第十四話 複雑怪奇なイトが絡み合う

 握り込んだ手のひらに嫌な汗が滲む。生唾を飲み込む音が異様に響いた。どれだけ沈黙を守ろうとも目の前のヒルデベルトは笑顔で見つめてくるのみ。

 追い詰められたイザベルはとうとう項垂れて口を開いた。


「悪気はなかったんです」


 この世界で異空間魔法が使えるということは一種のステータスになる。異空間魔法の使い手は利便性が高く、国からも重宝されるからだ。申告をして国お抱えになると高給取りになれ、国から保護もしてもらえる人気職の一つだ。

 とはいえ、異空間魔法自体は希少なモノではない。異空間を一瞬展開するだけならば大多数の者が可能だろう。だが、実際に異空間を利用するとなれば話は別だ。異空間魔法は維持する時間と容量によって必要となる魔力量が変わる。つまり、膨大な魔力量を持っていることが最低条件な上、自分の制御できる魔力量を把握して自由自在に使える域まで達しなければ異空間魔法の使い手とは呼べないのだ。



 しかし、イザベルにとって異空間魔法を使えることは絶対に王家に知られたくないことの一つだった。少なくとも未来の王太子妃が決まるまでは、と隠してきたのだが王太子妃が決まった後も黙っていたのは間違いなく面倒事に巻き込まれたくないイザベルの判断だった。


 イザベルは切々とヒルデベルトの情へと訴えた。その甲斐もあってか、はたまたこれまでのイザベルの行動が物語っていたのかヒルデベルトはすんなり理解を示した。


「イザベルは叩けば叩くほど色んなものがでてきそうだよね……こんなに目が離せない女性は初めてだよ」


 興味深げな表情を浮かべるヒルデベルトに、イザベルは「そんなことはないですわー」と謙遜しながらも握りこまれた手をモゾモゾと動かし引き抜こうと試みる。

 重ねられた手が一瞬離れ、するりと手の甲を撫でていった。不穏な空気を感じて距離を取ろうとするが、追いかけてきた手に今度は指を絡めとられる。

 イザベルの表情を見たヒルデベルトが咄嗟に顔を背けて笑い声を洩らした。



 からかわれたのだと自覚したイザベルのライフポイントはとうとうゼロになった。



 その後、ぐったりしたイザベルをユリアが回収して『デート』はお開きになった。

 別れ際にヒルデベルトがイザベルに細長い箱を渡した。触り心地のよいベルベット生地の箱から何となく中身が予想できる。


、肌身離さずずっとつけていてね」


 開けてみるように言われ箱を開くと、煌めくゴールデンサファイアに目を奪われた。ヒルベルトが手を伸ばし取り上げ、イザベルの後ろに回る。反射的にイザベルも後ろ髪を持ち上げた。

 そつがない動作に「女慣れしているな」と感心しつつネックレスのトップを持って眺める。ヒルデベルトの瞳を連想させる色。


 ————コレを見て反応する者は何人いるのだろうか。


 ぼんやりと観察していると、はたと気が付いた。このネックレスは魔道具でもあるようだ。イザベルにはどんな魔法が付与されているのかまではわからなかったが、ヒルデベルトの魔力がこめられていることだけはわかった。コレを売るとしたらと考え……恐ろしくなって止めた。

 イザベルは素直にヒルデベルトに礼を述べることにした。


「近いうちにコレに見合う品を私からもお送りしますわね。それでは…また」


 今の格好でごきげんようと言うのはあまりにも似つかわしくないように感じて、イザベルは砕けた物言いで別れの挨拶をつげた。部屋を出る際に、そのまま部屋に一泊できることも付け加える。


 余計なお節介だったかもしれないけれど。


 イザベルは夜空を見上げた。星も月も見えない闇は手を伸ばせば吸い込まれてしまいそうだ。

 そっと服の裾を引っ張られる。我に返って「ありがとう」と言えば、ユリアも安心したように微笑んだ。



 ————————




 その噂が耳に入った瞬間、オーマンは駆け出していた。


ヒルデベルト王太子様がわざわざ休暇を取って外泊された』


『どうやら二人で泊まったらしい』


 今までどんな手練な相手の誘惑にものらなかったヒルデベルトが過ごした一夜のお相手は一体誰なのか。いろんな憶測が城内で囁かれていた。

 その中でも有力だったのは件の令嬢、イザベルだ。


 普段のオーマンらしくもない乱暴な足取りで廊下を進んでいく。途中、すれ違いざまに女性にぶつかってしまったが謝る余裕すらなかった。

 主の扉の前で来て、ようやく冷静になった。ここまで衝動的に来てしまったが自分は呼ばれたわけではない。いいのだろうか、と中に入るのを迷う。

 悩んだ末、オーマンは扉をノックした。


 一拍置いてから反応が返ってきた。この一拍がオーマンを不安にさせた。己の名前を告げるとすんなり中に入る許可が下りてホッとする。

 部屋の中にはコリンナだけがいた。先程まで来客があったようで、テーブルの上にはティーカップが二つまだ残っていた。コリンナは自らテーブルの上を片付けていた。


「コリンナ様。貴女は高貴な方なのですからそういうことは自らしなくともメイドに任せていいんですよ」

「メイドには少し席を外してもらっていたの。これくらいは大丈夫よ。それに……何かしていた方が気も紛れるから」


 その言葉でオーマンは気が付いた。

 コリンナ様は既に噂をご存知なのだ。もしかしたら、先程までいたご令嬢から聞いたのかもしれない。

 先程すれ違った女性を思い浮かべる。そういえば、とても取り乱していたような気がする。


 コリンナは気丈に振舞っているのだ。そう気づいてしまえば、オーマンはもう動かずにはいられなかった。

 主従関係に有るまじき距離まで近づくと、いつもよりも小さく見える身体を抱きしめた。


「コリンナ様、大丈夫です。俺がなんとかしますから。あなたはこれ以上傷つかなくていい」


 あなたを傷つける全てを俺が排除するから


 コリンナは一瞬固まったが、縋るようにオーマンの背中に腕を回した。オーマンは拒まれなかったことに安堵する。同時に不埒な考えまで浮かんできたが、コリンナが嗚咽を漏らして震えていることに気が付き己を恥じると共に激しい怒りを覚えた。

 泣き止んだばかりのコリンナを残していくのは心苦しかったが部屋を出た。途中出くわしたメイドには三十分後に部屋に行くようにと伝えた。




 まだ近くにいるかもしれない可能性にかけ、探し回っていると、お目当ての人物を見つけた。速足で追いつき後ろから声をかけた。


 振り向いた彼女は驚いた後、すぐに理解した表情を浮かべた。その瞳はとても既視感があるもので、やはり彼女は同志なのだと確信した。

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