第十七話 イザベルVS…(二)

 Cの文字を縫ったのは一体誰か。


「まずは、そこをはっきりさせましょうか」


 イザベルはテーブルの上に刺繍糸と二枚の紙を置いた。


「Cの文字に使われたのと同じ刺繍糸です。そして、こちらがクラーラ様のご実家アーベル伯爵家でつけられている帳簿、こちらがこの刺繍糸を取り扱っている店の帳簿の写しです」


 イザベルは二枚の帳簿で重複している日にちを示す。


「クラーラ様にハンカチーフをお渡しした翌日に刺繍糸が購入されています。店主からも確認がとれました。極小量の糸を伯爵家のお嬢様がわざわざ直接買いに来たので印象に残っていたそうです。ほぼ間違いなくこの刺繍を施したのはクラーラ様かと」

「クラーラがこのハンカチーフに手を加えていた……?」


 エーミールはハンカチーフを見つめたまま思案する。イザベルはその疑問には答えず話を進めた。


「クラーラ様は手を加えたハンカチーフを偽物の証拠品とすり替えました。……偽物のハンカチーフを偽物と交換したんです」


 エーミールはハッとした表情で、理解できないと首を横に振った。


「ま、まってください! それではクラーラはこのハンカチーフが偽物だと知った上で、……冤罪がバレると分かった上で提出したというのですか?!」

「ええ。刺繍に気づいているのですからもちろんそのことは分かっていたはずです。同時に、私がすでに計画を知っていることにも気づいた。だから、考えを改めたんです。クラーラ様を引き込んだ人物にバレないように、私にヒントを残すことを選んだ」


 このハンカチーフを用意した時、クラーラが気づく可能性も考慮していた。気づいて、計画に加担するのをやめてくれればと期待をこめて渡したのだから。

 

「私もこれを見るまでは確信が持てませんでした。でも、クラーラ様が残してくれたコレが私の考えを後押ししてくれました。……彼女なりの贖罪でもあったのかもしれませんが」

「イザベル嬢の確信とはなんのことを指しているのですか? あまりに抽象的過ぎて私には理解が及ばない」


 エーミールはもはや己の力で考えることを諦めたようだった。これ以上知りたくないという思いもどこかにあったのかもしれない。それでも、イザベルに答えを求めた。


「一つ確認しておきたいのですが……エーミール様はコリンナ様からエミーリア様と関わるな、と言われましたか?」

「いや……クラーラと仲良くしろとは言われたがエミーリア嬢のことは何も……その、姉上は何も知らなかったのではないかと」


 エーミールがちらりとコリンナを横目で見る。コリンナの横顔が己の知る姉ではなく、知らない誰かに見えて慌てて視線を逸らした。


「それはありえませんわね。クラーラ様とエミーリア様の手紙を仲介していたのはコリンナ様ですから」

「姉上が?! クラーラはともかくエミーリア嬢と会う機会なんてないはず」

「エミーリア様はたびたびラース様に連れられて王城に来ていたらしいですわ。そして、ヒルデベルト様にも接触しようとしていた……という話をナターリア様から以前聞きました。その際、コリンナ様は憤るナターリア様を諌め、エミーリア様と二人で話をしたのですよね? それ以降エミーリア様はヒルデベルト様に近よるのを諦め、コリンナ様に親しく話しかけるようになったと」

「丁寧に諭しただけですわ。相手が納得出来るまで話せばわかってもらえる、それだけの話です」


「そう、エミーリア様が納得できる……取引をしたんですね。ラース様を、その周りを落とす方法を教えるかわりにヒルデベルト様には近づくなと。人心術を心得ているあなたからしたら彼女を取り込むのなんて簡単だったでしょうね。そして、信用させてから彼女に吹き込んだ。このままいけばラース様が王太子になるかもしれないと。まんまと騙されたエミーリア様はそれを信じ、ラース様にも話した。ティモ様がラース様に確認してくださいました。確かにエミーリア様はそのようなことを言っていたと」

「な! 姉上がそのようなことを言うはずがない! ヒルデベルト様を裏切るような発言をするわけがないだろう」

「必ずしも直接そのように言う必要はないのですよ。例えば『今年中に子供が出来なければ王太子の立場が危うくなるかもしれない』そうわざと相談する振りをしたらどうです?」


 その話題は確かに王太子派以外の派閥で実際に出ていたものだ。真実味もある。となればヒルデベルトよりもラースが狙い目だとエミーリアも思ったかもしれない。


「ですが、姉上がわざわざそんなことをする必要は……」


 エーミールは思わず姉を見たが、コリンナは真っ直ぐにイザベルを見たまま弁解もしない。嫌な汗が浮かんできた。


「コリンナ様には二つ目的がありました。一つは私とラース様を婚約破棄させる事。もう一つはラース様を確実に継承権争いから落とす事。王太子妃であるコリンナ様は知っていたはずです。影の存在を。冤罪は必ずバレることを」


 エーミールは絶句した。


「それでは、まるで、姉上が私達をはめたみたいではないですか」

「その通りです。コリンナ様はあなた方よりもヒルデベルト様を優先した」


 イザベルの考えを否定することもできずに絶句しているエーミールと、その隣で未だ表情を全く変えないコリンナの様子は面白いほど両極端だった。


「とはいえ、エーミール様には逃げ道が用意されていました」

「逃げ道?」

「騒動の後クラーラ様の所に婿養子として入れる予定だったのだと思います。だから、お二人の関係には口をだした。……それが、クラーラ様との交換条件だったから。クラーラ様は優秀な方です。コリンナ様の目論見も、エーミール様のその後も想像出来ていた。エミーリア様の言葉だけならば、クラーラ様は負け戦にわざわざのることはなかったでしょう。クラーラ様はただ……あなたの将来を心配していた。あなたを守るために共犯者となることを選んだのです」


 エーミールはもう何も言い返せなかった。————頭の中で声が聞こえた。


『エーミール様』


 クラーラはいつも柔らかな声色でエーミールの名前を呼んでいた。

 エミーリアを相手にした時のような揺さぶられるような感情は湧かなかったが、彼女といる一時は安心できて、心地がよかった。

 それでも、彼女から向けられる気持ちには気づかないフリをしていた。

 どうせ結婚するのだからそれから向き合えばいいのだと、真っ直ぐな気持ちに応えようとはしなかった。


 虚ろになったエーミールを見ながらイザベルは語り続ける。クラーラの覚悟を少しでも聞かせる為に。

 あの日聞いたクラーラの嘆きを思い出し、感情的になるのをぐっと拳を握りこんで抑える。


「でも、私に気づかれてしまった。失敗したとわかった時、最悪な結末を想定したのでしょう。事件の全貌を知っていて、忠誠心がない自分は下手したら口封じされる可能性があるのではないかと……。だから、このハンカチーフにせめてもの抵抗を残した。コリンナ様……この推理、間違っていると思いますか?」


 答えようとしないコリンナをジッと見つめる。コリンナは諦めたかのように、面倒そうに、溜息を吐いた。


「さぁ……どちらでも良いわ」

「あ、姉上?」

「だって、もしその話が本当だとして……私は罪に問われるのかしら? 全てはヒルデベルト様の為、国の為にしたこと。まぁ、クラーラのことは残念だと思いますが……私が直接手を下したわけでも、命令したわけでもありません。それとも、あの二人がそう言ったのかしら?」


「私はあなたを裁こうとしているわけではありません。それを決めるのは私ではありませんから。ただ、知って欲しかっただけです。私は知っているということを。あなた達を許せないと思っていることを」


 コリンナを、エーミールを順に見る。エーミールはぐっと息をのんだ。ようやく気がついたのだろうか。エーミールがエミーリアに惹かれなければ、よしんば冷静に状況をよんでラース達を諌めることができていたのなら……クラーラは死なずにすんだのかもしれないと。

 怒りで震える身体を落ち着かせる為、目を閉じて息を吐く。


 目を開き、うっすらと笑みを浮かべた。


「ねぇ、コリンナ様……私も消しますか? お得意の人心術でも使って……誰かに殺させますか?」

「まぁ、私がイザベルを? さすがにそんなことはしませんわ。『閃きの女神』は国に必要ですもの」

「あら、私がヒルデベルト様に今の話をしてしまうかもしれないのに……そんなに悠長に構えていていいのですか?」


「……私を脅そうというの?」

「まさか! 私は私の考えをあの方にも聞いてもらいたいだけですわ」

「ヒルデベルトが私ではなくあなたの味方をするとでも? よほど自信があるのね」

「えぇ、あの方にとって私は特別らしいですから」


 イザベルはヒルデベルトから送られたネックレスをわざとらしくいじる。


「それは……」

「ええ、あの夜にヒルデベルト様からいただきましたの……特別な夜でしたわ。今思い出すだけでドキドキしてしまいます」


 頬に手をあて悩ましげな表情を浮かべる。ドキドキはドキドキでも嫌な意味合いだったが、それを知るはずもないエーミールはナニを想像したのか顔を真っ赤にした。


 ガタリとコリンナが立ち上がる。

 淑女の仮面を剥ぎ、憤怒の表情を隠しもしないコリンナ。初めて見る姉の形相にエーミールは驚き、動けなかった。

 コリンナはイザベルに飛びかかるとネックレスを力任せに引っ張った。

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