第02/17話 朗報

「それにしても、また、見つかるとはなあ……南部グループの、親衛隊員に」武幡は、はあ、と、溜め息を吐いた。「家を脱走してから、もう、二年以上が経つ。今までにも何度か、ばれて、追いかけられたことはあったが……最近は、どんどん、頻度が上がっているぞ。現に、前回、同じような目に遭ってから、まだ、一週間も過ぎていない」

「そうですね……」柔代は、うんうん、と頷いた。「まあ、なにせ、わたしたちのいる中国地方は、南部グループの支配下にありますからね。割澤(わるさわ)財閥の支配している近畿地方や、モーゼル・コンツェルンの支配している九州地方、流賀(るが)ホールディングスの支配している四国地方なら、そのような心配、しなくていいのですけれど……」

「中国地方を出て、そこら辺へ移動するのが、直近の目標だな」武幡はそれから、「でもなあ……」と呟き、うーん、と唸った。「二年前からずっと、その方法を模索しているんだが、未だに、いいのが思いつかないんだよなあ……もう、いっそのこと、無理矢理にでも、向かってみようか?」冗談めかして言った。

「それは……やめておいたほうがよろしいかと」柔代は、生真面目にもそう回答した。「まず、陸路ですが、岡山県および鳥取県と、兵庫県の県境には、コンクリート製の分厚い壁が建てられています。乗り越えるのは不可能でしょうし、いくつか設けられているゲートは、南部グループの親衛隊と、割澤財閥の親衛隊が、合同で警備していて、無断で通ることはできません。

 次に、海路ですが、近海には、哨戒の船舶やヘリコプター、ドローンなどが多数、常にうろついていて、許可なく航行しようとすると、すぐ見つかります」

「ま、そうだな。となると、やっぱり、合法的に移動するしかないわけか。ゲートを通って、兵庫県に入るか、フェリーに乗って、別の地方に向かうか。中国地方でさえなければ、どこでもいいんだが……」

「はい」柔代は、こくり、と頷いた。「しかし、いずれの場合も、外遊許可勲章が──【ザウバークーゲル・メダル】が必要です。それも、二度と戻ってこない、つまり、行った先で永住するとなると、一等のメダルが必要となるでしょう。二等以下では、一定の期間が経過したら、中国地方へ強制送還されてしまいます。

 三等以下の物なら、今までに何度か、手に入れる機会があったのですが、二等以上、特に一等となると……」柔代はしばらく沈黙した。「手に入れる機会どころか、そのような機会を得る機会すら、まったく恵まれませんでした」

「おれの家──おれが暮らしていた別邸じゃなくて、本邸──あの、大豪邸の金庫室になら、一等のメダルが置いてある、とは、噂で聞いたことがあるんだけどなあ……」武幡は、うーん、と唸った。「そんなとこ、侵入できるわけもない。見つかって、捕らえられるのがオチだろう。

 いや。捕らえられるなら、まだマシだ。グループは、『南部武幡は、生存している状態で拘束することが望ましいが、やむを得ない場合は、殺しても構わない』って方針だからな。

 なんでも、実家のやつら、おれを生きた状態で確保することができたら、どこぞに監禁するつもりらしいぞ。二度と逃げられないよう、手足を切断して、目をくり抜くらしい。おれを、【プライズ】を行使するだけの装置にする気だ」

「絶対に、捕まるわけにはいきませんね」柔代は、自分に言い聞かせるように呟いた。

 武幡は、はああーっ、と、今までのどれよりも深い溜め息を吐いた。「まったく、なんでおれなんかに、【プライズ】が発現してしまったんだか……そりゃあ、わかってはいるけどな。【プライズ】が、誰にどのタイミングで齎されるかは、完全にランダムだって。腹の中にいる赤ん坊が、すでに【プライズ】を有しているケースもあれば、老人が、天寿を全うする数分前に、【プライズ】を獲得したケースもあるそうじゃないか」ぽりぽり、と、右側頭部を掻いた。「中学までは、同年代のやつらと、大して変わらない生活を送れていたんだ。高校一年の春に、【プライズ】を手に入れさえしなけりゃ……」

 柔代は黙って、愚痴を聴いてくれていた。嫌悪はしていなさそうだ。

「まあ、でも、発現してくれた【プライズ】の内容自体は、よかったよ。おかげで、家を脱走してから今日まで、なんとか、逃げ続けることができている」

「《認識不可》(レコグナイズ・アネイブル)でしたよね? 発動すると、少しの間、他の生物から、まったく認識されなくなるっていう……視覚や聴覚はもちろんのこと、嗅覚や触覚でも。己だけでなく、他の物体に対して、能力を行使することもできる」

「そうだ」武幡は、こくり、と頷いた。「知覚されないのは生物だけで、カメラとかセンサーとか、そういう無生物には、認識されてしまうんだけどな。ま、おかげで、南部グループの親衛隊員に見つかって、追いかけられるようなことがあっても、なんとか、毎回、逃げきることができている。

 まったく、もし、おれの能力が、役に立たないようなものだったら、と思うと、ぞっとするよ……【プライズ】は、一人につき一つしか発現しないからな」

「本当、ご主人さまの【プライズ】には、いつも助けられています」柔代は頷いた。「もし、わたしが、何らかの事情で、ご主人さまの元からいなくなるようなことが起きたとしても、それさえあれば、大丈夫でしょう」

「お前が消えても、だって?」武幡は、少しばかり大声を上げた。「そりゃ、困るよ。だって、おれの《認識不可》は、まったく戦闘向きじゃないじゃないか。柔代の【プライズ】、《毒性嘆息》(トキシック・サイ)がなければ、とっくの昔に、南部グループに捕まってしまっていたよ」

「ありがとうございます」柔代は、ぺこ、と、軽く頭を下げた。表情が柔らかくなっている。「しかし、わたしの能力は、しょせん、相手に近接している状態でしか、使えませんからね。溜め息を吐いたら、それが、強力な毒性を帯びて、肌に触れるだけでも、その生物を死に至らしめるようになる、っていう。

 せめて、遠くから攻撃できるような【プライズ】だったら、よかったのですがね……クリームの類いに、溜め息を吐きかければ、それも毒性を帯びるようになりますから、そのような物を塗布した矢か何か、使えばいいのかもしれませんが……」

「手間だしなあ……ううん」武幡は、ぶんぶん、と、首を横に振った。「ない物をねだっても仕方がない。それよりも、建設的な話をしようじゃないか。

 柔代、以前から、情報屋たちに、一等の【ザウバークーゲル・メダル】の情報を集めるよう、要請していただろう? あれの進捗は、今、どうなんだ?」

「あまり、芳しい報告は受けていません」柔代は即答した。眉間に軽く皺を寄せている。「【ウェルロッド】や【山西】、【MAB】など、いろいろな方に依頼をしていますが……それに、資金も苦しくなってきていますし」

「資金、ねえ……」武幡は腕を組むと、ううむ、と唸った。「今まではなんとか、家を脱走した時に持ち出した金銭や貴金属類で、なんとか凌いでいたが……これからは、どうすべきかなあ。

 やっぱり、働くしかないか? しかし、正体を明らかにするわけにはいかないし……身分を問われないような仕事となると、危なそうというか、怖そうというか、賃金が低そうというか……だいいち、勤めているところを、南部グループの親衛隊員に見られでもしたらなあ……」

 武幡はそれからも、いろいろとぼやきながら、考えを巡らせていった。その途中で、ぴろぴろぴろ、という電子音が聞こえ出した。

 柔代は、スカートのポケットから、スマートホンを取り出した。ディスプレイをタップすると、右耳に当てる。「もしもし、浜田です」

 スマートホンは、武幡も持っている。裏社会の、とあるルートを通じて、手に入れた物だ。

 柔代は、しばらくの間、通話を続けた。武幡は、それの邪魔をしてしまわないよう気をつけながら、相変わらず、考えを巡らせていた。

「えっ?!」唐突に、柔代が大声を出したので、武幡は思わず、彼女に視線を向けた。「ほ……本当ですか、それは?」動揺、いや興奮していることが、見て取れた。

 柔代は、その後も、通話を続けていった。しばらくしてから終えると、スマートホンをスカートのポケットにしまった。

「ご主人さま」彼女はこちらを向いた。「朗報です」さきほどまでとは打って変わって、表情を緩めている。

「朗報?」家を脱走してからは、朗報だなんて、片手で数えられるほどしか、耳にしていない。「何だ、それは?」

「以前、仕事を依頼したことのある、情報屋のうちの一人、【ベレッタ】さまが、一等の【ザウバークーゲル・メダル】を手に入れたそうです」

「ほっ、本当かっ!」武幡は腕を解くと、両手を膝の上に置いて、上半身をやや前傾させた。「まさに、朗報じゃないかっ!」

「はい」こくり、と柔代は頷いた。「なんでも、数週間前、他の人から、南部邸に忍び込んで物を盗む、という依頼を受けたらしいです。で、その時ついでに、金庫室に保管されていた、一等の【ザウバークーゲル・メダル】も、持ち出してきたとかで」

「なるほど……」武幡は、こくこく、と、首を縦に振ってから、ふと疑問に思ったことを言った。「しかし……なぜ、おれたちに連絡してくれたんだ? こう言っちゃなんだが、おれたち以外にも、それを欲しがっているやつ、いっぱいいるだろう?」

「そこです。そこが、問題なのです。ベレッタさま自身も、いくら、主目的ではないとは言え、一等の【ザウバークーゲル・メダル】を手に入れるのはとても苦労した、そう簡単には渡せない、と仰っていました。

 そこで、オークションを開くそうです」

「オークション?」

「ええ。なんでも、わたしたち以外に、一等の【ザウバークーゲル・メダル】を欲しがっている人たちを集めて、開催するとかで。一番高い買い取り額を提示した人に、売るそうです」

「オークションかあ……」武幡は再び腕を組むと、「うーむ……」と唸った。「参ったなあ……金なんて、もう、大して持っていないぞ……」

「しかし、とりあえず、行ってみる価値はあると思います」

「もちろんだ」武幡は力強く頷いた。「よし! 資金を調達する手段は、後で考えるとして、とりあえず、そのオークションに参加することを、ベレッタに伝えてくれ!」

「さきほど、すでに、その旨を連絡済みです。オークションは、十一月の第三土曜日に開かれる、とのことでした。場所は、直前になったら、知らせてくれるそうで」

「ふうん……」武幡は、今日の日付を思い返した。「あと、ちょうど二週間か。それまでに、可能な限り、金を集めておかないと……」うーん、と唸った。「……何か、いい案はないか、柔代?」

「実は昨日、こんな物を見つけました」

 柔代は、チラシを一枚、テーブルの上に置いた。武幡は上半身を軽く前傾させると、それを覗き込んだ。

「ベル運びシャトルラン大会……?」

 チラシの上部には、ポップ体の文字で、そのようなことが書かれていた。

「【イナガキ】の近くには、無量貫(むりょうかん)製作所という町工場があります。なんでも、そこの所長の息子さんが、ウェイトリフティングの世界記録保持者らしいんですね。で、それを記念して、町興しも兼ね、次の日曜日に、こんな大会が催されるようなんです」

 武幡は、ルール説明の欄に視線を遣った。一キログラム、五キログラムなど、さまざまな重さの鐘を、スタートからゴールまで、ひたすら運び続ける。一定時間が経過した後、移動させた鐘の合計の重さが一番多い人の優勝。重さに応じた賞金が貰える。そういう内容だった。なぜ鐘なのか、と言うと、製作所の主力商品であるから、とのことだった。

「わたしは、これに参加しようと思います」

「なるほど……」武幡は、参加可能人数の欄を見た。三人以内なら、チームを組んでもいいそうだ。「よし、おれも参加しよう」

「今の、わたしたちの所持金が、六百万円です。最低でも、なんとか四百万円を稼いで、手持ちを、一千万円にまで増やしたいですね。それでも、足りるかどうか、わかりませんが……」

「四百万円かあ……」武幡は眉間を険しくした。「運べるかなあ、そんなに……いや、できたとして、主催者が、出してくれるかどうか……」

「まあ、とにかく、やるしかありません。わたし、筋力と体力には、自信がありますから。運びまくってやりますよ」柔代は、ふんす、と鼻を鳴らして、胸を張った。

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