ギャンブル×ガンファイア

吟野慶隆

第01/17話 逃走

 南部(なんぶ)武幡(たけはた)は、全力疾走していた。

 道路は、とても狭く、車二台がやっとの思いですれ違えるほどの幅しかなかった。歩道も、しっかりとした物が設けられているわけではなく、ただ、アスファルトの両脇に白線が引かれ、区切られているのみだ。

 丁字路を、左に曲がる。数十メートル先の突き当たりに、また、丁字路があるのが見えた。そこ目指して、走り続ける。

 ばあん、という大きな音が、背後から響いてきた。直後、近くにあった自動販売機の、商品サンプルが陳列されているウインドウのガラスが、ぱりん、と割れた。

(クソ……!)

 思わず、心の中で叫んで、振り返る。さきほど曲がった丁字路に、三人の兵士がいた。全員、灰色系統の迷彩が施された戦闘服を着ている。頭には、キャップやゴーグル、マスクを着けているため、顔は、ほとんど見えない。

 彼らのうち一人は、立ち止まって、拳銃を構え、武幡に銃口を向けていた。残り二人は、こちらめがけて全力疾走していた。発砲の邪魔にならないよう、歩道上を移動している。

 この地域は、住民がとても少なく、空き家や廃墟の類いがたくさんある。そのうえ、今は深夜だ。辺りに、人気はまったくなかった。そのことは、車の通行を気にすることなく、道路中央を駆けて逃げることができる、というメリットと、周囲に助けを求めることができず、追いかけっこが継続する、というデメリットを齎していた。

(しつこいやつらめ……早く、諦めてくれよ……!)

 そこまで心の中で呟いたところで、拳銃を持った兵士が、再びトリガーを引いたらしく、ばあん、という大きな音が響いた。

「はっ!」

 武幡の左斜め後ろあたりを、同じように全力疾走する女子──浜田(はまだ)柔代(やわよ)は、小さくそう叫ぶと、右腕を、彼の背後で、大きく振った。

 ぎいん、という、甲高い音が鳴った。直後、だあん、という音がして、近くに立っている電柱に貼られたポスターに描かれている、犬のイラストの眉間に、風穴が開いた。どうやら、素手で銃弾を逸らしたらしい。

「ご主人さま」柔代が、小声で話しかけてきた。彼女は、メイド服を着ていた。武幡は、スーツ姿である。「あの丁字路、右に曲がったら、反撃しましょう」

 彼は、こく、と、首を縦に振った。「わかった」

 数秒と経たないうちに、丁字路に着いた。さきほど打ち合わせたとおり、右に曲がる。角を越え、追いかけてきている兵士たちの視界から一時的に消えたところで、両脚にブレーキをかけ、立ち止まった。

 武幡は中腰になると、ぜえ、ぜえ、と、息を荒げた。額から滴が垂れ、目尻の横を通り過ぎ、頬へと流れていくのが感じられた。

 ちら、と、柔代に視線を遣った。彼女は、とても涼しげな見た目をしていた。汗を掻くどころか、呼吸を乱してすらいない。その姿は、頼もしそうな印象を与えてくれた。

「ご主人さま。わたしに、【プライズ】を使ってください」柔代は右手を、掌を上に向けた状態で差し出してきた。

「わかった」

 武幡は腰を伸ばすと、柔代の右手を、両手で掴んだ。心の中で、念じる。

【プライズ】を行使した、という、形容しがたい感覚があった。「終わったぞ」と言い、彼女の手を離す。

 武幡は、次に、己の胸部を右手で押さえた。自身に対しても、【プライズ】を行使する。

「ありがとうございます。では、あちらへ」

 柔代は、ととと、と小走りで移動し始めた。角を出て、丁字路の突き当たりを過ぎた後、反対側にある角に身を隠す。武幡も、彼女の後をついていった。

 それから一秒の半分ほどが経ったところで、兵士たちが、交差点に到着した。だだだ、と、全力疾走したまま、右折する。いつの間にやら、拳銃を撃っていた者も加わって、三人になっていた。

「クソっ!」一人が、そう喚くと、駆ける速度を落としていき、ついには立ち止まった。「いない……見失ったわ!」きょろきょろ、と、辺りに視線を遣っている。声からして、若い女性だ。

「安易に判断するな!」もう一人が、彼女に向かって叫んだ。声からして、老いた男性だ。「武幡の持っている【プライズ】を忘れたのか?! われわれが認識できないだけで、近くにいるかもしれ──」

 兵士の台詞は、そこで途切れた。柔代が右足で繰り出したハイキックが、彼の頭に命中し、首の骨を、ごき、と折ったからだ。

 彼女は、同時に、右手に握っていた拳銃のトリガーを引いた。さきほど、スカートのポケットから取り出した物だ。銃口は、若い女性兵士に向けられていた。

 ばあん、という音が辺りに響いた。次の瞬間、ターゲットの眉間に風穴が開いた。彼女は、ばったり、と、俯せに倒れると、そのまま動かなくなった。

「ク……クソおおお!」残り一人になってしまった兵士は、そう喚きながら、拳銃をあちこちに向けて、ばあんばあんばあん、と、乱射し始めた。声からして、若い男性だ。

 武幡は、ばっ、と、その場に伏せて、銃弾を避けた。彼が発砲している方向は、前後左右だけだった。パニックに陥っているせいか、上下にも撃とう、という考えには至らないらしい。

 柔代は、だっ、と、宙高くジャンプした。両足の下を、銃弾が通り過ぎていった。

 兵士の右隣に、すたっ、と着地する。すぐさま、彼の頭を、両手で鷲掴みにした。

 その右側頭部めがけて、はああ、と、大きな溜め息を吐きかけた。

「ひ……!」兵士は、これから己に降りかかる災難を想像したようだった。

 そして、それは裏切られなかったに違いなかった。一瞬後には、彼の耳や頬、蟀谷などの肌が、赤黒く青黒く紫黒く変色した。同時に、ぶくぶくぶく、と、泡立つかのように、たくさんの腫瘤が出来た。目玉が、眼窩から、ずるり、と零れると、地面に落下して、ぺちゃ、と潰れ、ペースト状と化した。

「あ……あ……」

 兵士は、苦しさに呻き声を上げるどころか、まともな言葉を発することすらできないようだった。がくり、と、その場に膝をつく。拳銃が、手を離れて落下し、地面に衝突して、かしゃん、という音を立てた。

 そのまま彼は、上半身を前傾させていくと、やがて、どさ、と、アスファルトにぶつけた。でろでろでろ、と、さまざまな体液の混じった液体が、頭を中心として、水溜まりのごとく、辺りに広がり始めた。

 柔代は、ととと、とこちらへ戻ってきた。武幡は「よくやった」と声をかけた。

「ありがとうございます」彼女は一瞬だけ、顔を綻ばせた。「さあ、早く行きましょう」すぐに引き締めた。「もう、ご主人さまの【プライズ】の効果も、切れている頃でしょうし。新しい追っ手が来るかも──」

「いたぞ!」

 柔代の台詞を遮って、そんな声が聞こえてきた。彼女の背後、交差点を越えた数十メートル先に、視線を遣る。

 さきほどの三人と同じような格好をした兵士が七人、道路上にいた。こちらめがけて、どどど、と、駆けてきている。

「クソっ!」

 武幡は、くるり、と、体を半回転させると、だだだっ、と、走って逃げ始めた。左斜め後ろあたりを、柔代が、たたた、と、追いかけてきた。

「ご主人さま」整った呼吸のまま、彼女が言った。「ひとまず、ここから一番近い隠れ家、【イナガキ】に向かいましょう」

「わかった!」武幡は、そう返事をして、ひたすら走り続けた。


 二人はその後、十数分間、逃げ続けた。【プライズ】を行使すれば、追っ手を撒くことは、比較的容易だ。しかし、それには、肉体的にも精神的にも、スタミナを要する。短時間のうちに、そう何度も発動させるわけにはいかなかった。

【イナガキ】への入り口は、宝くじ売り場の中にあった。わずか数畳の施設で、スーパーの前を横切っている道の途中に、ぽつん、と建っている。

 隠れ家は地下にあり、そこへと続く階段が、売り場に設けられているのだ。店員は、こちらの協力者で、信頼のおける人物だから、とりあえずは、情報漏洩の心配はしていない。

【イナガキ】は地下にあるが、内部は、地上のそこらに建っている住居と、なんら変わりない。リビングやキッチン、シャワー室やトイレなどがある。ただ、隠れ家、というだけあって、二人で暮らすには、やはり狭かった。

 武幡たちは、到着するなり、さっそく、作戦会議を始めることにした。テーブルの、向かって左側に彼が、右側に柔代がつく。

「じゃあ、今後の方針について話し合おうか──と、その前に」武幡は、柔代を、じっ、と見つめた。「体調に、問題はないのか? さっき、追っ手たちに、いろいろ、攻撃されていたが。見たところでは、大丈夫そうだけれど……」

 彼女は、葡萄色をした髪を、膝の辺りに届くくらいにまで伸ばしていた。それを、茄子色の、蝶々結びにしたリボンで纏め、ツインテールにしている。瞳はアメシスト色で、肌は白っぽい。身長は、武幡と同じくらいで、胸がとても大きかった。

 クラシカルな雰囲気をした、メイド服を纏っている。黒い、長袖ブラウスやロングスカートに身を包んでおり、白くてフリルがついた、エプロンやヘッドドレスを着けていた。

「特に、問題ありません」柔代は、ふるふる、と、首を横に振った。「怪我もしていませんし、気分も悪くありません。ご主人さまこそ、体調は大丈夫ですか?」心配そうな目で、じっ、と見つめ返してきた。

 武幡は、黒くて短い髪を、特に整えることもなく、自然なままにしておいていた。フォーマルなスーツに身を包んでいる。インナーは、黒いTシャツ、アウターは、白い長袖ワイシャツ。灰色の、長袖ジャケットやスラックスを着ていた。黒いベルトを腰に巻き、紺色のネクタイを締めている。

「おれも、特に問題はないよ」

 そう答えると、柔代は「そうですか」と言って、ほっ、と短く安堵の溜め息を吐いた。

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