仄暗く、カビ臭い地下牢にクラーラとエミーリアは連れていかれた。各々別々の牢へと入れられる。クラーラはおとなしく沙汰を待っていたが、数個離れた牢からはカシャンカシャンと金属が擦れる音が聞こえてきた。続いてエミーリアの甲高い声も聞こえてくる。


「ちょっと出しなさいよ! 私をこんなところにいれていいと思っているの?!」


 クラーラは目を瞬かせた。もしや、エミーリアは未だ己の立場を理解していないのだろうか。エミーリアは鉄棒を掴んで揺らし、牢番に抗議していた。牢番の顔が不快げに歪む。いけないと思ったが、クラーラは注意をしなかった。案の定、牢番が腰に下げていた剣を抜刀し、鉄棒越しに剣先をエミーリアへと向けた。エミーリアの喚き声がピタリと止まる。


「調子に乗るなよ罪人。今すぐこの場で始末してもいいんだぞ」


 エミーリアは悔しそうに顔を歪め、黙った。懸命な判断だ。

 エミーリアが気づいているのかはわからないが本来彼女は貴族専用ではなく、平民用の牢に入れられているはずだ。おそらく、エミーリアを囲っていたメンバーと彼らに贈られたドレスを見て貴族だと思われたのだろう。彼女が貴族でないと知ったら……。さすがにクラーラはそこまで非道にはなれなかった。


 エミーリアから視線を逸らそうとしたタイミングで目が合った。標的がクラーラへと変わるのがわかった。クラーラが言葉を発するよりも先にエミーリアが口を開く。


「あんたのせいよ! あんたが失敗しなければこんなことにはならなかったのに!」

「私のせい?」

「そうでしょ!」

「……そうかもしれないわね。でも、それはあなたも一緒よ。あなたが高望みなんてしなければ、こうはならなかった」

「それはっ」

「そもそも、たらればを言ったところで今更だわ。それよりも、今後のことを考えた方が」


 そこでクラーラは言葉を切った。足音が聞こえてきたからだ。ドアが開き、現れたのはミヒェル宰相だった。クラーラは己の顔がこわばるのを感じた。咄嗟に顔を伏せる。コツコツという靴音が近くで聞こえた。顔をあげようとしたが、靴音はそのまま通り過ぎ、エミーリアの牢前で止まった。


「何か申し開きはあるか」


 ミヒェルの落ち着いた声色が聞こえた。クラーラはそれが恐ろしくてたまらなかった。息子を唆した相手を前にして尚この態度なのか。————ああ、確かにコリンナ様はミヒェル様の血を色濃く受け継いでいるのだ。


「あります! 私は何も悪いことはしていません! あの人が私に罪をなすり付けているだけなんです! エーミールのことで逆恨みをして」


 クラーラは唖然として顔を上げた。エミーリアはあの場で皆の話を聞いていたのではなかったか。やけになっているのだろうか。今更何を言っても無駄だとわかるだろうに。


「言いたいことはそれだけか?」

「コリンナ様に聞いてください! きっと、誤解を解いてくれます!」


 もはや、空いた口が塞がらなかった。なぜ、ミヒェルの前でコリンナの名前を出すのか。————いや、きっと彼女はコリンナ様とエーミール様の父親がミヒェル様だとは知らないのだ。

 クラーラは固唾を飲んで成り行きを見守った。


「そうか。……コリンナには後で話を聞くことにしよう」

「はい!」


 エミーリアは満足そうに笑った。宰相が踵を返してこちらへと向かってくる。牢前に立つ、ミヒェルと視線が交わる。先にクラーラが口を開いた。


「何も申し開きはありません。……もし、温情をいただけるとするならば私は————修道院へ参りたいと思います」


 それだけを言って頭を下げた。規律が厳しいと評判の修道院の名を聞いてミヒェルの眉がピクリと上がる。しばらくしてから、低い声が唸るようにわかったと告げた。


「陛下にはそのように告げておこう。……残念だ」


 ミヒェルの足音が遠ざかっていく。最後の言葉が胸に刺さり、しばらくの間、顔が上げられなかった。



 ————————



 あれからどのくらい時間が経ったのだろうか。顔をゆっくりと上げる。ずっと下を向いていたせいか首が痛い。ちらりとエミーリアの方を見た。壁に寄りかかって眠っているようだ。思わず、苦笑した。


 その時、扉が再び開いた。ミヒェルが戻ってきたのかと顔を向ける。


 扉の向こうから姿を現したオーマンを見て心臓が嫌な音を立てた。————そうか、やはり、そうなのか。

 膝上に置いていた手が震える。オーマンと視線を合わさないよう、顔を背けた。


 小さな話し声が聞こえてくる。牢番と何やら話しているようだ。


「ぐ、ぅっ」


 予想していなかった呻き声が聞こえ、咄嗟に顔を上げた。目の前で行われている凶行に脳内か追いつかない。その間に牢番は目から光を失っていった。我に返ったのはオーマンがエミーリアの牢の鍵を開けたところだった。クラーラはエミーリアの名を叫んだ。ちらりとオーマンの視線がクラーラを捉える。息を呑んだ。


 オーマンがエミーリアの肩を揺する。エミーリアの瞼が震え、ゆっくりと持ち上がった。


「あなた……だれだっけ? どこかでみたような」

「私はコリンナ様の護衛騎士です」


 コリンナの名を聞いた瞬間エミーリアの目が見開き輝いた。嬉しそうに笑みを浮かべる。


「さすがコリンナ様! 助けてくれるつもりだったのね」

「静かに、時間がありません。急いで出てください」

「わ、わかったわ」


 オーマンの後をついて、エミーリアも牢の外に出た。途中息絶えている牢番の姿を目にして叫びそうになったが、口を押えて何とか耐えた。————早くこの場から立ち去りたい。

 しかし、オーマンは今度はクラーラの牢の鍵を開け始める。クラーラにはオーマンの後ろにいるエミーリアの表情が歪むのが見えた。エミーリアがクラーラに近づこうとするオーマンの腕を引いて止めた。


「ねぇ。そいつは助けなくていいんじゃない? そいつのせいで計画も台無しになったんだし」

「……ですが、クラーラ様も連れて行かないと私達のことを告げ口されたら、今度こそただではすみませんよ」

「……そっか」


 エミーリアが渋々納得しようとした時、「もしくは」とオーマンが言葉を繋いだ。暗い瞳がエミーリアの瞳を覗き込むようにして言った。


「ここで、消してしまうか……ですね」


 ゾクリとクラーラの背中に嫌なモノが走る。本能が逃げろ、と警報を鳴らしている。だが、たった一つの逃げ道は二人に塞がれている。

 エミーリアは逡巡した後、「いいわね。それ」と笑った。


「そうですか。では、これを」

「え?」


 エミーリアの手に短刀が乗せられた。戸惑いを見せるエミーリアを余所にオーマンが柄を握らせる。背中を押されたエミーリアがクラーラの前に立つ。

 オーマンがエミーリアの耳元で囁いた。


「大丈夫。人間は簡単に殺せます。見たでしょう? さっきの牢番。あの男よりも、彼女の方がもっと小さくて弱い。さぁ、強く握って? 目の前の悪女をその短刀で刺すだけです」


 エミーリアは震える両手で短刀を握り、クラーラ目掛けて振りかぶった。クラーラは腕で己を庇い、目を閉じる。


「っ」


 痛みが走った。けれど、たいした傷ではないことがわかる。目を開ければ、エミーリアが強張った表情でクラーラを見ていた。クラーラが説得を試みる前に、またもオーマンが低い声で告げる。


「できないのか?」


 先程までとは一変し、殺気を滲ませる声色。恐慌状態に陥ったエミーリアは叫びながら再び刃を振るった。何度も、何度も。だが、それでも致命傷にはならない。肩で息をしているエミーリアの身体がバランスを崩して揺れた。その隙をついて、クラーラは逃げようと走り出した。背後から舌打ちが聞こえてきた。


 比にならないほどの痛みを感じた。剣が抜かれ、血が大量に流れるのがわかった。クラーラはその場に膝をついて、倒れた。後ろでエミーリアの悲鳴も聞こえる。————結局、殺すんじゃない。クラーラの口から笑い声が零れた。足音が近づいてくる。顔を向ければ、オーマンが訝しみながらクラーラを見ていた。その顔を見て、さらに笑えた。


「可哀相な人」


 オーマンの顔に朱が浮かぶ。激情に任せて短刀を振り上げた。クラーラはそれでも視線を逸らさなかった。涙が零れる。


「あなたも、いっしょ、ね」


 好きな人の為に、こうして己の手を汚すのだ。オーマンの手が止まった。何かを言いたげに瞳を揺らし、唇を噛んだ。結局、オーマンは黙って短刀を置き、立ち去った。


 いっそ、ひと思いに殺してくれればよかったのに。

 意識が朦朧としてきた。ブレスレットが視界に入る位置まで腕を持ってくる。


 ————ああ、思い出した。



 ————————



「私はむしろ、このダークスポットのおかげで、このペリドットに特別な価値が生まれたと思います」

「いや、それはさすがに矛盾していませんか?」

「そんなことはありません。だいたい、皆が持っているようなものを持つことのどこが特別なんですか? 綺麗なだけのペリドットなどつまらないです。それこそ、他の方が持っているものと似ていて違いがわからないではないですか! それよりも、こうして、肉眼でもはっきりとわかるダークスポットがあるペリドットの方が特別感があります」


 ほら、と己のブレスレットと並べる。


「一目瞭然ではありませんか」

「確かに……すぐにわかりますね」


 クラーラの熱弁に負けたエーミールはとうとう笑いながら頷いた。その顔には嬉しさが隠し切れず滲んでいた。クラーラはその笑顔が見たかった。

 あの時は何とかもっともらしい言葉で繕ったつもりだったけれど、今となってはその言葉こそ、的を射ていた気がする。




 私はエーミール様にとっての黒点になりたかったのだ。

 綺麗なだけの内包物インクルージョンは、他と区別がつかない。けれど、一目でわかる黒点ならばエーミール様の目が引ける。特別に見てもらえる。


 この先、エーミール様は誰かと添い遂げることもあるかもしれない。それでも、いい。

 ……うそ、本当はよくない。よくないけれど、仕方がない。

 その代わり、何年経っても何十年経っても私を忘れないでいてほしい。



 イザベル。ごめんなさい。あなたを利用する形になって。でも、どうか私の願いをあなたに託させてほしい。

 あなたに、すべてを晒してもらいたい。私の罪も気持ちも献身も全て。

 私の代わりに消えない黒点をエーミール様に刻みつけてほしい。






 目が、開かない。耳も、もう、聞こえない。


 ああ、最期にこの目で確かめられなかったことだけが心残りだわ……


 エーミール様、私は、あなたの黒点になれましたか?


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