第十九話 今度こそ一件落着

 覚悟を決めたエーミールを見てヒルデベルトは苦笑した。


「あいにく、君が思っているような判断は下されないよ」


 ヒルデベルトの言葉に戸惑いを見せるエーミール。

 頭の回転は早く、状況把握能力もそこそこ。しかし、あまりにも愚直すぎる。そういう意味ではコリンナの方が宰相父親の血を色濃く受け継いだのだろう。

 エーミールも素地はあるのだ。王城で働き始めれば揉まれて化ける可能性はある。

 さて、彼はどこまで読めるのか……。

 ヒルデベルトの中でちょっとした好奇心が首をもたげた。


「コリンナはおそらく離宮で幽閉されることになるだろう。ただ、真実そのままを民に知らせるわけにはいかない……民衆向けにもっともらしい話を流して、という形になるだろうね」


 確かにとイザベルも頷く。ただでさえ、ラースのことがあって王家への印象は悪くなっている。追い打ちをかけるかのごとくクラーラ達の事件も起きた。さらに、『その事件の裏には王太子妃が関わっていました』なんて知られたら……考えるだけで恐ろしい。


 エーミールもその点はすぐに理解が及んだようで頷く。


「王家としてはコリンナを王太子妃から退かせた後宰相との不仲説が上がるのも避けたい。その打開策としてエーミール、君には私専属の文官として勤めてもらおうと思う」

「なっ!」


 驚愕するエーミールを楽しそうに観察するヒルデベルト。それを横目で見ていたイザベルは溜息を吐く。

 ヒルデベルトはわざとらしくエーミールに同意を促した。


「よかったね? 廃嫡されるどころか、出世だよ」


 言葉通りの意味にはどうしても聞こえずエーミールは顔を強ばらせた。なんとか言葉を返そうとするが何を言っていいのかわからない。見かねたイザベルが会話を遮った。


「もう彼は充分己の立ち位置を理解していますわ。これ以上追い詰めては使い物にならなくなるのでは? ……二人共その目はなんですか……言いたいことがあるのなら言ってくださる?」


 差はあれどどちらも驚いた顔でイザベルを見ている。代表してヒルデベルトが発言した。


「いや、まさかイザベルがソレを言うとは思わなくてね。イザベルこそ、もっと大きな罰を望んでいるのかと思っていた」


 イザベルの眉間に皺が刻まれる。ふんっと鼻で笑った。


「充分大きな罰ではないですか。一見、身内贔屓の待遇だと思われそうですが……私はよほど廃嫡されたほうがマシだと思いますわ。敏い者達は気づくかもしれませんが、大半の者達は決してエーミール様に良いイメージは持たないでしょう。周りからの当たりはキツく。その上、王太子の補佐となれば仕事量も膨大。辞めたいと思っても辞められない環境で働くのがいかに辛いことか……」


 前世での苦行を思い出し、自然と顔が引き攣る。


「やたら感情がこもっている気がするが……何か王城で嫌なことがあった? 誰にやられたんだい? そいつは速やかに処分しておくから安心して、」

「ヒルデベルト様、今はそのような話はしていません。それと、皆様には良くしてもらっています」

「そうか、それはよかった」


 頷いているヒルデベルトから視線を外し、エーミールを見据える。イザベルと視線があったエーミールに再び緊張が走る。


「……エーミール様」

「は、はい。なんでしょう」


「これはあくまで私個人の意見ですが……この先どんなに辛いことがあったとしても、あなたには生きていてほしいと思います。彼女の為にも」


 イザベルの言葉に少なからず衝撃を受けたエーミールはしっかりと頷き返した。


 ヒルデベルトはその様子を黙って見つめていた。

 エーミールを自身の専属にすることは少なからずヒルデベルトの評価にも影響を及ぼすだろう。けれど、それも加味した上でヒルデベルトは判断した。


 ヒルデベルトにもコリンナに対しての後ろめたさがあった。

 政略結婚とはいえ、女として求められないというのかどれほど屈辱的だったか……。

 たらればを考えたところで仕方がないが。


 イザベルは廃嫡の方が楽だと言ったが、所詮貴族の身分に甘えきっているエーミールではやっていけないだろう。収まるところに収まりそうで内心安堵した時、突如、部屋の扉が激しく開いた。


「お〜ま〜た〜せ〜」


 ヒューイがご機嫌でノックも無しに入室してきた。いつにも増してテンションが高いヒューイにヒルデベルトは嫌な予感がした。おそらく会うのは初めてであろうイザベルとエーミールはどう反応していいかわからず固まっている。

 そんな中、ヒューイは目的の人物へとまっすぐに向かっていった。

 ヒルデベルトの前を通り過ぎて、イザベルの目の前に立つ。


「イザベル嬢?」

「はい。そうです、がっ!?」


 ズイッと至近距離で観察され、驚きでイザベルの喉がヒュッと鳴る。慌てて背もたれの限界まで下がり、少しでも距離をとろうとするがヒューイはイザベルの両手を握ってさらに身を寄せる。

 眼鏡越しに見える瞳には何故かあからさまな好意が宿っていた。


「貴女様が閃きの女神ですか! 医療にも造詣が深いお方! ふひっ、ぜひともこの私と議論をしていただきたい!」

「以前イザベル様がおっしゃっていた『刺傷から身長を割り出せるか』について尋ねてからずっと会わせろとうるさかったんですよ」


 イザベルの後ろでティモが小声で補足する。その声色にはこれ以上絡まれないで済むという清々しさが滲んでいた。代わりにイザベルの顔が引き攣る。


「離れろ」


 ヒルデベルトはヒューイを引き離すと、イザベルを己の腕の中に囲った。近づかないようにと片手でヒューイの顔面を掴んで抑えている。


「ほや、ほうたいしへんか、しっとへすか?」

「何を訳のわからんことを」

「『おや、王太子殿下、嫉妬ですか?』ですね」

「誰も通訳しろと言っていない!」


 ヒューイの顔面から手を離したヒルデベルトがティモに向けて叫んだ。

 いつの間にか定位置に戻ったティモは素知らぬ顔で立っている。


「そんなに独占欲丸出しにしちゃって~ぐふっ。王太子殿下は女性が苦手……ふひっ、ではなく、と~っても繊細だったってことですね〜。王太子としてはどうかと思いますが……ふ、ふ、面白っ、ふひゃひゃひゃ!」


 爆笑し始めたヒューイ。イザベルは意味がわからず説明を求めるようにヒルデベルトを見上げた。ヒルデベルトも腕の中のイザベルを見て目を瞬かせ、一瞬で首まで真っ赤に染め上げた。

 ヒルデベルトは慌てて手を離すと、口元を片手で隠し、視線を逸らしてイザベルから距離をとる。


 こほん。誤魔化すようにヒルデベルトが咳払いをした。


「イザベル嬢」

「はい?」

「……その……いや、やっぱり何でもないです」

「?」


「ヒューイ! いつまで笑ってるんだ! 仕事をしろ仕事を!」

「ぶははははは! ひひっ。わかりましたよ〜さぁ、女神よ〜患部を見せてくださいね〜」

「ああ、はい」


 言われた通りすんなりと首が見えやすいように顔を上げる。


「……んひっ、これなら塗り薬塗っとけば数日で治るかな〜ひひ、後で薬持って行きますね~」

「はい、ありがとうございます先生」


 イザベルの首元から離そうとしたヒューイの手が一瞬止まった。『先生』その言葉を聞くのはいつぶりだろうか。眼鏡の奥にある瞳が一瞬揺れたが、誰にも気付かれることなくヒューイはいつも通り笑った。

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