エピローグ
その日、フリートラント王国に激震が走った。理想の夫婦だと謳われていた王太子夫妻の突然の離縁。噂では、
その噂を裏付けるかのように、イザベルが側室を辞退したという噂も後を追い広まった。
————————
「これでようやく家に帰ることができると思っていましたのに……なぜ私はまだこうしてココにいるのでしょうか」
イザベルは遠い目をすると、一向に減らない書類の山を見つめた。向かいに座っているエーミールを見ると、彼もまるで死人のような顔色で書類を捌いている。
「今までコリンナがしていた仕事も全てこちらに流れているからね……イザベルがいてくれて助かったよ……本当に」
ヒルデベルトがしみじみと感謝を述べるがイザベルの心には少しも響かない。
イザベルもまさかラースの婚約者だった頃に学んだことがこんな形で活かされることになるとは思っていなかった。
ただ、その知識をもってしても
「ヒルデベルト様、もうさっさと次のお妃様決められたらどうですか?」
うんざりとした表情でイザベルが提案する。
「それは……厳しいかもしれないな」
珍しく気落ちしている様子のヒルデベルトに、イザベルとエーミールが揃って顔をあげた。
「その、父上に私の
「問題……ですか」
問題というと、一つしか心当たりが浮かばないがソレを誰も口にすることはできない。とてもナイーブな問題だ。
「まぁ、私次第なんだけどね。私が王太子妃を娶れるようになるのが早いか……それとも、次世代の王太子候補が産まれるほうが早いか」
ヒルデベルトが現実から目を逸らすかのように空笑いを溢している。
余りにも痛々しくソッと視線を逸らしたイザベルの脳裏にふとある出来事が蘇った。
「そういえば……え、まさか……王妃様の体調が最近優れないのは……」
「いや、単に疲労が溜まっているだけのようだ。
先日ティータイムに呼び出されたイザベルは王妃の顔色の悪さが気にかかり、もしや体調が優れないのではと尋ねた。それを聞いていた側仕えは姿を消し、しばらくすると王が直々に迎えにきた。王に支えられ部屋へと戻る姿を見てイザベルは一安心したが、よくよく思い出してみればやけに王の顔がツヤツヤしていたような気もする。
何だか自分の親の見てはいけないシーンを見たような気分になり口を閉ざした。イザベルがちらりと視線を向けると皆同じように苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべている。
イザベルは空気を変えようと手を叩き、微笑んだ。
「ま……まぁ、仲が良いということは大変喜ばしいことですわ。それよりも、ヒルデベルト様はどういう方が好みなんですか?」
突然話を振られたヒルデベルトは沈黙を誤魔化す為に口にしたコーヒーでむせた。
「あら、大丈夫ですか?」
イザベルがハンカチーフを渡そうとするが、手で制して大丈夫だと伝える。ティモがすっと紙ナプキンを横から差し出した。ヒルデベルトは紙ナプキンに視線を向けることなく手に取り口元を拭く。一連の流れを見ていたイザベルの口が「まさか」と唱える。
「ん?」
イザベルが『ナニカに気付いてしまった』という顔でティモとヒルデベルトを何度も見比べる。一瞬の後、理解
「俺に男色の気はない! 特に、コイツとは無い!」
「失礼な……私にも選ぶ権利があります」
クイッとめがねを押し上げるティモ。ヒルデベルトの慌てぶりと勢いを受け、ついエーミールに視線を向けようとしたが、ガシリと肩を掴まれた。
「イザベル信じてくれ! 確かに私は女性に興味が無かったが、男は対象外だ! 恋愛するならば女性が良い!」
「は、はぁ」
「最近気になる方もできましたしね?」
ティモがヒルデベルトの後ろから囁く。
「そう! いや、それは……気になるというか、目が離せないだけで」
「何故、目が離せないんですか?」
「それは……そのっ、て、何を言わせようとしているんだお前は!」
イザベルから手を離したヒルデベルトが身を翻し、素早く距離をとったティモへと向かっていく。イザベルは突如始まった小競り合いを茫然と見つめエーミールに問いかけた。
「……ヒルデベルト様ってあんな方でしたっけ?」
「いえ、私もあのようなヒルデベルト様を見るのは初めてですが。おそらく、あれが素なんでしょう。……それだけ、心を許して下さっているということでは?」
エーミールが少し困った表情を浮かべながら答えた。
ヒルデベルトは幼い頃から『完璧な王太子』を周りに求められ、それに見合うように努力し続け、常に仮面を被って気を張ってきた。今の彼は努力の上に成り立っている————のかもしれないという事にエーミールは最近気づいた。
常に強靭な精神と仮面をつけてきたが故……だったのかもしれない。
そんな彼が素顔を晒せる相手。そんな相手が現れたとしたら……。
そこまで考えて、エーミールは頭を横に振った。
それよりも今すべきことは目の前の資料を片付けることだ。
ペンを手に取る際、裾から緑のペリドットが埋め込まれたブレスレットがちらりと覗いた。
「お二人は放っておいて、残りをさっさと仕上げてしまいましょうか」
しばらくヒルデベルト達を見ていたイザベルがエーミールに向かって微笑む。
「ええ」
裾をそっと直すと、エーミールもにこやかに返した。
『閃きの女神』の二つ名を持つイザベルだが
次の王太子妃に彼女を推す声があるが、国王に結婚の自由を許可されているから大丈夫だと安心していた。ソコに穴があることに彼女は気づいていない。
イザベルが気づいて逃げるのが早いか……それとも————。
さて、その時が来たら自分はどちらの味方をしようか。そんなことを想像して微かに笑みを浮かべた。
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