02話.[弱くなるものだ]

「あれ、まだ残っていたんですか?」

「あれ、中西先生こそどうしたんですか?」


 どこかのクラスの担任というわけでもないから個別に教えていた、とかだろうか?

 先生だったらありえるな、真面目な先生だから。


「少し歩いていたんです、色々重なって疲れてしまいまして」

「やっぱり大変ですか?」

「そうですね、でも、自分で選んだ仕事ですから」


 お疲れ様ですとは偉そうだから言えなかった。

 仕事だからと割り切っているみたいではあるが、弱音を吐いてもそうやって他者に片付けられてしまったらどうしようもないなと内で苦笑した。


「あ、なるべく早く帰ってくださいね」

「はい」


 と言われてもなあというのが正直なところ。

 今日からあの母が家にいるから帰りづらいのだ。

 普通に優しく迎えてくれるのにどうしてだろうか?


「にー」

「え、まだ帰ってなかったの?」

「うん? あ、一度帰ってもう一回来ただけ」


 なんでそんな無駄なことを。

 普段は絶対にそんなことをしないから嫌な予感がする。


「また再発しちゃったんだなと思って」

「なにが?」

「すぐに帰ってこないビョーキがだよ」


 ああ、まあ露骨に帰宅時間が遅くなるからそう言いたくなる気持ちは分からなくもない。

 一葉とふたりきりだったときはすぐに帰っていたから余計に目立つし。

 母、というか両親が帰ってきた瞬間にこれなんだからね。


「なんかさ、優しくしてくれるんだけど違和感しかなくて」

「ママは普通に優しいよ? パパだってそうだよ?」

「うん、だけどなんかねえ……」


 わがままな自分が悪いのも分かっている。

 お小遣いだって年相応の分をくれているし、手伝えばお礼を言ってくれるしでいい母だ。

 でも、みんなが楽しそうなところに行くと自分の場違い感が半端なくて嫌だった。


「一葉は帰りなよ、家にいる方が好きでしょ?」

「にーが残るなら残る」

「じゃあ帰ろうか、僕に合わせてもらうのは申し訳ないしね」


 一葉は優しいのかどうか分からなくなってくるな。

 たまに言葉で突き刺してくるのにこうして可愛いところも見せてくれる。

 単純に世話係的扱いをしていて僕がいてくれなければ面倒くさいからかもしれないけど。


「大丈夫だよ」

「うん」


 嫌いだなんて言ったものの、実際のところを言うと苦手、と言うべきかもしれない。

 歪な僕にも優しくしてくれる家族に感謝しなければならないところなのになにをやっているのかという話だろう。

 こんなのじゃ言葉で切り裂かれても当然だとしか言えない。


「そうだ、買ってくれたヘアゴムなんだけど可愛かったね」

「光が選んでくれたんだ、センスがあるでしょ?」

「なんだ、にーが選んでくれたわけじゃないんだ」


 僕が可愛いと感じても一葉にとってはそうではないかもしれない。

 責められることはないだろうが、そういうのは得意な子に任せておけばいいのだ。

 もちろん、誕生日プレゼントとかだったらちゃんと自分で選ぶけどね。


「うっ」

「もう着いたよ? 怖いなら手を握っておいてあげようか?」

「い、いいよ、入ろうか」


 分かった、全く怒られたことがないから違和感しかないんだ。

 光がご両親に怒られているところは何度も見たことがあるからその差に引っかかると。

 怒られない方がいいに決まっているが、やっぱり家族ならねえ?


「ただいまー」

「た、ただいま」


 リビングには顔を出さずにすぐに二階へ移動。

 それですぐに自室にこもってしまえばなんら問題は起きない。

 残念ながら鍵をかけられるようにはなっていないから、


「にーの部屋は綺麗だね」


 こうして妹の侵略を許してしまうことになるが……。


「一葉、課題とかないの?」

「あ、ここでやってもいい?」

「うん、いいよ」


 いやそうだ、一葉が相手ならまだいい。

 大切な妹だし、一緒にいてくれるのなら受け入れておくべきだ。

 それに下手に衝突すると平和な環境が壊れかねないから。


「飲み物を持ってくるね」

「大丈夫なの?」

「大丈夫だよ」


 そこまで弱い人間じゃないさ。

 一段下りる度になんか引っ張られるような感じがしたけどさ。


「おかえりなさい」

「ただいま」

「お茶が飲みたかったの? 言ってくれれば持っていったのに」

「いやあ、それぐらいは自分でやるよ」


 それを表に出さずあくまで普通を心がけることができる自分を褒めたい。

 こうして一回一回を平和なまま終わらせることができたら慣れるだろうか?


「暁、待ちなさい」

「へっ? な、なに?」

「私も行くわ」


 ええ!? なんでそんなことになるんだ!

 別に一葉と変なことをしようとしているわけではないんだぞと内は大暴れ。

 でも、拒めばどうなるのかが分からないから受け入れるしかなかった。


「あれ、ママも来たの?」

「ん? なにをしようとしていたの?」

「課題だよ、にーとやれば集中力も高まるから」

「なるほど、暁は真面目だからその選択は間違いではないわね」


 僕は小学生の頃から使っている勉強机を使用。

 一葉はお小遣いで買ったローテーブルを使用。

 母はベッドに腰掛けてそんな僕らを観察、しているのだろうか? という感じ。


「当たり前と言われればそれまでだけれど、帰ってすぐにやってくれるような子に育ってくれて嬉しいわ」

「後で困るのは自分だからね、それに一葉はしっかりしているから」

「あなたもそうじゃない、寧ろ、あなたの方がしっかりしていることを私は知っているわ」


 な、なんなんだ今日は……。

 僕を褒めたって家事を手伝うぐらいしかできないというのに。

 それに授業時はともかくとして、総合的な成績では一葉の方が上だというのに。


「にーは優しくて真似したい人だから」

「ふふ、そうね」


 き、気持ち悪いぃ!

 ……これだ、やたらと褒めるから嫌だったのだ。

 馬鹿だった、どうしてこうなのかということすらを現実逃避をして忘れようとしていた。


「そ、そうだ一葉、中西先生がしっかりしてくれって言ってたよ?」

「あー……由美先生は可愛いから」

「でもさ」

「わ、分かってる、ちゃんとするから」


 こっちが責められかねないから形だけでもしっかりしてほしかった。


「あ、お母さんはご飯を作ってくるわ」

「手伝おうか?」

「いいわよ、専業主婦なのにあなたに任せてばかりじゃ申し訳ないし」

「そっか、なにか困ったら言ってね」


 じゃあこちらはささっと課題を終わらせてしまうことにしよう。


「にー、ここが分からない」

「えっと、あ、ここをこうして」

「んー?」

「こういう風にしてさ」

「あ、そっか、ありがとう」


 ……無駄に褒めてくることがなくなりますように。

 父もそうだから気恥ずかしいのだ、普通は娘を溺愛するところなのにさ。


「終わった」

「お疲れ様」

「食後のお菓子を買いたいからにーも付いてきて」

「分かった、行こうか」


 一葉はスルメイカとか酢昆布などが好きだ。

 個人的に言わせてもらえばショートケーキとかを食べてほしいと思う。

 そういうのは母みたいな年齢の人が食べてくれれば――と思うのは偏見だろうか?


「あれ、にーはケーキを食べたかったの?」

「ううん、ふたりが帰ってきたからこれでも食べてもらおうと思って」

「そっか、喜んでくれるといいね」

「うん、そうだね」


 ふたつでワンセットの小さいケーキだけどまあ大切なのは気持ちだからと片付ける。

 一葉は一応気にしてくれたのかチョコ菓子も買ってくれて一安心。


「もう、にーは光ちゃんとの時間を邪魔してこなければ文句なしなのに」

「いや、光が可哀相だからさ」

「確かにそうかもしれないけど……」

「人をからかっての楽しんでは駄目だよ」

「じゃあにーが相手をしてくれる?」


 他所の人にやられるよりはいいかと受け入れておく。

 嗜虐的な笑みを浮かべつつなにをしてくるのだろうか?


「そもそもにーが相手をしてくれないから光ちゃんに付き合ってもらっているんだけど」

「え、僕は相手をしているよね?」


 無視なんてしたことはないし、なんなら一葉優先で動いているのに。

 親みたいな愛情を求めているのならそれは無理だろう。


「嘘つき」

「えぇ」

「もういいから帰ろ」


 まあそりゃあ帰るけども。

 何事もなく過ごすことだけで精一杯だ。

 優秀なんかじゃないから追いつこうとするだけでいっぱいいっぱいになってしまう。

 そこで一葉や光の相手もとなるとキャパオーバーになることも少なくないわけで。


「おかえり」

「お、父さんも帰ってきてたんだね、お疲れ様」

「おう、暁は……」

「な、なに?」


 だらしないとかそういうことが言いたいのだろうか?

 事実全くしっかりしていないからそう言ってくれても構わないが。


「いつも一葉の世話をしてやって偉いな」

「もう……」

「なんだよ? 事実だろ? だからこそ一葉も暁といたいんだろ」

「うん、にーとはいたいよ」

「ほらな? っと、母さんがご飯を作ってくれたから食べよう」


 一葉のことも褒めてあげてほしい。

 光をからかうこと以外は、中西先生の授業時以外は真面目にやってくれている。

 成績だって上だ、褒めるのならまずは娘を褒めるべきだ。


「にー」

「……ごめん、ふたりだって一葉のことをよく思っているからさ」

「え? ああ、別にいいよ、にーが褒めてもらえて嬉しいし」


 あかん、初日にしていきなり光に頼みたくなってきた。

 長期離脱すれば駄目なことに気づいて叱ってくれることだろう。

 僕はそれを望んでいる、そんな普通の家族でいいんだ。


「母さんが作ってくれるご飯はやっぱり美味しいね」


 なにより自分で作らなくていいというのが大きい。

 中々今日はどうするのか、そう考えるだけでも大変だからだ。

 買い物に行ったりしなければならないのもあったし。


「そう? まあ一応長くやっているから」

「一葉も嬉しいと思うよ、僕は嫌いな物ばかり使用していたからね」

「それは栄養を摂ってほしかったからでしょう?」

「嫌だったけどにーが私のことを考えてくれているって分かったよ?」

 

 違くて、褒めてほしくてしたわけじゃないんだ。

 父なんかうんうんと頷いちゃっているしなんでこうなのか。


「ごちそうさまでしたっ、あ、小さいけどケーキをふたりに買ってきているから食べてねっ」


 お風呂に入ってくると流しに食器を持っていって逃げる。

 これには慣れない。

 それと、一葉の方が優秀だからそちらを褒めてあげてほしかった。




「あぁ……」


 家族全員でいられるのは嬉しいけど嬉しいばかりでもないよなとそんなことを考えていた。

 今日はずっとすっきりしない、いやまあわがままなのは分かっているが。


「暁ー?」

「うん? どうしたの?」

「いや、なんか暗い感じがしたから」


 ああ、光といられるのが一番いいな。

 これからもそうあってほしいから頭を撫でておく。


「お、暁もお父さんみたいなことをしてくれるんだね」

「光は素晴らしいからね」

「え、えー、そうかなー?」


 光が弟であってくれたなら絶対に一葉かそちらに集中していたと思うのだ。

 いまのままだと自然ではいられなくなるから逆に住んでもらおうかとまで考えて捨てた。

 上手く片付ければいい、仲が悪いわけではないのだから悪く捉える必要はないし。


「今日も暁のお家に行くね」

「うん、いいよ」

「じゃ、先に行っているからっ」


 えぇ、一緒に帰ればいいのに。

 まあ残っていても仕方がないからとこちらも帰ろうとしたときのこと。

 やたらとふらふら不安定な感じで歩いている中西先生の後ろ姿を発見した。

 不安になるからとなるべく近づいておいた自分、


「きゃっ――」


 それがいい方向に働いてなんとか支えることができた。

 腕が引っ張られた状態だと痛いだろうから少し触れさせてもらってちゃんと立たせる。


「大丈夫ですか?」

「は、はい、ありがとうございます……」

「気をつけてくださいね」


 少し歩いたところでばたんと倒れるような音が聞こえて振り返ってみたら先生が倒れていた。

 口にしてから額に触れさせてもらうと熱くて驚く。

 教師だから体調が悪かろうが来なければならないのかもしれないけど……。


「すみません、触れますね」


 誰かを呼びに行くよりもこの方が早くていい。

 保健室にさえ運んでしまえば養護教諭の先生がしっかり対応してくれるから大丈夫。


「失礼します」


 こういうときに限っていないなんてベタな展開にもならず無事に任せることができた。

 光を待たせているからと少しだけ話をしてから退出。


「熱か」


 最後に引いたのは三ヶ月前ぐらいだった気がする。

 その頃も同じように両親が帰ってきていて、外で時間をつぶそうとした結果がそれだった。

 いまと違って冷えていたから無理もない。


「あっ、遅いよっ」

「ごめん、中西先生を保健室まで運んできたんだ」

「なんで?」

「熱が出ててさ」


 別に家には母がいるんだろうから入れてもらえばよかったのにとは言わないでおいた。


「お邪魔します!」


 どうやら一葉もまだ帰ってきていないようだ。

 ちなみに母もいまは家にはいないようだと分かった。


「はい、麦茶だけど」

「ありがとう!」


 ところで光はどうして来たんだろうか?

 家族と喧嘩をしてしまったということなら逃げてきていいと思う自分と、早く仲直りをしてしまった方がいいと考える自分がいるから難しいが。


「それにしても中西先生が風邪かー」

「色々と疲れも溜まるだろうからね」


 物理的及び精神的にダメージを受けたらあっという間に人間は弱くなるものだ。

 精神攻撃を仕掛けられるとどうなるのかは僕でも分かっているから全く理解できていないというわけではない、教師のそれに比べたら大したことはないんだろうけども。


「ねね、お姫様抱っこで運んだの?」

「うん、あれの方が色々な場所に触れなくて済むから」

「そ、そうだよね、おんぶとかだと……」

「あ、すぐにそういうスケベな思考になるんだから」

「ち、違うよ! ほら、耳に吐息がかかってびっくりして落としちゃうかもしれないじゃん! そうしたら危ないでしょ!?」


 はいはい、焦ると余計に怪しく感じるものなんだよ。

 そういうところは本当に直した方がいい、一葉みたいな子におもちゃにされてしまうからね。


「ところで、光はなんのために来たの?」

「そんなの暁といたいからに決まっているでしょ」

「今朝から放課後までいっぱい話したよね?」


 寧ろ一葉でも来ないと一緒にいてくれる相手というのは彼ぐらいしかいないぐらいだ。

 ただ、僕にとってはそうでも彼にとっては違うから他を優先してくれればいいと思っている。

 それだというのに休み時間になる度に毎回来るから僕のことが好きなんじゃないかと勘違いしそうになるときがあるぐらいだ。

 ま、来てくれる程度で好きだということになるのならいま頃この世は、ふふって感じかな。


「相手をしてくれていたけど今日はやる気がなかったから」

「ごめん、家族が褒めてくれるばかりで気になっていたんだよ」

「なんで? 褒められたら嬉しいよね?」


 確かに怒られることよりかはいいことだろう。

 褒められるようなところがあったというわけだし、他人から無理やり引き出したわけではなく他人の意思でそう言ってもらえたわけなんだから。

 とにかく自分がわがままだった、という風に片付けておけばいいだけの問題だ。


「あー、光が弟だったら嬉しかったのにな」

「え、僕は暁の兄でしょ」

「どこが、僕が兄に決まっているでしょ」


 構ってあげないとすぐに拗ねるし、すぐにどこかに連れて行こうとするし、大体はこちらが合わせておかないと駄目な存在だ。


「僕がお兄ちゃんだから!」

「はいはい、そもそも言っても仕方がないことだしね」


 面倒くさいこともあるけどそういうところを気に入っているんだからそのままでいておくれ。

 無駄に褒めてきたりしない光の存在は重要なのだ、光にしかできないことなんだ。

 そういうのもあってわしゃわしゃと頭を撫でておいたら嬉しそうな顔をしてくれていた。

 僕からすれば弟とか兄とかそういうのではなく、可愛いペットにしか見えなかったのだった。

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