、代わりのスタッフがレジにいないけれどいいのかな、と思ったが、まあ、客ですらない部外者が口出しするようなことではない。
店員は、通路を突き当たりまで進むと、そこに設けられている扉を開けた。「中へどうぞ」
彼はそう言って、バックヤードへ入っていった。武幡たちも、後に続いた。
出入り口をくぐってすぐの所は、丁字路になっていた。左右に続いている通路は、どちらも幅が狭かった。
左方に、視線を遣る。三メートルほど先の地点において、向かって右手の壁から、別の通路が伸びているのが見えた。さらに、その場所から四メートルほど、まっすぐに進んだ所は、行き止まりとなっている。そこには、「TOILET」と書かれた紙が貼られた扉が設けられていた。辺りの床には、商品が収められているらしい、さまざまな大きさの箱が、所狭しと置かれている。その中には、さきほど店外にいる時に見かけた、ボードゲームやコインなどもあった。
店員は、丁字路を右折した。武幡たちも、それに続いて、曲がった。
その先の通路は、五メートルほど進んだところで、下り階段に接続していた。どうやら、地下室があるらしい。オークションは、そこで行われるのだろう。
天井には、照明が取りつけられていたが、発している光は弱々しく、周囲はとても薄暗かった。店員が、手すりを持ちながら、かつんかつん、と、下り始める。武幡も思わず、手すりを掴んだ。
男性の後を追い、進んでいく。その背中を見ているうちに、ふと、形容しがたい不安を抱いた。辺りが、蒼然としているせいだけではない。彼が──どう表現すればいいのか──明らかに緊張しているのだ。店長が呼んだ客ということで、緊張しているのか。しかし、こう言っては何だが、大規模なショップのオーナー、などならともかく、こんな、小規模な個人経営店の店長に対して、このような緊張なんてするものだろうか。
そんなことを考えているうちに、踊り場を過ぎて、階段の終点に到着した。両開きの、大きな扉がついている。表面には、「模型作業場」と書かれていた。
店員は、その手前で立ち止まった。「この中で、店長がお待ちです」と言ってから、間髪入れずに、ドアを押し開け、内部へと入っていく。思わず、武幡と柔代も、後に続いた。
作業場は、わりと大きかった。一階全体の、倍ほどの広さがあるだろうか。床から天井まで、高さは三メートルほど。部屋自体は、長方形をしている。
各種の作業を行うための物であろう机が、規則正しく並べられている。それにより、通路は、碁盤の目状になっていた。あちこちに、背の高い棚が置いてある。それの各段には、模型の制作に使うらしい、いろいろな素材や工具、部品などが収納されていた。
そして、出入り口からまっすぐに伸びている通路、それの、武幡たちの現在位置から数メートル進んだ所に、多くの人が集まっていた。
一人は、店長のベレッタだ。直接会うのはこれが初めてだが、顔自体は、写真で、何度か目にしたことがある。
女性で、明るい茶色の髪を、焦げ茶色をした紐で纏め、短いポニーテールにしている。オレンジ色のツナギを、腰巻きの状態で着ていた。上半身は、丈が短い白のタンクトップ、という出で立ちだ。向かって右側にある机に、軽く寄りかかっていた。
もう一人は、若い成人男性だ。短い黒髪は、爽やかな雰囲気を纏っている。目は細く、穏やかそうな印象を受けた。身長は高く胴体は太く、服の上からでもわかるほどに、筋骨隆々としていた。
薄いグレーの長袖シャツを着て、同色の十分丈ズボンを穿いている。トップスの上には、防弾性を有しているであろう、タクティカルベストを羽織っていた。それのあちこちについているポケットには、トランシーバーだのピストルだのが収められていた。こちらから見て左側にある机の向こうに、立っている。
二人の周囲には、他にも、十数人の人間がいた。みな、男性と同じ格好をしている。違っている所と言えば、フルフェイスのヘルメットを被っており、シールドに遮られて顔がろくに見えない、という点と、アサルトライフルを構えており、銃口をこちらに向けている、という点だった。
そこまで認識したところで、ようやく、ベレッタ以外の人間の着ている服、右上腕に、南部グループの紋章を象ったワッペンが貼りつけられていることに気づいた。親衛隊の、ユニフォームだ。
背後で、ばたん、という大きな音がした。ばっ、と、そちらに視線を遣る。
出入り口の左右に、フルフェイスのヘルメットを被っている者と同じような格好をした人間が、一人ずつ、いた。やはり、アサルトライフルを構えており、銃口をこちらに向けている。
先刻まで行動を共にしていた、店員の姿は、すでに消えていた。さきほど聞こえた、ばたん、という音は、彼が作業場を出る時、扉を開け閉めしたことによるものだろう。
オノマトペとして形容できないほどの、かすかな音がした。顔の向きを前方へ戻すと、柔代が、拳銃を構えていた。銃口を男性に向け、トリガーに指を掛けている。直後、彼女が手を離したことにより落下していたアタッシェケースが、床にぶつかり、がつん、という音を立てた。
次の瞬間、拳銃が、柔代の手から離れた。
それは、ひゅっ、と落ちていった。そして、かしゃん、という音を立て、床に着地すると、ざざざ、と、前方へ滑っていき、男性の足下で止まった。
彼は、脚を屈めると、拳銃を拾い上げた。それから数秒、まじまじ、と、それを見つめた後、視線を武幡たちへと移動させて、ふっ、と、こちらを馬鹿にするような笑みを浮かべた。
「こんな物で、ぼくたちとやり合うつもりだったのかい? 唯一の出口も、もう、塞がれてしまっているというのに」
柔代は、表情を崩さずに言った。「ないよりは、マシでしょう。それに、こちとら、あなたたちとは、事情が違うんです。強力な武器を手に入れるための、資金もルートも、大して持っていないし、仮に取得したところで、町中で、堂々と携帯するわけにはいかない。そのくらいの大きさ、そのくらいの威力の銃火器のほうが、総合的に見て、取り回しがいいんです」
心なしか、喋り方がゆっくりに感じる。時間を稼ぎながら、現状を打破するための策を考えているのかもしれない。
「そうだね、『ない』よりはマシだ」男性は、うんうん、と頷いた。「でも、これで、『ない』になってしまった」くっくっ、と笑った。「まあ、安心してよ、二人とも。ぼくたちは何も、快楽暴行者集団、ってわけじゃない」拳銃を、近くにある机の上に置いた。「武幡くんさえ、抵抗せずに大人しく捕まってくれるなら、痛めつけるようなことはしない、って約束しよう」
「信用できませんね」柔代は、ふん、と鼻を鳴らした。「あなた、小留戸(こると)襄箆(じょうへい)でしょう? 南部グループの親衛隊に所属している、小隊長。顔と名前は、前から知っていました。後は、噂だけ。任務を達成するためなら、どんな鬼畜な所業でも、一縷の躊躇もなく、遂行するとか」
「これはひどい」彼は、大袈裟に首を横に振った。「ぼくは、職務に忠実なだけさ。褒められこそすれ、貶される筋合いはないね」
「へえ、貶されているという自覚が──」
「武幡くん」小留戸は、柔代の台詞を遮ると、こちらに視線を移動させて、言った。怒っている、というよりは、面倒臭がっている、という様子だ。「きみたちと無駄話をするつもりはない。さ、早く捕まっておくれ」
数秒間、黙り込んだ。口を開け、「もし、断ったら?」と訊く。
「その質問、必要あるかい?」小留戸は呆れたような表情をした。早口で、捲し立てるように喋り始める。「答えは、決まっているじゃないか。『浜田ちゃんの聞いた噂が、虚構じゃないことを、身をもって知ることになる』。
おっと、変なブラフはかまさないでおくれよ。もし、この場を切り抜けられるような手段があるなら、こうしてだらだら話さずに、とっくの昔に、行動するなり交渉するなり、何なりしているはずなんだ。
でも、きみたちは、ぼくたちと出会ってから今に至るまで、ろくなアクションを起こしていない。この状況を打開できるような策が、ないんだろう? だから、起こそうにも起こせないんだ。
はあーっ……」息継ぎをした。「……と、いうわけだ。もう一度言う、早く捕まっておくれ」
「わかった」
武幡は、そう即答した。柔代が、わずかに目を瞠って、こちらに視線を向けてきた。
「大丈夫だ」彼は、柔代に顔を寄せると、ひそひそ、と言った。「なんとか、隙を見つけて、監禁場所へ到着するまでの間に、逃げ出してやるさ。おれには、《認識不可》もあるしな」
「いや、ですが──」
柔代の台詞を遮り、ぱんぱん、という音が響いた。小留戸が、両掌を叩き合わせたのだ。二人は、視線をお互いから外すと、彼に向けた。
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