第5話 更年期の花嫁

 朝食を済ませた勇者一行は次なる町プランチャへと向かう。早朝に自称武闘家もょもとが失踪するというプチ事件は起きたが、物語には一切関係ないのでそのまま冒険を続ける決心をするのに要した時間は1秒にも満たない。俺にとってのもょもとの価値など、1秒にも満たなかったのだろう、南無。

 山男の話ではプランチャまでの日数は5日ほどだという。女の足ではもう少しかかるかと最初だけは心配したようだが、筋肉戦士ナーリアは本当に女かと思える程の健脚で、なんなら無職引きこもりだった俺の方が歩けない。旅の進行具合は勇者である俺の足にかかっていると言ってもよい。

「ちょっと、早く歩きなさいよね⁉本当に愚図なんだから」

 足の豆すら潰して歩く俺に対して浴びせる言葉がそれなのかね。そういえば、一番最初にこいつは既婚とかいう極めてどうでもよい情報を提供してくれたが、女のめんどくささフルコースみたいな婆と結婚した旦那って、いったいどんな奴なのだろうか?釈迦とかイエス・キリストばりの聖人か、もしくは俺など及びもつかぬ遥か高次元のマゾ豚か、いずれにせよとんでもない人物であろう事は疑いの余地もない。

 このようにして、俺を慮るどころか奴隷よろしく鞭打って歩かせるナーリア主導のもと、この地獄の行軍を続けて3日になる。山男曰く次の町プランチャまでは、折り返しを過ぎたあたりだそうだ。宿屋の行水を利用出来ないので、日増しに体臭がきつくなり、俺はまだしも肥満体系の山男などは高圧洗浄機で洗ってやりたくなるぐらい臭い。当然のようにして、更年期婆のナーリアも不快らしく日増しに機嫌が悪くなっていく。だからか、最近は一秒でも早く町に着きたいのか少しの休憩も許されないし、日が暮れても行軍を止めようとしない。一応言っとくけど、このパーティーのリーダー俺だからね?更に追い打ちをかけるようだが、食料を管理していたもょもとが消えた事により、ナーリアから食事の不満も出てきている。ならば足を止めて食料の調達に行くかと問えば、町の到着が遅れるなんて絶対嫌だと聞かないし、しからば町へ急ごうかと言えば腹が減っているから急げないと屁理屈をこねる。なんなん、こいつ。俺はお前と不毛な頓智問答やる趣味はねーんだよ。終いにはもょもとが逃げたのは俺に不満があるからだとか戯言を宣う始末である。後の先取る訳じゃないが、お前らが俺に不満を感じる遥か前から、なんなら初対面で顔合わせた時から俺はお前らに不満だらけだったぞ。即刻パーティー解散して次の募集をかけようとしたけれど、酒場のセクシーギャル曰く規則でダメと門前払い。不満しかないが、未知しかない異世界を一人旅出来るほど俺の勇者スキルは高くないので、呉越同舟覚悟で一緒に行動しているのだ。

 結局ナーリアの不満のはけ口として俺は数分おきに小言をいただきつつ、重い足取りを嫌でも速め次の町を目指すのだった。その間魔物も現れず実に平穏無事な道中であった。この異世界に魔物なんて本当にいるのかと、最初に出会った象牛がいなければ信じられなかっただろう。以来、魔物は全く現れていない。俺の勝手な想像ではあったが、もう少しテンポよく魔物と遭遇するものと思っていたが、実際にはそんな頻繁に見かける訳でもないらしい。

「なにあんた、魔物に会いたいの?馬鹿ねえ、好き好んで魔物に会いにいく奴なんて始めて聞いたわ」

 俺の素朴な疑問に対して、間髪入れずに嫌味を挟む。嫌悪という字は女は悪を兼ねると書くが、この悪意の塊みたいな女は悪以外に何をため込んでいるのだろうか。俺の不快指数のバロメーターは既にMAX100を余裕で振り切っているが、その諸悪の根源は間違いなくナーリアである。今にして思えばもょもとが夜逃げしたのも、こいつが原因な気がしてきたぞ。そんな俺の思惑を、女の勘ともいうべき狐じみた嗅覚で嗅ぎ当てると、

「もょもともどっかに行って、更には魔物も近づいてこなくて、あんたって蚊取り線香みたいな男ね。その忌避され能力って、勇者のスキルかなんかなの?」

 怒り心頭に発するという表現ではまだぬるい。もはやナーリアに対する怒りは言語化出来ない領域に到達しつつある。

いかんいかん、こんな奴に俺の心の平静を乱されるな、無だ。無心になれ。諸行無常、こいつもいずれ朽ち果てる。栄枯盛衰の兆しは既に、肌年齢となって如実に現れているのだ。俺はただ宇宙の表層意識と一体化することで、この理不尽な異世界転生という潮流に身をゆだねるのみ。今の俺は間違いなく現実世界も異世界どちらも含めて人生のワーストにいる事は疑いの余地はない。ならば禍福は糾える縄の如しの言葉通り、次には幸福が待っている筈である。今はただ、じっと耐えるのだ。なんなら今日の夜中にでも山男と二人で夜逃げしても罰はあたるまい。

そんな邪念と正念の狭間で葛藤に揺れる俺の心労など知る筈もなく、ナーリアは持ち前の健脚でどんどん先に進んでいた。もはや俺を待つのも急かすのも面倒になったらしい。あぁ、ナーリアよ。そのままどんどん進んで地平線の彼方へと消えてくれ。ナーリアが先に行く事で、俺の心の重荷は解放され、気持ちばかりか足まで軽くなったように感じていた。魔物が出た時の為の団体行動だったのだが、もはや魔物に襲われるリスクよりもナーリアと一緒にいる事のリスクの方が上回っているので、この措置は非常にありがたい。というか、魔物が現れない以上職業戦士の役目は全くなく、ご覧のように厄介者なのでいない方が助かるのである。

「た、助けてくれ~!」

 やっと訪れた安穏とした時間を、森の奥深くから聞こえる悲鳴によって終わってしまった。俺と山男は顔を合わせると、

「誰か襲われているようだな、勇者よ、急ごう!」

「え、行くの?」

「え、逆に聞くけど行かないの?」

「だって、助けてって言われたって俺に何か出来るの?無理無理、買いかぶるなよ俺を。そんなに心配なら、山男が一人で行けばいいじゃん。象牛の時だって俺を助けてくれたんだから、行ってくれば」

「あんときはお前、弓があったからどうにかなったが、今は何もないしなぁ」

「そもそもの疑問はそこだよ、なんで弓がねーんだよ。俺助けたときばっちり装備整っていたじゃん。なんで酒場で募集した瞬間に無装備になってんの?装備調達どころか、宿賃だってないんだから、少しは財布のことも考えてくれよ」

「仕方ないだろ、そういう仕様なんだから。俺に文句言わずにこの世界のシステムそのものに文句を言ってくれ」

 そうこう言っているうちに、悲鳴の主はどんどん近付いてくる。同時に、何か巨大な足音と低く唸る声も近付いてくる。おいおい、冗談じゃないぞ。そんな面倒ごとを抱えて、一直線に俺の方へ走ってくるんじゃない!木々が踏みつぶされる音、異変を察知して逃げ出す鳥たち。象牛以来の緊急事態に、俺も平時の思考から戦時の思考へと素早く切り替え、先ずは自分の命が優先とナーリアが歩いていった方向目掛け、全力疾走だ。山男も、その鈍そうな短い脚を必死に動かして逃げている。なかなか面白い絵面なのだが、状況が状況だけに笑っている場合ではない。

「待てよ、ちょっと待てよ!」

 必死に走る俺たちを追いかける、これもまた追われし者。待てと言われて素直に待つぐらいなら、悲鳴を聞いたときに何とかしている。振り返ることもなく、俺はただひたすら駆けた。そして、俺たちを追う魔物が発する、地鳴りのような足音も着実に近づいている。うむ、これはエンカウントしたら強制的に死ぬやつだな。あいにく、この異世界は強制死のイベント=そのまま死ぬという自然の法則をそのまま採用しているので、君子危うきに近寄らずの例え通りに逃げるのが最適解となる。冗談めかして言っているが内容自体は真実そのもの、その分核心に迫るものがあるので、冗談でもなんでもなく大真面目に俺は逃げた。

そして刻一刻と近づく巨大な足音にかき消されながらも、絶えず悲鳴を挙げて逃げる追われし者が森林より姿を見せた。

「待てよ、勇者!仲間だろう、俺をおいていくな!」

 その男、3日前に失踪したもょもとだ!生きていたのか。生きていても何の益にもならぬ男だから、死んでいても構わんぐらいだが、この男、理外の再登場を早期に計るやいなや、こんな厄介事まで抱えてきおった。やはり失踪してくれた方が都合よしである。

 だが、今はもょもとに注意を向けている場合ではない。その後ろから差し迫る脅威に、どう立ち回るかである。姿を見せる前から威容を見せつけた恐るべき魔物、その全貌をいよいよ現した。地上の動物が史上最大・最強だったかの時代、白亜紀。太古の昔から甦ったかのような規格外のサイズをもって、その巨大な四足の鎧竜は木々を踏み潰し現れた。

「おいおい、古代種の魔物じゃないか⁉」

 山男は鎧竜を見るとそう言った。古代種?なんだそれは?

「詳しく説明している暇はないが、魔王の支配も及ばぬ、古代から生き続ける災厄の魔竜、その一匹だ」

 なるほど、説明はそれだけで十分である。物語最序盤で登場する雑魚どころか、クリア後の追加要素で戦うような、現時点でどうしようもない奴の一匹があの鎧竜という訳だ。別に、俺はこの異世界で低レベル縛りプレイをしたい訳じゃないんだ、むしろ最初から強くてニューゲームがしたかったんだ。なのになんだ、この異世界は次から次へと無理難題ばかり押し付けてきおってからに。竹取物語かなんかなの?出来もしないことばっか注文するなよ、現実世界でコミュ障無職の俺に、出来もしないハードル走やらせたって誰も面白くないだろ。毎回毎回、ハードルの高さが5メートルぐらいある感じだよ。それもうハードル走じゃなくて棒高跳びだよ。毎回ハードルの遥か下を、何の痛痒も感じる事無く潜り抜ける日々だよ、ふざけろ!

 だがナーリアやもょもとと旅をしていた時と、同じ感覚で心の文句を解放している場合ではない。30メートル近い巨大な鎧竜が迫っているのだ。とにかく逃げの一手である。幸いというべきか、視界の奥にナーリアの姿を発見した。これで鎧竜から狙われる確率は4等分になる。初めてナーリアが役に立つ時が来たぞ!

「冗談じゃないわ、こっちに逃げてこないでよ!」

 あの野郎、わき目も振らず、一目散に逃げ出しおった。許せん、貴様だけは刺し違えても楽はさせんぞ。ナーリアの逃げ出す姿を見とめた途端、鎧竜から生還するという生への渇望よりも、どうあってもあいつだけを無事逃がす訳にはいかんと誓う、怨み晴らさでおくべき精神が勝ったのだ。限界だと思っていた俺の足は、悪霊の神々にでも憑かれたのかと思えるぐらいに火事場の馬鹿力を発揮して逃げるナーリアにぐんぐん迫っていた。そして実はこの時、山男ともょもとはそれぞれ脇道に逃れる事に成功し、今や鎧竜に追われるのは俺とナーリアだけという状況になっている。くくく、死ぬ確率は半分まで上がったか。いいじゃないか、狂気の沙汰ほど面白い。ここから先は、どちらが先に鎧竜の餌食になるかサドンデスだ!

「ちょっと、こっちに来るなって、本当にあんた、バカなんじゃないの⁉」

「バカで結構、コケコッコーだぜ。俺たち仲間だろ、死ぬときは一緒だろ?」

「冗談じゃないわ、あんたみたいなブ男と無理心中なんて、それこそ死んでもごめんよ」

「俺がブ男ならお前だって相当な醜女だろ」

「あんたにどう思われたって、私は一向構いませんから。そんな事より並んで走るな、不幸体質のトラブルメーカーはあっち行きなさいよ」

「断固として断る!俺はもう、貴様を離さない、死んでもな!」

 あぁ、この時の俺、ハリウッドスターばりのカッコよさであった。迸る雄の奔流を、つい抑えきれなかったんだ。そんなだから、いらぬ恋のキューピットになってしまうのである。

「……こんな状況よ、そんな真顔で言われると」

 走る足を止める事無く、それでもナーリアは一呼吸おいてから、

「もう、ホントにバカなんだから。キュン♡」

 ……え、ほんとにちょっと、そういうの止めて。嘘でも気色悪いぞ。俺は愛されるよりも愛したい男なんだから、婆の一方的な愛などいらぬ!前言撤回だ、貴様と死ぬなど末代までの恥。死にたくば勝手にどこでも野垂れ死ぬがよい。さらば!

 熟女から向けられた火照った眼、かすかに感じた女の愛憎。蠢動する得体の知れぬ気味悪さが、俺の足をナーリアから遠ざけさせたのだろう。今にして思えば、この一手が悪手であり、老獪さと女の魔性そのものを巧みに操る毒婦ナーリアの権謀術数だったのだ。しなをつくれば、俺の嫌悪感を引き出すことができ、結果自分は鎧竜から遠ざかる。鎧竜から完全にターゲットにされ、もはや致死率100%と言っても疑う余地なしの状況で、どんどん遠のいていくナーリアの顔を、俺は終生忘れないだろう。

「計算通り!」

 ありえるか?あのクソ女、仲間が今から殺されるって時に、笑ったんだ。それは安堵の笑顔ではなかった。子供が虫を無意味に殺す、その様子を見てはしゃぐような、無邪気な笑いだったんだ。つくづく恐ろしい奴よ。あの憎たらしいまでの、一瞬見せた女振りが孔明の罠だった。結果だけみれば、なんぞこれ。最初に追われていたもょもとは山男と二人、早期に戦線離脱。ともに助けに来る気配もなし。ナーリアに至っては俺が追われ殺される様を呑気に見ている。死せる俺、生けるナーリアに走らされるというトラウマレベルの屈辱を死の間際に刻み付け、袋のネズミと化した俺は鎧竜から逃げるように底の見えない崖下へ飛び込んだ。

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