明確な日時を約束をしていたわけではないが、あの日から一週間後。クラーラは旧資料室へと向かった。

 扉に手をかけ軽く横に引くと、少し開く。扉の鍵は開いていた。


 一拍置いた後、扉を開けた。エミーリアはすでに旧資料室にいて、くつろいでいた。どこから持ち込んだのか一人掛けのソファーに座り、棒付きの飴を咥えている。クラーラと視線が合うとガリッと飴を噛み砕き飲み込んだ。唇をぺろりと舐め上げ、もう一つあるソファーを指さすと棒をゴミ箱に投げ入れた。


 クラーラ相手ならば繕う必要もないと考えているのだろう。彼女が醸し出す雰囲気はといる時とは異なり、まるで別人のようだった。クラーラは言われた通りに扉に鍵をかけると、指定されたソファーに座る。柔らかく体にフィットするソファーに一瞬目を瞬かせる。……彼女はこのソファーをどこから調達してきたのだろうか。先週まではこの部屋にはなかったはずだ。

 気にはなったもの、尋ねはしなかった。今はそんな話をする時ではない。姿勢を崩さずに向き合うクラーラを前にエミーリアは脈略も無く本題を切り出した。


「で、どうするか、決めた?」


 ソファーに肘をついて小首を傾げながら挑戦的に笑うエミーリアは、クラーラの答えなどお見通しのようだった。

 表面上は動揺を見せることも無くクラーラは頷き返した。


「あなたの言う通りにするわ」

「ふふ。あなたならそう言ってくれると思ってた! ……よかったぁ。コレを使わずに済んで」


 ポケットから取り出したのはカッター。エミーリアは楽しそうにそのカッターで手遊びをしている。強ばった表情のクラーラを見てエミーリアはキョトンとした後、ああと納得したように軽く手を振って笑った。


「別にあなたを傷つけようと思って持ってきたわけじゃないよ。コレは……ちょっとした小道具なの」

「小道具、ですか」

「そう、コレでね自分の服を刻んだり、軽く傷をつけたりするの。痛いのは嫌だからもちろんかるーくだよ。かるく。それでね、泣きながら彼らに訴えかけるの『助けて!』って。そうしたら、彼らはどうすると思う?」


 ふふふーと自慢するように頬を紅潮させ微笑む。もとよりクラーラの答えなど聞くつもりはないのだろう。エミーリアは話を続ける。


「彼らはチョロ……んん、優しいからね。すごーく心配してくれるの。そして、私を傷つけた人達に怒りを向けるの。もちろん、その後はたーぷり癒してもらうオプション付きでね。うふふ、彼らといると身体なんていくつあっても足りないくらい。……だから、エーミール一人くらいは返してあげる。正直、優等生過ぎてつまらないと思っていたしねぇ」


 最後にぽつり、と呟いた言葉はクラーラの耳にも届き、ぐっと下唇を噛む。せっかく塞がった傷口からまた血が滲み始める。楽しそうに話すエミーリアを視界に入れるのすら嫌で、視線を外して話を遮った。

 やけに冷たい声が出たが、繕う余裕もなかった。


「それで、私はどのようにすれば良いのかしら」

「いい質問! 実は……計画書を用意してきました~!」


 ふふんと胸を張るエミーリアに、クラーラは少々――否、だいぶ不安を感じた。一枚の封筒を渡され、開くと中には便箋が二枚入っていた。早速、目を通す。


 一枚目の一行目で目眩がした。

 そこには、『ラースとエミーリアの真実の愛大作戦! ~婚約破棄編~』と書かれていた。あまりにも陳腐でツッコミどころ満載なタイトルがデカデカと書かれている。婚約破棄編ということは他にも作戦があるのだろうかと聞くことすら放棄するレベルだった。

 作戦内容は箇条書きで、彼女らしい丸文字で書かれていた。

 その内容も生まれた時から貴族のクラーラにとっては理解できないものばかりで、逐一説明を求める形になった。

 一通り確認をしてクラーラは頭を抱えたくなった。

 さすがにこれではラース達も気づくのではないか。何より、自分がコレをあたかもイザベルがしたように見せないといけないのか。不安しかないクラーラをよそに、エミーリアは自信満々に笑った。


「大丈夫! それに書いているいくつかを実際に試してみたけど、まんまとラース達は引っかかってくれたから」


 その言葉に、クラーラは額を押さえた。

 それが本当ならば彼らはコリンナの目論見通り早々に潰れてしまった方が良い。むしろ、してしまうべきだ。

 いくら、真っすぐにしか物事を見れない性格だったとしても、さすがにコレを全て信じてしまうなんて……エーミール様は一体どうしてしまったのだろうか。

 恋は盲目とはこういうことなんだろうか。

 

 ちらりとエミーリアを見る。

 自分とは違い、花のような笑顔が似合う、ふわふわとした可愛らしい人。

 淑女としてはありえない距離間も彼女だからこそ、許されているのだろうか。


 もし……私が彼女のように振舞っていたらエーミール様は私を見てくれたのだろうか。

 あの温かい、彼女を見つめる時のような愛しさを含んだ瞳で、私を見つめてくれたのだろうか。


『クラーラ』


 記憶を頼りに想像してみても、クラーラの名を呼ぶエーミールの声には望むような熱は含まれていない。代わりにエミーリアの名を呼ぶ声を思い出してしまい、胸の奥が痛んだ。


「それで、これから連絡はどのようにしたらいいのかしら。堂々と会う訳にもいかないでしょう。ここにも頻繁に訪れるわけにはいかないですし」

「ああ。それなら、コリンナさんが手紙を仲介してくれるから大丈夫ですよ」


 手を叩いて笑うエミーリアを呆然と見つめた。一瞬何を言われたのか理解できなかった。


「コリンナ様が……そう」


 コリンナの名前を聞くだけで心がザワつき始める。気づいたら疑問が口から出ていた。


「いつ、どうやってコリンナ様とお会いしたの?」

「どうって……確かラースに王城に連れて行ってもらった時、かな。ヒルデベルト様とはちらりとしか話せなくて残念だったけど、おかげでいい情報も得られたし結果オーライだったわ!」

「っ王城で?!」


 ラースの非常識な振る舞いもだが、何よりコリンナとどんなやりとりをしたのかが気になる。それがいつ頃だったのかも。


 エミーリアは動揺しているクラーラを見て、優越感を浮かべると秘密よと顔を近づけた。こそこそとコリンナとのやり取りを自慢げに話す。話を聞いていくうちに、その話が何を意味するのかに気づきクラーラは目を見開いた。

 楽しそうに話すエミーリアをよそに、クラーラは必死に今得た情報を整理する。


 コリンナはいつから計画していたのか。

 そこまでして王妃になりたいというのか。

 エミーリアが気づいている様子は全くない。

 最近の彼らの振る舞いを見るに、もうその爆弾は彼らに渡ってしまったのだろう。

 不発であればいいが、彼らは着々と自分達を追い詰めてしまっている。


 反逆罪、という単語が脳裏に浮かんだ。


 彼らの言動がこれ以上衆知される前に、事を進めなければいけない。躊躇っている時間は無い。

 クラーラは自分の感情も、イザベルへの罪悪感も捨てて、エミーリアに向き合った。

 急に雰囲気が変わったクラーラを前に、エミーリアは目をぱちくりとさせた。



 クラーラはエミーリアの作戦に己の意見を加え、計画を煮詰めていく。

 計画を立てた当のエミーリア本人はクラーラの話を聞き流しながら、己のを想像して恍惚とした笑みを浮かべていた。

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