第6話 夢幻の大地へ行きたかった勇者

 目を覚ます。橙色にポッと光るランプの暖かみが、生きている実感を与えてくれる。この感覚は異世界に転生した時に感じた、大樹が柔らかく包み込む母性の愛に近い。ここはどこだろうと、上体を起こすが身体の節々が痛い。

「まだ安静にしていなくてはいけませんよ」

 この時始めて俺以外の人物がいる事に気付いた。光の中にそのまま溶け込み消えてしまいそうな、薄倖の美少女が枕元で俺を看病していたのだ。

 ……永かった。この出会いをいかに待ち望んだ事か。その美少女はターニアと名乗った。思えば、異世界にきてこんな慈愛に満ちた人間を俺はまだ知らない。介抱しながら俺のこれまでの話を真摯に聴いてくれ、そして彼女自身の境遇も教えてくれた。実はターニア、未来からやってきた未来人で、時間の歪みの解放点を求めこの地の勇者を探していたそうである。嬉しい、本当に嬉しい!神様、今まで悪態ついてごめん!ターニアとのこの出会い、これは偶然なんかじゃない、必然だったんだ!こうして俺とターニアとの、真の冒険は始まった。襲い来る敵、蜜月の逢瀬、時空の歪みを生み出した諸悪の魔王討伐、そして世界に平和は戻り、晴れて俺とターニアは結婚し、ともに未来へと、俺にとっては新しい異世界へと転生するのだった。

終。

 ……ごめん、今の話、全部嘘なんだわ。巨大な鎧竜に追われて落下した崖下には川が流れており、周囲の様子からしても随分下流の方まで来てしまったようである。そのまま死んでも一向に構わん境遇ではあったが、瀕死の俺が息絶えるのを待ち続け、死肉に群がろうとするカラスの不快さに目を覚ましたのだ。異世界にきてまで鳥葬されるなんざ、流石の俺でもごめんである。唯一の幸いは、犬も食わないクソパーティーをこうして強制脱退出来た事である。これは素直に嬉しいが、山男とはぐれてしまったのは少々痛手である。何せ異世界の地理など解らんし、冒険ものには欠かせない世界地図も、山男が案内できるだろうからと持っていない。見知らぬ土地で、しかも古代種なる鎧竜がまだ近くをうろついているかもしれない場所で、一人放り出されるというのは些か寂しい。人どころか、野犬の気配も感じないこの森で長居する道理もなし、あれだけの高さから落下して怪我一つない我が身の幸運に感謝したいんだか、その幸運を別の場所で使ってくれればよかったのにと残念がるんだか、ともかく複雑な気分のまま歩きだした。下流にまで流されてしまったが、どのみち次の町はプランチャと決めている。上流に向かって川沿いを歩いていくしかない。それに、山男ならば持ち前の人情味でもって俺を探しに来てくれるかもしれない。

 ……いいや、余計な期待を持つのはよそう。というより、あのパーティーは最初からなかったものとして考えた方が良い。俺の異世界転生は、今日より始まるんだ!と、もう何度目かになるフレーズを使いながら、歩き続けた。

 一人でいると、自然考えこむことが多くなる。異世界に転生してからというもの毎日が忙しく、少なくとも他人の目を一切気にせず心休まるという事はなかった。だが、こうしてパーティーを離脱して孤独に再び逆戻りしたことで、冷静に自身の置かれた境遇に思いを巡らす事が出来る。

なぜ異世界に転生したのか?それは考えるだけ無駄だ。

現実世界には帰れるのか?それも解らないが、異世界に転生出来たのだから、現実世界に転生出来ないとも思えない。もっとも、現実世界に帰りたい気持ちなどはない。

更なる異世界に転生する可能性はあるのか?これは出来る!いいや、出来なければ困る。次こそ失敗しない異世界転生をしたい。俺を異世界に送り込んだ奴、それは神なのか、はたまた別の誰かなのか、そもそもそんな奴はいない、ただの偶然の産物なのかも解らないが、何かの間違いでパラメータ配分を都合よく調整して転生させてくれる事を願う。この異世界にきて痛感したのは、ただ闇雲に異世界転生したところで意味はないということ。むしろ、弱肉強食の生死が常に隣接する異世界だけに、ただただ平和と惰性に日々を貪る現代人が転生したところで、現実世界以上に悲惨な事にしかならないのは明白であったのだ。なぜこんな当たり前のことに、俺は大樹を出る前に気付かなかったのか?いいや、気付いたところで結果は変わらないが、少なくとも夢を追って異世界における現実とのギャップに、希望砕かれることもなかったのだ。現実世界で弱くモテない俺が、異世界にて強くハーレムを築けるなど夢想するのもおこがましい。そのくせ、この世界の人間は俺を勇者と崇めている。やめてくれよ、お前らがやっているのは、クラスでいじめられている奴を学級委員とかに推薦するぐらい悪質だぞ。足が遅いのを知っていてリレーの選抜に推挙したり、体育のサッカーで必ずキーパーやらせたり、それぐらい悪魔的だ。なぜ現実世界でされてきたことを、異世界にきてまで愚痴と共にカミングアウトしなければならないのだ。俺の不幸自慢なんか、聞いてもつまらんぞ?他人の不幸は蜜の味とか言って、キャッキャしているアホなんかは外見だけ大人になって中身はクソガキのままじゃねーか。人間年とって二十歳過ぎれば問答無用で大人になる訳でもねーし、良い大学出たから頭がいい訳でもねーし、大手企業に就職できたから社会人として立派という訳でもねーからな。むしろ、二十歳を過ぎてなお勉強続けるやつが大人なんだ。そう、俺みたいに学生のころから勉強せず、大手企業どころかアルバイトすら経験せず、無職で親戚のすねを齧って寄生虫が如く生活してきた生粋のクソガキなんかは、真なる意味での大人からは対局に位置し過ぎて無常なる真理に近づいてしまう。深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いている?学ない俺に哲学なんて解らんが、俺は他人が嫌いだ。そして俺自身も嫌いだ。日頃の憂鬱さに、俺の精神世界が滲み出ていると言ってもよい。自分の内面世界だけを見ても、荒廃として空虚で、その癖どこか人一倍自尊心が強く傷付けられる事を恐れている。この分析も冷静に俯瞰しているようで、その実いかに体裁を取り繕うかに必死になって、本質から外れ続け、無味乾燥とした世界に俺だけを残して行ってしまうのだ。そんな内面世界だから、外の他人がどう見えるかなんて聞くまでもなく、考える土壌が荒廃なのだから、外の世界も灰に包まれて見えてしまう。なんだ、これ。内面も、外面も、まるで合わせ鏡だ。この合わせ鏡に裏も表も、外も内も、自分と他人も、ことごとく垣根などあるまい。俺自身を好きになれないのだから、合わせ鏡で映る世界が好きになる筈もなかった。されども、自分を好きになる努力を、生まれてからずっと放棄してきた俺だから、今更何が出来るかなんて、今の段階では答えられない。結局俺みたいな最底辺はやっかみ根性で上の奴らを引きずり込む事に躍起になって、自分が上に行こう等とは考えないが、果たして上の奴等は俺なんかを見ているのだろうかという、それまた仮の命題を作り上げて逃避行するのだ。光届かぬ漆黒の深淵に、ただ俺だけがいる。動物園の檻を覗き込むようにして、誰かが俺を覗いても、結局誰も俺を認識なんぞしていないんだ。俺を視覚した途端に、俺への興味は失してしまい、他人の内部に移されている鏡が用意した疑似的な俺を、強引に俺と思い込むのだ。彼らは彼らの、俺は俺の、同じ時間軸にいるようでいて全く異なる世界に人々は住んでいるのではないか、その深淵が逆転し表層化したことで、俺が現実世界と勝手に認識していたものが、まるで異世界にでも迷い込んでしまったかのように視覚の祖語をきたし、一時的な困惑を引き起こしているだけではないのだろうか。俺という観測者がいなくなった時、俺の知る世界は果たして亡くなるのか、俺など無視してその場に形骸化するだけなのか。その異世界という夢幻の大地に降り立つことで、新たな使命に燃えようとする意志が、勇者という解りやすい概念と結びついたのだろうか。

そこまで考えて、そんな訳の分からん世界線まで持ち出して苦慮したところで、結局俺がやる事はひたすら上流を目指して歩くだけだと思うと、なんだか夢幻の大地だろうが何だろうが、どうでもよくなる虚無だけが残り疲れもひとしおであった。

ただ、今の妄想で気付いた事がある。特にナーリアが嫌いなのは、奴の精神世界も同じく荒涼として似通う分だけ、お互いの弱く汚い様をありありと見せられてしまうからだ。合わせ鏡の同族嫌悪、そりゃあ仲良くなれんわ。なんか、こんな書き方しているとナーリアとの和解や恋への発展みたいに曲解されそうだから予め釘を刺しておくが、そんな事は絶対にない。付け加えて言うならば、勇者が内面世界へと向き合う事で封印されていた能力が覚醒し、本格的に実は俺強かった異世界転生にシフトしていくという事もない。この異世界は不愉快なほどリアル路線なのだ。

鎧竜から逃げまどい下流へ流され、上流目指して移動を開始してから2日目の朝。進路に焚火の煙が発見出来た。案の定、その焚火を囲って、山男、ナーリア、もょもとの三人が、特に会話もなく朝食の魚を食べていた。

「お前ら、待ってくれていたのか」

 どんなに嫌な奴等とはいえ、他に知り合いもいない俺だから、こうして出会えると嬉しい気持ちも少なからず起こる。

「待つわけないでしょ。プランチャに移動してたら、たまたまあんたが煙見つけて、のこのこ勝手にやってきただけの話。勝手な感動押し付けないでくれる?」

 こうやって冷や水どころか永久氷壁ぶつけてこなければ、もっと良いんだけどね。でも、俺は精神的に大人になったことでナーリアより優位に立ったから、これぐらいじゃ怒らんよ。

 紆余曲折を経たが、パーティーは再び一つとなり、次なる町プランチャへ到着することが出来た。その間の敵との戦闘は1回。逃げただけなので経験値は0、よってもれなく全員レベル1。当然のように収入も0。町についても宿屋に泊まる金もなし。得るものはなく、失ったものはパーティーに残された最後の信頼関係であろう。何を拠り所に俺たちはパーティーを組んでいるのか、たぶん誰も答えられない、そんなパーティーである。

 あと1回我儘が許されるならば、もう1度だけ異世界転生させてください、神様。

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