両親の思惑通り、クラーラとエーミールは定期的に交流を持つ仲になった。

 最初の頃はカサンドラと二人でゲデック公爵家を訪れていたが、それもいつしかクラーラだけで会いに行くようになった。

 二人の距離が縮まったきっかけは読書だったが、元々波長が合うのか不思議と長時間一緒に居ても苦にはならなかった。


 ゲデック公爵家を訪れた日は決まってヴォルフラムから「どのように過ごしたのか。何か言われなかったか」と詰問された。クラーラはその度に「いつも通り、本を読んで静かに過ごしただけです」と返していた。

 ヴォルフラムは思うように進まない婚約話に苛立たしさを感じてはいたが、クラーラが次期婚約者として内定しているのならば、と我慢して無理難題を言う事は無かった。


 この頃のクラーラはまだ己の気持ちに名前をつけられないでいた。

 エーミールに好意を抱いているのは間違いない。ただ、それが恋愛感情かというと……正直わからない。

 クラーラは今まで一度も誰かを好きになったことが無かった。どこか近寄り難い雰囲気を持つ彼女は誰かと恋愛話をしたこともない。

 加えて、両親は典型的な政略結婚で、二人の間に恋愛感情があるようには全く見えなかった。どちらかというと主従関係と言われた方がしっくりくるくらいカサンドラがヴォルフラムに迎合していた。


 せめても……とクラーラは流行りの恋愛小説を手に取った。切なさや、ときめきや複雑な感情が入り混じっている作品だった。物語に出てくる主人公は恋人と一緒にいて幸せそうだ。

 ふとした好奇心から、自分達と重ねて想像してみた。


 脳裏でエーミールが囁く。「クラーラ。君を愛している」蕩けるような表情で愛の言葉を告げるエーミール。クラーラの頬が熱を持ち、耐え切れずに両手で顔を覆った。しばらく、唸り続け、冷静になってくると何とも言えない虚しさが襲ってきた。


 エーミールがクラーラのことをで見ていないことは確かめずとも明白だった。

 政略結婚なのだから、それでも構わない。

 そう思ったところでツキンと胸が痛んだ。不思議に思いそっと胸元に手をあてる。

 

 ————ときおり襲ってくるこの痛みは何だろうか。



 ————————



 クラーラが己の気持ちに向き合い始めた頃。ゲデック家から正式に婚約の申し出があった。

 クラーラ達が学園に入学する一年前の事だった。



 両家の当主と家族一同が集まり、婚約式は公爵領にある教会を貸し切って執り行われることになった。

 今回はエーミールのコリンナも参加している。時期王太子妃が確約されているコリンナもいることからアーベル家はいつも以上に緊張し、注意を払っていた。

 ただ、その中でヴォルフラムは緊張よりも、コリンナと縁続きになれることに隠し切れない喜びを感じていた。


 あからさまな父の態度にクラーラは呆れながらも、ゲデック家当主であり現宰相のミヒェルの様子をさりげなく窺った。

 ミヒェルとクラーラの視線が交わる。クラーラは動じず、その視線をまっすぐに受け止めた。

 クラーラの態度を気に入ったのかミヒェルの口角が微かに持ち上がる。視線が逸れると、クラーラの緊張の糸が少し緩んだ。


 それも束の間、今度は違う方から視線を感じて顔を向けるとコリンナと目があった。

 コリンナは友好的な笑みを浮かべていた。しかし、クラーラは彼女の笑顔の裏にある、を感じ取ってしまった。背中を冷たい汗が伝う。気を一切緩めてはダメだとテーブルの下、膝上で重ねた手を強く握り、コリンナと同じように笑顔を作って返した。


 コリンナがヴォルフラムに話しかけられ、視線から逃れられるとようやく呼吸ができた。ヴォルフラムは娘の様子に気付くことなく、これでもかというくらいコリンナを持ち上げて話している。コリンナはさらりとその世辞をかわしているが、心の中でヴォルフラムをどう評価しているのかと考えると怖くなり視線を逸らした。


 ふと、エーミールが視界に入る。エーミールは己の姉が褒められているのを得意げな表情で聞き、時折嬉しそうに頷いている。その様子を見ているだけで、不思議とクラーラの心は落ちついた。

 他の皆が仮面をつけ、様々な思惑を重ね、笑顔で言葉を交わしているこの空気の中、彼だけが違っていた。


 エーミールはいろんな本を読んでいるだけあって豊富な知識を持っている。真面目故に、努力を怠ることもしない人だ。けれど、たった一つだけ決定的に欠如している部分があった。

 それは、純粋すぎる性格。愚直なくらい真っすぐにしか物事を見れない人。

 でも、それでいいとクラーラは思う。

 彼はそれでいい。汚いところは自分が全て引き受けるのだから。彼はキレイなままでいてくれればいい。


 すんなりと浮かんできた思いにクラーラは固まった。今、自分は何を考えていたのだろう?


 自然とエーミールとの未来を考えていた。彼の為に何ができるのか。彼にそのままであってほしいと。彼と共にいれるだけで……幸せだと思ってしまった。


 ああ、そうか。やはり、この気持ちは間違いなく恋だ。


 一度自覚してしまえば、エーミールに纏わる全てが色づいて見えた。

 エーミールがちらりとこちらに視線を向ける。姉を自慢げに見ていた所を見られてしまったのが恥ずかしいのか頬を赤くしてそっと視線を逸らした。

 そんな表情すら愛おしく思えた。





 準備が整うとミヒェルがエーミールを、ヴォルフラムがクラーラを呼んだ。皆の視線が集まる中、婚約契約書に順番にサインをする。次いで、両家当主もサインをした。その契約書を立ち会っている教会の神父が受け取る。

 会場にいた皆から拍手が沸き起こった。


 ふいにエーミールがクラーラの方を向き、手を差し出した。事前に聞いていなかったクラーラは戸惑いつつもその手に己の手を重ねる。

 神父が差し出したケースに入っていたのは二対のブレスレット。どちらにもペリドットがはめ込まれている。

 エーミールがブレスレットを手に取り、クラーラの腕に通す。その鮮やかな緑色に目を奪われていたクラーラだが、エーミールの咳払いで我に返った。慌てて、エーミールの腕にもブレスレットを通す。

 もう一度拍手が沸き起こった。



 クラーラは以前読んだ本の一説を思い出した。

『一部の地方では婚約式の際、婚約契約書を交わすだけでなく、互いに揃いの物を交換して、「婚約相手に自分を所有する権利を互いに与えあう」という習慣があった。』

 ソレは確かエーミールから借りた本に載っていた。


 まさか、と思って顔を上げると、エーミールがどこか不安げな表情を浮かべ、クラーラを見ていた。

 なぜ、と思ったがすぐにクラーラの反応が無くて不安になっているのだと思い至る。



 少しは自惚れてもいいのだろうか。エーミールが私の事を少しでも大事に思ってくれていると。


 お互いを彷彿させるペリドットに触れる。


 いや……エーミールが私の為にブレスレットを用意してくれた。その事実だけで、充分だ。


 クラーラは嬉しさと喜びでいっぱいになった胸を手で押さえた。

 涙が零れそうになるのを必死に我慢しながら笑う。


「ありがとうございます。とても……とても嬉しいです」

 

 クラーラの言葉に安堵したエーミールの緑色の瞳が嬉しそうに細められた。

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