運命って実は扉を強く殴打せずに影を潜めてストーカーするらしい
只野夢窮
運命
「あなたはね、パパとママがいなくなった時にお兄ちゃんを世話するために産んだのよ」
それが私の人生だった。
どこにでもあるような家族だ。三人兄弟の真ん中の子供が障害を持っていることを除けば。自分自身の世話をすることが難しい次男を、私が小さい頃は両親が世話をしていた。父の育休が終わり、母の手だけでは手に余るようになったころ、私が“お世話係”になった。手をつないで登校し、学校で何かを起こせば代わりに平謝りし、そして手をつないで連れて帰る。家で癇癪を起こせば殴られ、押さえつけられ、物を壊される。
だから宿題なんてする暇もなかったし、もっていかないといけない道具も、ない時のほうが多かったかもしれない。
「なぜ宿題をしていないのですか」「なぜリコーダーがないのですか」「なぜ冬服を着ているのですか」
兄のせいにするたびに、私は「障害のある兄弟を虐める、ひどい女の子だ」となじられてきたから、誰かに理解してもらうのは諦めた。
私の成績は低かった。低いに決まっている。家では介護をしているから。授業中に眠くなって寝てしまえば、私は単に不真面目な子と思われた。まあそうとしか見えないだろう。授業中に寝ていて、成績が悪いんだから。そこで誰も私には教えようとしなかった。なにせ真面目な子供はいくらでもいる。
高校には行った。「最終学歴が中卒だと見栄えが悪いから」と母は言った。もちろんロクな高校であるはずがない。低偏差値の少し荒れた公立高校である。全部荒れているわけではない。いくら勉強のできない人たちと言っても全員が全員髪を茶色に染めて毎日暴走しているわけではない。むしろ、そうでない人たちが多いからこそ暴走することがかっこよく見えるのだと思う。逸脱は、普通が存在しないと成立し得ないのではないか。いや本筋が逸れた。そうでない人たちはどうしていたか。だいたい無気力に日々を過ごしていた。放課後にバイトに行ったり、遊んだりできる人は、割と恵まれているようだった。大抵の人は、私のような、とは言わないまでも、ある程度の問題を抱えたり、あるいは無気力だったりしていた。授業は意味が分からなかった。中学校の時点で何もわからんかったし、わかるわけがない。ただ大人しいから教師に目を付けられるようなことはなかった。
見付けてくれればよかったのに。
兄は高校には行かなかった。ずっと家にいて、高校生らしい爆発的なエネルギーを捻じ曲がった形で矯めていた。
私の処女が兄に奪われたのはこのころである。内容はよく覚えていない。いや思い出したくないといったところだろう。痛かったのは覚えている。殴られたから痛かったのか、無理やりのない行為が痛かったのかはわからない。避妊はなかった。ゴムをつける理性なんてあったらそもそもこんな目にはあっていない。事後の避妊のために使える小金はなかった。お小遣いをもらったことはない。ただ運のいいことに妊娠はしなかった。
親に泣きながら訴えると「うるさい、そうならないようにするのがあんたの仕事でしょ」と言われた。酷い仕打ちを毎日のように受けてきても、心の奥底ではまだ家族に期待していたのかもしれない。でもそれもこの一件で霧散した。何も信じられない。
家族と言えば姉のことを書いていなかった。もっとも書くようなこともない。姉、クソッタレの兄、そして私という構成なのだが、姉は普通の子供のようにかわいがられた。要は“子供”である姉と“便利な手ごま”である私とでは扱いが全く違うのである。しかし姉が私をいじめることもなければ、私が姉に何かを強く思うこともなかった。そもそも私が兄を世話する以上、私に近づけば姉とて暴力の被害を受ける可能性はあるのだ。そんなバカなことをわざわざすることはない。年齢が少し離れているということもあり、特段の感慨はない。大学生になったら家を出て行って、そこから就職して全く戻ってこない。いや賢い。私も逆の立場ならそうすると思う。だから恨みつらみと言うのもない。
そんなだから高校を卒業したら家でずっと弟の世話だ。24時間はたらけますか。私の人生はこれで終わるんだと思った。それぐらいなら、こいつら全員刺し殺して、牢屋にせいぜい20年程度入ってから出てきた方が、よほどマシじゃないかと思った。しかし弟にすら一対一で勝てないのにどうしたものか。
そんな生活に光が差したのは高校を出て5年後のある日だった。
母が足を骨折したのである。階段から落ちて折った。間抜けな折り方だ。ざまあみろ。とにかくそれで私が少しばかり外に出なければならなくなった。父は働きどおしだし、姉は戻ってこないし、でも買い物やらなんやらの用事はある。そこでスーパーに行った時に出会ったのが彼だった。彼とは高校の同級生のことである。別に私からさしたる印象を受けたわけではないが、向こうはかなり気軽に話しかけてきた。思えば人とまともに話すのは何年ぶりだろうか。私はつい長話をしてしまった。最近は野菜が高くて大変なこと、学生時代は憂いを帯びた私がかっこよく見えていたこと(あんな被害にあったらそりゃ憂いも帯びる)、卒業した後は役所の福祉の部署で働いていること。
「福祉ってじゃあ、頭のおかしな奴も引き受けてくれるってこと?」
つい口からポロリと出た。その言葉は戻らなかった。詳しく話を聞かれた。彼の部署は担当ではないが、以前の上司がそういった出来事を担当していると聞いた。世の中に、私の不幸を担当しているような部署があると、初めて知った。授業中寝てたからかな。あはは。
聞いてみるから、また一週間後ここで。そういって別れた。帰りが遅いと、母に殴られた。
結論から言うと家庭には介入できなかった。役所は助けを求める人に手を差し伸べることはできる。それはもう、色んな手段がある。しかし助けを求めていない家庭に介入することは厳しく制限がかけられている。
「がっかりだよ」
「だから、俺と家族にならないか」
「は?」
こんなに雑で、こんなに交際期間が短い、そんなプロポーズがあるだろうか。
「あんた正気? あたしなんて非処女の高卒の無職だよ?」
「ずっと好きだった。俺はそんなこと気にしないよ。もし嫌なら」
「嫌なわけあるかい!」
つい力がこもる。この地獄に糸を垂らすやつがいるなら、例えどんなに細い糸でも力強く握りしめてやる。こいつがDVするような奴だとしても、知性があるだけまだましだ。
幸せな人生だった。結論から言うと、この男はまともだった。そりゃまあ、理想の白馬の王子様じゃあない。収入も高卒の非正規で、とても裕福な暮らしとは言えない。無学な私が専業主婦をしているのだからなおさらだ。でも殴られたり襲われたりはしない。というか、やたら優しい。かえって困惑するぐらいだ。
なんか自分は性的にトラウマがあるのかなと思っていたが特にそうでもなかった。普通に子供ができた。式とかは特にあげなかった。お金もないし、私も親族に見てほしいとは思わなかった。なぜか母も兄も追いかけてこなかった。そんな遠くに逃げ出したわけでもないのに。それにしてもまさか、私に普通の幸せが、普通に舞い込んでくるとは思えなかった。これはまるで夢ではないか。もし目が覚めたら、あの汚い部屋で汚い兄が無理やり私を抑え込もうとしているのではないか。
だがこの陣痛は明らかに夢ではない。痛いが、痛いからこそ夢でないと認識できる。愛する人との子供。
私は息子の顔を見た。
互いに絶叫した。
運命って実は扉を強く殴打せずに影を潜めてストーカーするらしい 只野夢窮 @tadano_mukyu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
窮する夢/只野夢窮
★6 エッセイ・ノンフィクション 連載中 73話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます