クラーラはいつもよりも少し華やかな印象のドレスを身に纏い、どことなく落ち着きのない様子で馬車に乗っていた。

 アーベル家に一通の手紙が届いたのは七日前。差出人はエーミール。内容は久しぶりにクラーラをゲデック家に招待したいというもの。

 これには最近の二人の仲を危ぶみ始めていたヴォルフラムも二つ返事で許諾し、すぐに返信するようクラーラに命じた。

 クラーラは言われずともすぐにペンを取り、返事を書いた。

 何度も書き直し、何度も読み直して確認をした。結果、当たり障りのない硬い文章になってしまったが、クラーラはそれ以上のモノを書ける気がせず、そのまま手紙を送ることにした。

 そして、約束の当日。クラーラは少し緊張していた。


 到着早々、今までと変わらずクラーラはエーミールの部屋へと通された。侍従が扉をノックすると中から返事が聞こえる。その声を聞いただけでクラーラの心臓が軽く騒ぎ始めた。

 扉を開けてもらい、クラーラは緊張を顔には出さないように努めながらも部屋の中へと足を踏み入れた。



 エーミールが笑みを浮かべ、クラーラを迎える。

 クラーラの顔にほっとしたような柔らかい笑みが浮かんだ。


「ようこそ、クラーラ」

「お招きいただきありがとうございます。……エーミール」


 挨拶もそこそこに定位置にお互い座る。数分後にはティーセットも整えられ、室内には二人だけになった。

 もちろん、部屋の扉は開け放たれたままだ。

 おそらく、ここからは見えない位置でメイドや護衛が待機しているのだろう。


 日常的な会話を交わしながらクラーラは戸惑っていた。いつになく歯切れの悪い話し方をするエーミール。上の空とは違うが、ナニカに気が取られているように見える。しかも、そのナニカはクラーラにとって嫌なものだと直感する。クラーラは自分を落ち着かせるようにドレスの上からブレスレットを触った。


 カチャリ。


 エーミールがティーカップをソーサーの上に置く音が響いた。意を決した目でエーミールがクラーラを見つめる。クラーラの喉が微かに音を鳴らした。


「クラーラ。最近、仲の良い友人が出来たみたいですね?」

「……仲の良い友人というのがイザベル様の事でしたら、ええ。仲良くしていただいてますわ」


 想像していなかった質問に返答が少し遅れた。


「そう。そのイザベル嬢はどんな方なのか聞いても?」

「それはどういう意味なのでしょう」


 エーミールの含みのある問いかけに、クラーラの眉根が寄る。エーミールの視線が斜めに逸れたが、すぐに気を引き締め直した顔で真っすぐに見つめ返してくる。


「彼女について、あまり良くない噂を耳にしました」

「良くない噂、ですか?」

「ええ。第二王子の婚約者という立場を利用して権力を振りかざしている。とか、平民を蔑み孤立させて虐めているだとか。そんな人がクラーラと仲が良いと聞いたら心配になりまして……こうして、直接聞いてみようと思ったのです」


 クラーラが心配と言いながらも、その目はイザベルについての情報を聞き出そうとしているようにしか見えない。

クラーラは言いようのない怒りと虚しさに襲われた。グッと奥歯を噛み、気持ちを落ち着けるように細く息を吐くと口を開いた。


「イザベル様はそのような方ではありませんわ。少なくとも、私は彼女がそのようなことをしているところを一度も見たことがありません」


 むしろ、彼女の口から第二王子の名前すら聞いたことがない。忙しい彼女がわざわざ低俗そんなことをするとも思えない。


 クラーラの言葉にエーミールは「そうですか、なら良かったです」と微笑みながらも安心したようには見えなかった。


「ちなみに、誰がそんなことをおっしゃったのかお聞きしても?」

「私も風の噂で聞いただけなので、出処まではちょっと……」


 苦笑しながらも目が微かに泳いでいるエーミールを見て、おそらく第二王子や彼女エミーリアあたりだろうと思い至る。

 いっそのこと彼女の事について聞いてしまおうかと口を開いた。が、言葉は出てくることなく結局口を閉じてしまった。


 聞きたいことは聞いたとばかりにエーミールは読書タイムに入り、クラーラは差し出された一冊を反射的に受け取ると頁を開いた。

 読み進めるふりをしながら、クラーラの心の中では様々な感情が渦巻いていた。

 初めてかもしれない。エーミールと二人きりの空間を居心地が悪いと感じている。

ちらりとエーミールを見る。エーミールはクラーラの視線に気づくことなく本の頁を捲り、時折紅茶を口にする。その様子をクラーラはしばらく見つめ、諦め、視線を逸らした。


 時間になり形式上の挨拶を交わすと、ゲデック家を後にする。

 アーベル家に着き、クラーラはカサンドラに顔を見せることもなく、自室へと向かった。

 しばらく一人にしておいてほしいと戸惑った様子のメイドに伝えた。



 ベッドに横たわりぼんやりと天井を見つめる。

 手を伸ばすと、裾からブレスレットが顔を出した。ペリドットは変わりなく輝いているはずなのに、今は陰って見える。喉下あたりで渦巻いている黒いモノが不快で、気持ち悪い。吐き気や頭痛までしてきた。


 どうにか心を落ち着かせるよう自身に言い聞かせながら考える。

 イザベルにも話した方がいいのだろうか。あの様子だとエーミール達はすでにイザベルが黒だと確信しているようだった。

 ……たった一人の女生徒にいいように転がされているのか。エーミールの事を抜きにしても頭が痛い。

 エミーリアは短期間で、高位貴族、はては第二王子まで陥落させてしまった。その手腕は確かに見事だ。

 だが、エーミールやイザベルにまで手を伸ばしたことはいただけない。



 ―――――――――――



 クラーラは己が持つ伝手を使い、エミーリアの普段の様子を観察させていた。

 報告が入ったのは数日後のことだった。


 エミーリアが一人でよく訪れるという旧資料室は人気のない閑静な場所にあった。

 普段鍵が閉められていてほぼ使われていないはずの部屋の鍵を何故かエミーリアは持っていた。

 クラーラはエミーリアが部屋の中に入っていくのを遠くから見届けると、足音を立てないように静かに部屋の近くまで移動する。


「よし、これでほぼ攻略済みね。次はコレ。うーん、やっぱりここはライバルを上手く使って完全に私のトリコにするしかないかなぁ。なら、ここは鉄板ネタね! 後はコレもあの女のせいにして……うん。完璧!」


 何かをメモしている音と大き目の独り言が聞こえる。その声色は普段のトーンよりも低めで、エミーリア特有の間延びした喋り方では無かった。エミーリアの独り言は止まらない。

 クラーラの頬が次第に怒りで赤く染まっていく。


「それにしても、男ってほんと馬鹿よねぇ。ちょっと猫なで声で囁いたり、涙を見せればコロッといっちゃうんだから……ねぇ、あなたもそう思わない?」


 ガラッと扉が開く。エミーリアはしっかりとクラーラを視界にとらえて笑った。その笑みには嘲笑が含まれていた。


「……」

「あらら~? もしかして怒ってます? ああ、そうか。どこかで見たことがあると思ったら……思い出した! 確かあなたエーミールの婚約者でしょ」


 気軽にエーミールの名前を呼び捨てにするエミーリア。口を開いてしまえば淑女らしくない言葉が飛び出しそうで、ぐっと耐えた。その間もエミーリアは楽しそうに笑っている。


「いい事思いついた! ねぇ、あなたにエーミールを返してあげましょうか?」

「は?」

「たーだーしー、私のお願い事を聞いてくれたら、だけど。どうする?」


 そう言ってクラーラに無邪気に笑いかけるエミーリアの瞳には強かで計算高い女の色香が浮かんでいた。

 クラーラが噛みしめた唇からは血の味がした。

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