第04/17話 チャンス
「お別れの挨拶は、そこまでにしておくれ。さ、武幡くん、早くこっちに来るんだ。
大丈夫、本部から、殺してでもいいから何としてでも捕まえるように、と指示されているのは、武幡くんだけだ。浜田ちゃんについては、拘束しろとも、捨て置けとも、言われていない。きみさえ、ぼくたちに従ってくれれば、彼女は、放っておいてあげるよ。
だいいち、さっきも言ったけど、ぼくは、快楽暴行者じゃない。痛めつけるはあくまで、任務を遂行するための手段であって、目的じゃない。必要もないのに、危害を加えたりなんかしないさ」
「その言葉、嘘じゃないだろうな?」
武幡は、ぎろ、と、小留戸を睨みつけた。彼の周囲にいる、隊員たちのうち何人かが、わずかながらもたじろいだのが見えた。
「嘘じゃないとも」小留戸は、うんうん、と頷いた。相変わらず、穏やかそうな印象を周囲に与えるような糸目をしている。「だから、さ、早くこっちに来ておくれ。注射をしなければならない」
「注射?」
「即効性の、局部麻酔だ。これを、両脚に打たせてもらう。十数分で、何も感じないようになるから、そうなったら、付け根から切断させてもらうよ。逃走防止のためにね。器具は準備してある」
小留戸は、こちらから見て彼の左隣にある机の上を指した。なるほど、さきほどまでは、模型製作にでも使うのか、と思っていたため、気にしていなかったが、よくよく見てみれば、裁断機じみた切断装置や、注射器に包帯、金盥などが置いてある。
「まあ、麻酔を注射してあげるだけ、優しいと思っておくれ。本来なら、別に、なくてもよかったんだから。まあ、痛みが強すぎるせいで、何かしらのショックを起こして死んでしまう、という事態を避けるためのものなんだけれどね」
「……わかったよ」
武幡はそう言うと、小留戸たちの所に向かって、歩いて行こうとした。
「待ちな!」
そんな、女性の大声が聞こえた。そちらに、視線を遣る。
叫んだのは、ベレッタだった。「ちょいと待ちなよ、武幡」と続けた。
「ベレッタくん、いったい何を──」
「まずは、謝らせてもらう」彼女は、小留戸の台詞を遮ってそう言うと、こちらに向かって、深々と頭を下げた。「すまなかった。ちょいと、こいつらに弱みを握られてね。あんたを誘き出すよう、脅迫されたんだ。従うしかなかったんだよ。すまなかった」
武幡は、ベレッタを睨みつけたまま、何も言わなかった。彼女も被害者のようだが、こちらだって、今から害を被るのだ。それも、彼女が被ったよりも、大きな害を。
「お詫びと言っちゃなんだが」ベレッタは頭を上げた。「あたいからあんたに、提供できるものがある。この場を切り抜けるための策だ」
隊員たちが、どよめいた。小留戸が、何か台詞を発しようとして、口を開いた瞬間、彼女はそちらに顔を向け、再度、「待ちな!」と叫んだ。「これは、南部グループにも、利益のある話だよ。でなければ、こんなことを、よりにもよって、あんたたちの目の前で言い出したりしないだろう?
だいいち、今、この場をどうするか、決定する権限を持つのは、どう考えたって、あんたたちじゃないか。とりあえず、あたいの話を聴いてくれよ。そのうえで、どう行動するか、決めればいいじゃないか。あたいの提案に乗ってくれてもいいし、無視して、さっさと武幡を捕まえてもいいし」
小留戸は、口を閉じた。数秒間、黙り込んだ後、「わかったよ」と言う。「とりあえず、聴いてみようじゃないか。なんだい、その話って?」
武幡は、相変わらずベレッタの顔を見つめ続けていた。しかし、さきほどまでとは違って、あまり、怒りは感じていない。彼女が何を言い出すのか、という、期待のほうが強かった。この際、現状を打開できるのなら、何でもいい。
「単刀直入に言う。一等の【ザウバークーゲル・メダル】を入手した」
その場にいる、ベレッタを覗く全員が、目を瞠った。
「浜田に、『一等の【ザウバークーゲル・メダル】を入手した』って言ったのは、嘘じゃない、本当のことさ。こいつらに脅迫された後、あたいの【プライズ】を行使して、南部邸に潜入してね。いろいろと危険な目に遭ったけれど、なんとか、持ち出せたよ。代わりに、精巧なレプリカを置いてきたから──ご存知のとおり、模型を制作するのは、得意だからね──南部邸のやつら、盗まれた、ということにすら、まだ気づいてないはずだ」
「証拠は?」小留戸が、珍しくも狼狽えたように言った。「きみが、一等の【ザウバークーゲル・メダル】を入手した、っていう証拠はあるのかい?」
「もちろん、あるよ。そこにある棚の」ベレッタは、自身が寄りかかっている机の向こうの通路上に置かれている棚を、右手で指した。「下から三段目、右端に置いてあるケースに立てているクリアフォルダを確認してみな」
小留戸は、視線を彼女に向けたまま、「十枯(とかれ)」と言った。「見て来ておくれ」
直後、隊員たちのうちの一人、最も小柄な者が、ベレッタの指した棚に向かった。数秒とかけずして到着すると、クリアフォルダを取り出す。
「見せておくれ。何が入ってるんだい?」
十枯はクリアフォルダを、こちらに向け、軽く掲げた。
そこには、A4サイズの写真が入っていた。ここで撮られたものらしく、上半分には作業場の背景が、下半分には机が写り込んでいる。机の左側には、今日の朝刊が置かれていた。
そして、右側には、一等の【ザウバークーゲル・メダル】があった。
錨十字をひっくり返し、円の部分を、横長の長方形に取り替えたような紋章が刻まれていた。長方形の、真ん中やや上あたりには、真珠らしき白い球体が二つ、横に並べて嵌め込まれている。その下には、翼を左右に広げた、何かしらの鳥の絵が彫られていた。
何と言うか、全体的に、異様な雰囲気を放っている勲章だった。銀色をしているのだが、そこら辺にある金属の色ではない。どう形容すべきだろう、じっと見つめていると呑み込まれそうになると言うか、できれば手元に置いておきたくないような気持ちにさせられると言うか。写真越しに見ても、これほどの圧を感じるのだから、実際に直視しようものなら、失神してしまうのではないだろうか。
「てっきり、苦し紛れに、偽物でも出してくるんじゃないか、って思っていたけれど……」小留戸は、眩しそうな目をして、十枯のほうを見つめていた。「この迫力……間違いない、本物だね」視線をベレッタに移した。「どこにあるんだい? ……ああ」はあ、と溜め息を吐いた。「野暮なことを訊いてしまった」
「そのとおり、野暮だね」ベレッタは、くすくす、と笑った。もはや彼女は、この場の主導権を、わずかでない程度に握っていた。「この店ではない、どこか別の場所に保管しているかもしれないし、あえて裏を掻いて、この店に隠しているかもしれない。捜してみるかい?」
「……小隊長」
十枯が、小留戸に近づいて、そう言った。声からして、女性だろう。クリアフォルダは、彼の近くにある机の上に置いた。
「どうしましょう? 拉致して、拷問するか……あるいは、心理系の【プライズ】を持つ者に手伝ってもらって、心を読みますか?」
「……いや」小留戸は、十枯のほうには顔を向けずに答えた。「それは、やめておこう。ベレッタくんは、腕利きの情報屋だし、持っている【プライズ】も、たしか、心理系だったはずだ。当然、難詰の類いへの対策は、怠っていないだろう。やるだけ、無駄じゃないかな」
ベレッタは、くく、と笑った。「感謝するよ、賢明な判断をしてくれて」
「それで?」小留戸は両手を上げ、掌を天井に向けた。「きみが、南部邸に保管されていた、一等の【ザウバークーゲル・メダル】を盗み出し、所持している、ということはわかった。それで? それが、どう、この場を武幡くんたちが切り抜けることや、ぼくたちが利益を得ることに、繋がるんだい?」
「そう複雑なことじゃない、単純さ。二人には──小留戸と武幡には、勝負をしてもらう」
「勝負?」武幡は、素っ頓狂な声を上げた。「勝負って……何の?」
「何でもいい。ギャンブルでもゲームでも、一対一の殺し合いでも。【ザウバークーゲル・メダル】を賭けたバトルだ。勝ったほうに、渡すことにする」
武幡は、しばらく黙り込んでから言った。「それは……非現実的だな。【ザウバークーゲル・メダル】は、小留戸だって、何としてでも手に入れたいはずだ。たとえ、おれが勝ったところで、やつは、約束を反故にして、武力に物を言わせ、むりやりあんたを拉致して、在処を聞き出そうとするだろうな」
「ああ」ベレッタは、こく、と頷いた。「あたいもそう思う。
そこでだ、あたいの【プライズ】、《自在暗示》(フリーリー・サジェッション)を、事前に行使して、あんたたちに、暗示をかけておこうと思う。
暗示の内容は、まあ、簡単なものでいいんじゃないかね。『相手との勝負に負けたら、記憶を無くして、本部に戻る』とか、『相手との勝負に負けたら、大人しく拘束される』とか」
「なるほど」武幡は腕を組んだ。
「ちょっと、いいかい?」いつの間にやら両腕を下ろしていた小留戸が、右手を軽く挙げた。「それだと、今度は、きみが、不正をする可能性があるんじゃないかな? どう考えたって、きみ、ぼくたちに、好印象なんて抱いていないだろうしね。こっそり、ぼくたちが不利になるような、武幡くんたちが有利になるような暗示をかける、というリスクがある」
「何を言うかと思えば……」ベレッタは、ふっ、と、彼を馬鹿にするように笑った。「あんたたち、今日、ここに来た時に、あたいに見せてくれたじゃないか。非接触型催眠計、DUM‐2をさ。あれを使えばいいじゃないか」
「ああ……」小留戸は苦虫を噛み潰したような表情になった。「そうだね……すっかり忘れていたよ」
武幡は柔代に顔を近づけると、ひそひそ声で、「何だ、非接触型催眠計、って?」と訊いた。
「任意の人物が、どのくらいの催眠状態に陥っているかを示す、催眠値を測定する機械です。通常の状態ならば、0。うたた寝をしているような状態ならば、0.1から0.2まで。0.6以上であるならば、催眠系の能力にかけられている可能性が高い、と判断できます。
DUM‐2というのは、南部グループの関連企業である、ナンブプライズ開発が販売している製品ですね。催眠値を計れるだけでなく、催眠をかけられている場合、それがどのような内容の物なのか、まで調べられる優れ物です」
「……それで、だ」ベレッタは小留戸の両目を、じっ、と見据えた。「どうだい? 以上が、あたいの提案だが……承諾する気は、あるかい?」
彼は沈黙した。しかしそれは、十秒に満たないほどで、すぐさま、「わかった」と言った。「きみの話を、受け入れよう。ただ、少しだけ……そうだね」壁に掛かっているアナログ時計に目を遣った。「二時間ほど、もらおうかな。なにしろ、事前に想定していなかった展開だからね……部下たちと、打ち合わせをしておきたいんだ」こちらに視線を向けてきた。「午後三時になったら、勝負について、いろいろと話をしようじゃないか」
武幡は「わかった」と返事をして、首を縦に振った。
「じゃあ、ぼくたちは、作業場の隅に──そうだね、南西にでも移動しよう。きみたちは、北東に移動してくれ。お互い、離れているほうが、話を盗み聞きされる心配がなくて、いいだろう?」
作業場の出入り口は、上から見ると長方形をしている部屋の、南辺の中央に位置している。
「あと、ないとは思うけれど、念のため言っておくよ。出入り口には、見張りを立てておく。逃げようとしても、無駄だからね。トイレに行きたくなったら、言っておくれ。一階のバックヤードまで、隊員たちをついていかせるから」
小留戸は、くる、と、体を半回転させると、移動を開始しようとした。その背中に対して、武幡は、「ちょっと待て」と言った。
彼は、再びターンすると、怪訝そうな顔をこちらに向けてきた。「何だい?」
「柔代の拳銃、返せ」武幡は右手を、掌を上に向けた状態で、前方に差し出した。「もしかしたら、勝負に必要になるかもしれないだろう? 別に、彼女一人が拳銃を所持したところで、総合的な武力は、あんたたちのほうが、圧倒的に高い。大したリスクじゃないはずだ」
「……わかったよ」
小留戸は、近くにある机の上に置いてあった拳銃を手に取ると、こちらめがけて投げてきた。それは、数秒後に落下して、かしゃん、という音を立てた。それから、がらがらがら、と、床を滑ってくると、武幡の右足の靴に、こん、とぶつかって、わずかに跳ね返った後、止まった。
彼は、わずかに眉を顰めた。「あんたたちと違って、おれたちには、武器はこれ一つしかないんだから。丁寧に扱えよな」脚を屈め、拳銃を拾い上げた。
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