第十三話 『お忍びデート』とは

 『お忍びデート』の文字を見て最初に思い浮かんだのは、前世でプレイした乙女ゲームのシナリオだった。ヒロインとヒーローが市井で普段できない体験を通して距離を縮めるというアレだ。

イザベルはその想像を自分に当てはめてみようとしたが、しっくりこなくて止めた。

 よくよく手紙に目を通してみればヒルデベルトの言う『お忍びデート』が言葉通りのものではないことに気が付く。


 『お忍びデート』当日、イザベルはいつも通りの格好に着替えていた。護衛のユリアも同様の格好をしている。

 元々、深窓の令嬢とは程遠い生活を送っていたイザベルだ。今までにもに出かけることが少なからずあり、特段両親に不審がられることもなく家を出ることができた。


 イザベルが待ち合わせに指定した『ヴェスペロ』は主に冒険者や情報屋が集う店だ。貴族は近づこうともしない場所だが、イザベルはこの店を気に入っていた。

 ちなみに、ヒルデベルトが最初指定した場所は、貴族御用達の個室がある食事処だった。先日、キャットファイトもどきを終えたばかりのイザベルには少し……いや、だいぶ避けたい場所だった。例え変装していたとしても気付かれる確率は高い。一応暗黙の了解があるとはいえ、数日後には不名誉な噂が囁かれること請け合いだ。

 悩んだ結果、イザベルは『ヴェスペロ』を指定したのだが、ヒルデベルトはここがどういう所だか知っているのだろうか。

 ヒルデベルトの反応を想像しながら、イザベルは『ヴェスペロ』の扉を開いた。





 店に入って早々、入り口付近にいた筋肉隆々で身体中傷だらけの男達と目が合った。片手をあげて挨拶を交わす。


「おう! ベルンとユーリ、久しぶりじゃねぇか!」

「何! ベルンとユーリだって?! 色男達のおでましか?」

「皆久しぶり! 悪いけど今日は待ち合わせなんだ」

「待ち合わせっていうと……見慣れない顔のあいつらか?」


 一同は、奥で飲んでいるいかにも訳アリっぽい二人に視線を向ける。護衛風の茶髪男が一度こちらを見て顔を戻した。かと思えば勢いよく振り向いた。茶髪男が目を見開いている。隣にいた貴族風の黒髪男が茶髪男の横腹に肘打ちを入れた。

 イザベルはクツクツと笑い声を洩らしながら近づく。


「お待たせ」

「……もしかしなくても、イザ」


 素早く茶髪男の口に人差し指を当て、笑みを浮かべたまま威圧する。茶髪男が固まる。

 さすがにもう大丈夫だろうと指を離した。

 このままここで話すのはやはり難しいと考え、事前に話をしておいた店主へと手をあげた。店主が心得ているように笑い、親指を上へと向ける。

 イザベルはユリアに「いつものように」と頼むと、二人の背中を押して2階へと促した。


 『ヴェスペロ』は一階が飲み食いできる店になっていて、二階には寝泊りできる部屋が設けられている。とはいえ、誰でも泊まれる訳では無い。

 二階の部屋にはフィッツェンハーゲン家監修の防音・防犯対策が施されている。泊まれるのは国の上層部以上と腕利きの冒険者のみで、まさに知る人ぞ知る隠し宿だ。ちなみに、イザベルにも立案特権で利用許可が下りている。

 こうした隠れ宿はここだけではなく、各地にある。おかげさまでフィッツェンハーゲン家の収入は右肩上がりだ。


 部屋に入り二人に椅子を勧めると、イザベルはベッドに腰かけた。茶髪男がそわそわしているが、あえて視線を合わせず黙り込む。

 ヒルデベルト様がここまで表情を露わにするなんて————面白すぎる。

 足を組んでその上に片肘をつき、手のひらでにやけた口元を隠す。

 ヒルデベルトが口を開きかけた時、ユリアと従業員が食事を持って入ってきた。従業員はテーブルの上に料理を置くと頭を下げて黙って退出した。ユリアはドア付近に立った。念のため、ドアの外を警戒してくれるらしい。

 とうとう我慢できなくなったヒルデベルトがイザベルに尋ねた。


「君、……イザベルだよね?」

「…………」

「髪色は違うけど面影があるし、微かに感じる魔力がイザベルのだ……と思ったけどあっているよね?」


 返答をしないイザベルにヒルデベルトの語尾が弱くなる。見かねたティモが口を挟んだ。


「あっていますよ。イザベル様、あまりからかわないでやってください。ベルン様、とここではお呼びしたほうがよいですかね」

「もう。ティモ様ってばそう簡単にばらしては面白くないじゃないですか。それと、この部屋は防音が施されていますので普段通りでかまいませんよ」


 組んでいた足を下ろして女性らしいを作り、淑女の笑みを浮かべる。途端に普段のイザベルにしか見えなくなりヒルデベルトは何度も目を瞬かせた。



「よかった……半信半疑だったから違ったらどうしようかと。というかソレはいったいどうやっているんだい?」

「ああ、声でしたら。この変声機を使っています」


 ぐいっとタートルネックを下げると、シンプルなチョーカーが指先に触れた。


「このタイプだと切り替えも簡単ですし、身体に負担をかけにくいので使い勝手がよいのですよ。ちなみに、今のところコレ一つしか完成品はありません」


 前世で人気だった某名探偵に憧れて探偵道具を個人用に作ってもらった。物がモノだけに、さすがに普及させるわけにはいかないので、開発者には秘匿してもらうかわりに他のアイデアを渡してある。


「そうか……本当に君はこちらの想像を軽く飛び越えてくるね。この場所を指定された時にも思ったが」

「あら、ここをご存じでしたか?」

「ああ。父上に以前教えてもらってね。実際に使うのは初めてだが……なるほど、見事だな」


 きょろきょろと室内を探索するヒルデベルト。さすがである。微細な魔道具の気配にも気が付いている。

 一頻り歩き回るとヒルデベルトは満足したようで、椅子に座りイザベルの方へと向いた。

 懐からイザベルが渡したブローチを取り出す。イザベルも姿勢を正した。


「さて、本題に入ろうか」


 ヒルデベルトならば問題ないと思って説明をせずに渡したが、録画・録音機能を搭載したブローチを説明無しに見事使いこなしたらしい。

 ヒルデベルトがイザベルに幾つかの質問を投げかけた。





「そうか……」


 改めてイザベルの意見も合わせて吟味するヒルベルト。ようやく答えがでたようで、項垂れた。


「やはり、そうなのか」

「ええ、動機も、手紙の受け渡し手段にも納得がいきます。……それとも、別のお考えが?」

「……いや、私もその考えであっていると思うよ。ただ、ね。私が気になるのは」

「あの方のことですか?」

「そうだね。彼女は……どうなんだろうね」

「……どう、でしょうね」

「それは……いや、そうだね。どうだろうね」


 ヒルデベルトは視線を逸らして窓の外を見つめた。

 今彼は何を考えているのだろう。と思っているのだろうか。



 しばらく黙り込んでいたヒルデベルトだが、イザベルの方に顔を向き直した時にはすでにいつもの様子に戻っているように見えた。


「よし! では堅苦しい話はここまでにして、デートを楽しもうか!」

「え、いや、これはもうデートというかそんな感じではないですよね」

「いやいや、これも立派なデートだよ! むしろベッドがある密室に二人きりなんて不健全だよね!」

「いやいやいやいや! 二人きりじゃありません! ティモ様もユリアもいますから!」


「あ、私のことはおかまいなく。お二人の邪魔はいたしませんので」


 ティモはそういう言うと片手をあげて黙々と食事を始めた。ユリアは背中を向けて、気配を消そうとしている。


「二人もこう言ってくれてることだし、私もイザベルとの仲を深めたいから、ね?」

「ね? って言われても、あれはあくまで噂で……え? 噂ですよね?」


 私の結婚話は国王と話をつけたはず。その時にヒルデベルト様もいたから知っているはずで……

 にっこり笑うヒルデベルトに次第に不安感が募る。ヒルデベルトは立ち上がるとイザベルの横に腰を下ろした。


「とりあえず、私はイザベルのことがもっと知りたいなあ。……そう、たとえば君が秘密にしていた特殊な魔法についてとか」


 すっかり頭の中から消えていた『』を思い出したイザベルが慌てて身を引く。逃がさないとばかりにヒルデベルトの手がイザベルの手の上に重ねられた。

 甘く響く低音ボイスと魅惑のスマイル。触れ合う手と手。ときめくには充分なシチュエーションだというのに、ヒルデベルトの細められた目の奥に猛禽類の気配を感じて、イザベルは心の中で悲鳴を上げた。

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