クラーラの視線に気づいたエーミールが服の裾をまくりブレスレットを見せた。


「今日はきちんとつけてきましたよ」

「え、ええ。そのようですわね。ありがとうございます」

「いえ。むしろ、指摘してもらって助かりました。……それで、あの……頼んでおいた例の」


 ハンカチーフの話を切り出そうとした途端にソワソワと落ち着きを無くすエーミール。何とも言えない心地になったが、すぐに気持ちを切り替え、頷いた。


「イザベル様と直接お会いして確認してきましたわ。念の為、もう一度エーミール様がお持ちのハンカチーフを見せてもらっても?」

「ええ、もちろんです」


 エーミールが前回と同じ箱をクラーラに差し出す。受け取った箱をそっとテーブルの上に置くと、蓋を開けた。————ここでバレたらお終いだ。慎重に、確実に、やり遂げなければ。

 クラーラはゆっくりとハンカチーフを手に取り、広げてじっと見つめた。エーミールの視線をしばらく引きつけた後、頃合をみて口を開いた。


「エーミール様。こちらのハンカチーフなのですが、っ!」


 エーミールにハンカチーフを見せようと体勢を変えた拍子にティーカップを押してしまった。ぐらりとティーカップが倒れる。クラーラにしては珍しい焦り声が漏れた。倒れたカップから紅茶がテーブルの上にじわりと広がっていく。


「申し訳ありませんっ。すぐに拭きますから!」


 羞恥心からか、頬を赤く染めたクラーラがハンカチーフを急いで箱に戻し、別のハンカチーフで紅茶を拭く。テーブルの上が綺麗になり、ようやくホッとした表情になった。

 エーミールがクスリと笑う。


「どうかされました?」

「いえ。クラーラでも今みたいな失敗をするのだな……と」

「……私だって、人間ですわ。失敗くらいします」

「不快に感じたのなら謝罪します。あのような様子をあまり見たことがなかったもので、つい。何だか素のクラーラが見れた気がして……少し嬉しかったといいますか……すみません」


 頬を染め、視線を彷徨わせるエーミール。考えるより先に言葉を発していた。


「エーミール様。あの、もしも、私が……っ。いえ、なんでもありません」


 聞いてどうするというのか。聞いたところで何も変わらない。鼻の奥がツンとして、慌てて目に力を入れ、下唇を噛んだ。


 揃いのブレスレットをつけて来てくれただけで充分。


 エーミールのブレスレットに視線を戻す。同じデザインのブレスレット。————ふと、記憶が蘇った。

 一見全く同じもののように見える対のブレスレットだが、エーミールのペリドットにだけ黒い鉱物結晶ダークスポットが点在している。

 いつだったか、『視認できるダークスポットは宝石の価値を下げる』という知識を、クラーラはに気づかずに披露してしまった。動揺するエーミールからブレスレットのことを聞きだしたクラーラは、すぐさま謝罪し、必死に己の見解を述べた。クラーラの常にない様子と、を前に、エーミールは呆気にとられた後、声を上げて笑ったのだ。


 確か、あの時私は……


 己が言った言葉を思い出している途中でエーミールに名前を呼ばれた。

 顔を上げれば、気まずげな表情を浮かべているエーミールと視線があう。クラーラがあまりにもジッと見すぎていたせいだろう。

 我に返ったクラーラは恥ずかしそうに微笑み、つられてエーミールも笑みを浮かべた。



 ————————



 王城への召喚状がアーベル家に届いた。ヴォルフラムは読み終わった召喚状をサンドラへと渡し、目を閉じた。カサンドラは受け取った召喚状に目を通しながら、ちらちらとヴォルフラムの様子を窺っている。

 向かいのソファーに座るクラーラは二人を、特にヴォルフラムの表情を注意深く観察していた。それなりの地位にいる父のことだラース第二王子達が起こした騒ぎもすでに耳にしていたのだろう。そのメンバーの中にエーミールがいることも知っていたに違いない。ここしばらく、気が気ではなかったはずだ。

 しかし、ヴォルフラムがそのことについてクラーラに直接聞いてくることは今まで一度もなかった。こそこそと情報を集めていたのは知っている。おそらく、その情報だけで充分だと判断したのだろう。————つまり、しかヴォルフラムは持っていない。


 一応、クラーラはヴォルフラムから何か聞かれるかもしれないと事前にシュミレーションをしていた。だが、エーミールについて聞かれることも、話しかけられることすらなく、ヴォルフラムは書斎へと戻ってしまった。そんな父の背中を冷めた目で見送るクラーラにカサンドラが声をかけた。


「ねぇ。何故私達まで王城へ呼ばれたのかしら」

「さぁ。私にはわかりかねますが……知りたければお父様に聞くのが一番かと」

「そ、それは……ああ! それよりも、陛下に謁見をするのなら、それなりの準備をしないといけないわよね!」


 カサンドラはクラーラの反応を見る事も無く自己解決をして部屋を出ていった。廊下からメイドを呼びつける声が聞こえる。おそらく、これから衣裳部屋へと向かうのだろう。もしかしたら、ドレスを新調すると言い出すかもしれない。執事長に上限額を話しておかねば————いや、今回は母の好きにさせよう。



 ————————



 アーベル家が謁見の間に通された時にはすでにフィッツェンハーゲン家以外が顔を揃えていた。異様な空気を感じ取ったカサンドラが戸惑いの表情を浮かべる。想像していたものと違い不安になったのだろう。クラーラとの距離を詰めた。


 異様な空気の中心にエーミール達はいた。ラース達がエミーリアを守るように囲っている。保護者である大人達は厳しい視線を彼らに向けていた。斜め上を見れば父も同様の顔をしている。特に、射殺さんばかりの視線をエーミールへと向けているのだが、本人には届いていない。ヴォルフラムは今にも舌打ちをしそうな表情を浮かべ、鋭い視線をクラーラに向けた。どうやら矛先が移ったらしい。

 何度も口を開閉させている。クラーラは気付かないフリをして、視線を逸らした。誰とも視線を合わせず、ただ、待つ。————イザベルの登場を。


 フィッツェンハーゲン家の到着が告げられ、扉がゆっくりと開く。

 堂々とした登場に目が奪われた。特に、普段と違った装いのイザベルはその場の誰よりも他を圧倒していた。

 先程まで親の仇を見るかのように扉を睨みつけていたラースでさえ、イザベルに見惚れている。思わず鼻で笑いそうになった。エミーリアが悔しそうな表情を浮かべ、ラースの服を引いている。



 ラース達による断罪茶番劇が始まった。

 イザベルがラース達をやり込める様子は、正直胸がすく思いだった。エミーリアの仮面が少しずつ、剥がれ落ちていく。

 分が悪いと感じ取ったエーミールが、例のハンカチーフを取り出した。



 ————きた。



 勝利を確信したラース様達にイザベルが牙を剥いた。そして、その牙はもれなく私にも襲いかかってくる。

 覚悟していたはずなのに、身体の震えが止まらない。顔を上げるのが怖い。イザベルは今どんな表情で私を見ているのだろうか。名前が呼ばれた。ゆっくりと顔を上げる。


 イザベルの目に敵意は無かった。そこにあるのは悲しみと哀れみ。言ってはいけない言葉が口を出そうになって下唇を噛む。イザベルから視線を逸らして、周囲を見た。父と一瞬だけ視線が交わり、すぐに逸らす。


 潔く『罪』を認め、晒し、暴かれていくのを静かに見守った。

 去り際に、コリンナに一礼する。クラーラとコリンナの関係を印象付ける為のパフォーマンス。

 最後は、イザベルの顔も、エーミールの顔も見ないで退場した。

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