第8話 空と海と大地と呪われし奴隷

 牢獄からこんにちは、勇者改め奴隷です。そして相棒の武闘家もょもとです。死力を尽くした攻防戦、惜しくも敵の姦計に嵌まり我々は地下深くの牢獄に幽閉されています。奴隷競売で高値で売ろうにも、俺ともょもとに値段はつかず、今はこうして一日一回の食事をお恵み頂いて空腹を紛らわす日々です。なんぞ、これ。もう勇者の宿命みたいなものは完全にどうでも良いが、異世界転生してまで得た職が奴隷って、現実世界ですら想像だに出来ない人生下降道である。いつになったら浮上するのか、その転機たる盗賊掃討作戦だったのだが、終わってみれば勇者としての人生転落道はまだ飽き足りないらしく、神の慈悲など期待する迄もなく、悪魔の篭絡により奴隷にまで失墜しジョブチェンジしてしまった。さーて、次は何になるのかなぁ、いよいよ食用ミートボールかな、ワッハッハ!

 ……いやいや、全然笑えねえよ。面白い要素なんか一個もないわ。もょもとも地下に来てから地上にいた頃の元気さはなく、その自意識過剰な自慢調にも陰りが見え、明らかに精彩を欠いている。

「お、俺は暗闇でも、目が見えるんだぜ……」

 もうよい、もうよいのだ、もょもとよ。こんな地下深くでまで、誰が得する訳でもない虚飾の人生譚を披露しても、辛いのは自分だぞ。

 この地下の牢獄には、盗賊が捕まえて来た奴隷の他に、何か訳ありな人間も若干名連れて来られていたが、地下牢という無常が、他者への詮索という気力を奪っていて、誰の素性がなんであるか等、特に気に留める人間はいなかった。無論、俺も然りである。捕まえられた人間の何人かは、すぐに競売で値が付きこの牢獄から出られるが——それが彼らにとって幸せであるかどうか、ここで詮議しても始まらないが、幸運にも買い手が見つかった奴隷たちは数日を待たずに外の世界へ抜け出せている。一方、俺たちや爺みたいな、値段の付かない粗悪品は盗賊にとっても頭の痛い問題であるらしく、死んでも構わない労働者として、安値で買い叩かれるしかない運命らしい。盗賊にしても二束三文で奴隷を手放すのは惜しいらしく、何とか適当な付加価値を見出して競売にかけるのだが、それでも買い手が現れず二ヵ月も過ぎれば希望無しとして集団売買に出されるらしい。団塊世代の集団就職じゃあるまいし、何が悲しくてこんな未来ない奴等と共に、普通に求人出したら募集も埋らない悪魔的な現場へ行かないといけないのか。ゴールドラッシュよろしく、夢があるなら多少の危険も厭わないが、そんな選り好みを奴隷の分際でまかり通る筈もなく、売れ残りの俺たちは期限である二ヵ月後を、暗澹たる心境でただ待つばかりなのである。

 一ヵ月が経過した辺りだろうか、早くももょもとに変調の兆しが見え始めた。

「キケ―!けけけ、コココ!」

 いやいや、変調の兆しどころか、完全に壊れているだろ、これは。嫌だなあ、こいつ。狭い牢獄で変なのがいると、俺の身の危険という意味でも怖いし、何よりもょもとの知り合いであるという、ただそれだけの理由でコイツの世話を俺がさせられそうな雰囲気が既に他の奴隷たちの中で、暗黙の了解となりつつある点である。冗談ではない。こんな奴でも知り合いだが、さりとてそれ以上でもそれ以下でもない。何が悲しくて地下牢に堕ちて迄、こんな奴の世話をしなければならないのか。俺だっておかしくなりそうだが耐えている。心身の保ち方なんて自己修養であって、これはもう自己責任だろ。という訳で、もょもとには悪いが——別に悪くはないか。うん、悪くないから毅然とした態度で言わせて貰うが、貴様の面倒を見る気は金輪際ない。

「おいおい、そいつはキミの仲間だろう?それは余りに冷たいんじゃないか」

 ほら見ろ。こうやって俺が何かする度に、事情も知らない癖にしゃしゃり出てくる奴が、どの時代にもいるものよ。そんなに気の毒に思うなら、あんたが面倒見ればって話しでしょ。俺はそう言いたいですけどね。

「いやいや、俺はそいつと関係ないし……」

 ほらね、少しでも自分に累が及ぶとなると、急に尻込みするんだ、こういった手合いは。そんな気持ちでいるなら最初から首を突っ込まなければ良い。善人面するだけなら誰でも出来るわ、それだけでいいなら俺だって善人面して八方美人に立ち回りたい。だがな、それは本当の無責任だぞ。自分は何の覚悟もない、言うだけ言って気持ちよくなりたいなんてのは、思春期のガキがする無責任な性行為と同義だ。俺はそんな欺瞞に耐えられない口だから、嫌なものは嫌だと言うし、面倒見たくない場合は面倒を見ないとしっかり公言もする。それが本当ではないか。

「キミの考えは解ったが、それじゃああんまりじゃないか」

 しつこいのう。なんだこの爺は。そこまで同情心に溢れる高潔な人間なら、やっぱり貴様が面倒見るべきであって、俺に責任を擦り付けようとする行為は不道徳だぞ。そもそも、こんな状態になった奴の面倒を俺に見ろたって、介護経験もなければ自分の後始末すら親族に頼ってきた俺なんかには、土台無理な相談であろう。五歳の子供に頭のイカれたもょもとの世話など頼まんだろ。俺に頼むってのも、同じ事なんだよ!

 胸中鋼鉄の意思在りと悟ったのか、それ以上は何も言わず爺はもと居た場所へと戻っていた。それ見ろ。結局自分だって世話する気がないじゃないか。俺は奴のようなどっち付かずのフワフワした、薄弱な人間が大嫌いだ。だから奴隷にまで身を窶(やつ)すんだ。そこへ行くと、俺や、おかしくなってしまったがもょもとなんぞは、立派な理由から地下牢に更迭されたのだ、何も恥じ入る事はない。そうだ、心まで卑屈な奴隷になってはいかん。俺よ、この際もょもとは職務を全うして殉死したものと思い、今一度勇者として立ち上がるのだ!

 俺の並々ならぬ決意が溢れ出ていたのか、話した事もない大男が俺に近づいてきた。

「ちょっと、聞きたいんだが、いいか?」

 ふむ、口振りからすると恐喝とかではなさそうだ。一安心。一日一回の食事寄越せとかだったら死活問題だからな。

「な、なんでしょう」

 腐っても無職。こんな大男に声かけられて怯まない筈がない。

「どこかで見た顔だ、そう、エルサドールだったか。お前、もしかして勇者ではないか?」

 ほほう、勇者の雷名も意外なところで役立つものである。

「やはりそうか。申し遅れたが、俺はエルサドールで用心棒稼業をしていたハッサムだ、よろしく」

「えぇと、そのハッサムさんがこんなところで、しかも私に何のようでございましょう」

「うむ、焦らすつもりもないから本題に行くが、3週間後に脱獄する。その際に盗賊との戦闘も避けられんが、ここの盗賊は思っていたより多い。どうだろう、勇者のお前が助太刀してくれれば千人力、此方としても大いに助かるし、お前もこんなところとオサラバ出来る。どうせ強制労働に送り込まれたら最後、筆舌に尽くし難い労働の挙句、骨と皮だけになって捨てられるのがオチだ。お互いの為と思って、どうかご助力願えんか?」

 ……嬉しい。俺は異世界に転生してから、やっと光明のようなものが見えた気がしたぞ。光明の天使がハッサムとかいう厳つい大男なのは多少なりとも業腹だが、この期に及んで贅沢も言ってはいられまい。

「ふっふっふ、面白い話をしているじゃあないか、えぇ、勇者よ」

 どこから湧いて来たのか、精神に異常を来していた筈のもょもとも、おこぼれに肖(あやか)りたい一心で現れた。奴隷どころか乞食のような奴である。だが、まぁ良い。二人よりも三人の方が何かと都合もよかろう。盗賊掃討の地上戦においても死線を潜った間柄だ、邪見に扱う理由なし。いよいよとなれば勇者の盾として特攻させる手もある。話が決まれば、後は決行の日を待つばかりである。ハッサムの作戦を要点だけまとめるなら、盗賊の中に内通者が、そして牢獄の外部で待機する仲間が既にいる。内通者は先導役を、外部の仲間は襲撃を仕掛け、牢獄内部を手薄にする。混乱に乗じ、俺たちは逃げ出すという算段だ。だがただ逃げ出すだけではない。ここの牢獄には、盗賊たちが蓄えた財産もある。内通者と共謀し、こいつを丸ごと掻っ攫う。牢獄を抜け出した後は、計画における人間の貢献度により、財産の分配を決めてあり、俺ともょもとは各5%、少なく思えるかもしれないが、この計画を遂行する為にハッサム達は緻密な計画を一年前から画策していたのだから、いくら成功率を上げる為とはいえ、急遽仲間を増やし分け前を更に分割するというのは、なかなかに思い切った苦肉の策であろう。俺たちも脱出が叶うなら喜んで協力するし、まして報奨金も貰えるというのだ。断る理由はない。

 さて決行日まで後2日という段になって、急ではあるが事情が変わって来た。というのも、若い労働力が欲しいという事で、なんともょもとに白羽の矢が立ったのだ。なにせもょもと、年齢は23歳とぶっちぎりで若く、自称ではあるが旅の武闘家である。条件だけで見れば良物件なのである。盗賊たちも針のかかった大魚、逃すまいとあの手この手で買い手の関心を引こうとする。

「そんじょそこいらでは手に入らないドラゴン殺しの武闘家、魔王軍に単身突っ込み八百八匹を殴り殺した事から八百八屍将軍と呼ばれた逸話は大陸全土に鳴り響いている!旦那もこの男の噂ぐらいは聞いた事があるでしょう?」

 旦那と呼ばれた恰幅の良いチョビ髭の男は、脂に揺れる二重顎を撫でながら、考え込むようにして言った。

「ふうむ……ないな」

 旦那の突き放したような態度は、無論奴隷を少しでも安く買い叩こうとする魂胆あってだが、盗賊だって負けちゃいない。

「まぁまぁ、この大陸は広いですから、何分こいつが居た町ってのが、魔王城から最も近い『人類最後の要衝』と呼ばれるサンマルーノでさぁ。ここいらとはちょっとばかり距離がありますから、こいつの武勇伝がお耳に入らないのも致し方ないでしょうな」

 あくまで体裁を取りつつ、奴隷の価値を落とさないよう躍起になる盗賊だ。旦那も盗賊の言葉に始終耳を傾けながら、煙草を薫らせ頭上に輪っかの煙を吐いたところでもょもとの方に目を向けた。

「奇遇だねえ、私もサンマルーノの出身だが、そんな武勇は生まれてこのかた聞いた事がないなぁ。どこか、別の国と勘違いしているんじゃないか、武闘家さんは」

 真偽の程を確かめるように、その猜疑心に凝り固まった眼差しはジッともょもとを見据えていた。

「……そもそも、何の話だ、これ。勇者は解るか」

 目下の関心事もょもとがこの調子であったから、結局奴隷売買の件は破談となった。

「おいっ!てめぇ、こりゃ一体どういう訳だ?お前は自分で言ったよな、一騎当千の大武闘家もょもと様だと!口八丁、少しばかり誇張して話す分にはこちらも商売、多めに見るし売り文句にもならあな。だがな、あの旦那の態度じゃ、まるっきりお前の噂なんか知らない風体じゃないか。こいつは一体、どういう訳なんだ!」

「……どういう訳と言われても」

日々もょもとが吹聴している与太話を、盗賊たちも百信じていた訳では勿論ないが、どんな嘘八百とて少しの真実が混じっているからこそ嘘も巧というものだ。だが、そんな普通の感性を前提にした話などは、このフーテンの風来坊もょもとには通用しない。こいつの自分語りは妄想世界の虚言癖そのもので、ゼロから百の物語を作り出す、さながら武闘家より作家にでもなった方が良い性質の男なのだ。盗賊たちの運の尽きは、もょもとという稀代の虚言癖の言葉を、良心と常識に照らして少しでも信じてしまった事だ。ううむ、この盗賊たち、掃討作戦の時も不意に発生した火炎竜巻で、プランチャの町が呑み込まれた際に大騒ぎしていたし、根は意外と善良なのではないかという気さえしてくる。

「とにかく、折角の買い手がいなくなったんだ、てめぇは死んだ方がマシとも思える過酷な労働施設に送られる可能性が、また一段と高まったんだ、馬鹿な奴め!」

 盗賊は嫌味ったらしく捨て台詞を残して、廊下奥の扉を蹴とばす悪態つきながら出て行った。その後ろ姿を確認してから、俺ともょもとは顔を見合わせた。

「なあに、心配には及ばんさ。明後日には、ここを脱出するんだからな」

 俺たちは、今すぐにでも脱出したい逸る気持ちを抑えつつ眠りについた。

 そして迎えし決行の日!

「よぉ、勇者にもょもと。準備と覚悟に抜かりは無いな?」

 作戦決行日の朝、主犯のハッサムが俺たちの様子を見に来た。このような問いかけ、甚だ愚問であろう。今の俺たちには、この脱出劇が人生規模での天王山、そう簡単に抜かっていい場面ではない。俺に至っては、勇者としてエルサドールに招かれた時よりも精神が高揚している節すらある。

 俺たちの顔を見て、ハッサムも得心いった顔で頷いた。

「じゃあ、今日の手筈を再確認だ。もう二時間もしないで、外の仲間がアジトに襲撃をかける。混乱に乗じて、盗賊の中の内通者が俺たちを脱獄させ、迅速に金庫へと向かう。盗るべきものを奪取したら、後は一番手薄であろうと思われる出口4——ってのは俺たちが勝手に番号振っている箇所なんだが、ともかく、出口4が一番警備が薄いから、そこを衝く。道中出会うであろう敵との接触は取り逃し厳禁だ。仲間を呼ばれちゃ却って面倒。それに、此方は内通者含めて4人。数の不利って事はそうそう起こるまい。いいか、多人数で1人を一気に叩く!打ち漏らしは、即ち此方のリスク。多少面倒でも、そこは足並み揃えねえといけねえ。特に、俺たちみたいな急造チームではな」

 それだけ言うと、ハッサムはニヤリと笑った。うむ、一年かけた計画だけに、道順から何まで問題なさそうに見える。しいて不安を挙げるなら、ハッサムも言ったとおり急造チームであるが故の行動・意識の不統一さであろう。一方が攻勢に出ているのに、もう一方が尻込みしていたのでは信頼も一挙に瓦解する。そんな九仭の功を一簣(いっき)に欠くような真似は避けねばなるまい。だから、再確認だ。俺たちは、4人で1人。それぞれの手足が勝手に動いていては、成功するものも成功しない。心を一つにするのだ!

 俺、もょもと、ハッサムが、来る刻を今か今かと待っていると——アジト内を振動させる、大気の震えと共に爆発音が耳喧しく反響した。

「敵襲だ、敵がアジトに雪崩れ込んできたぞ!」

「敵の数は!?」

「解りません!」

「迎撃だ、二番出口に数を集めろ!」

 牢番をしていた盗賊たちも持ち場を離れ、迎撃の為に慌てて地上へ向かう中、一人の盗賊が落ち着いた様子で牢に歩を進めると、俺たちの前に立った。

「さて、脱獄の準備はええだか、ハッサム。それにもょもと……勇者!」

 牢の看守はそう言うと、周囲を一度確認して手早く開錠した。

 護身用の剣をそれぞれに手渡すと、見覚えのある看守は俺を見るなり温厚な口元を緩め笑った。丸まる太った特徴的なドラム缶体型。短い手足によく似合う腕の剛毛。どっしりと生やしたひげ面。

「お、お前は~!山男~!物語冒頭からついこの前まで一緒に旅した後(のち)消息を絶った山男~!!!」

「……見事な説明口調で回想してくれてありがとう。それに付け加える形で先に断っておくが、消息を絶ったのは勇者の方ぜよ」

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