第七話 最悪が現実となってしまった

 本の匂いが好きだ。本に囲まれた部屋にいるだけで心が落ち着く。もちろん、本を読むことも好きだ。一番のお気に入りはミステリーだが、恋愛物も読むし、何なら辞書だって好きだ。

 この世界でも娯楽用の本は存在しているが、数自体は前世に比べると圧倒的に少ない。それでも、王都図書館や王城図書館には圧倒される量の本が置いてある。

 ラースとの婚約破棄で王城図書館への出入ができなくなってしまう事が気がかりだったが、思い切って頼んでみてよかった。


 イザベルは今日も一人、王城図書館を訪れていた。

 持ち出し禁止の本を数冊選び、閲覧席で読んでいると、ふと隣に誰かがいる事に気が付いた。何とはなしに横を見て、驚く。


 いつの間にか隣にヒルデベルトが立っていた。どうしてここに、と首を傾げるがヒルデベルトは笑みを浮かべ、イザベルが積み重ねていた本を持って歩きだしてしまった。慌てて立ち上がり、追いかける。

 その本は持ち出し禁止だと言おうとしたが、ヒルデベルトが目の前を通っても司書は止めようとしない。

 王太子は特別待遇なのか……。部屋を出る前にヒルデベルトに追いつくと、さっと自分が読んでいた本も重ねた。

 ヒルデベルトは一瞬面食らった表情を浮かべ、次いで軽く笑い声を洩らした。



 ここまで大人しくついてきたものの、さすがに足を止める。まさか、行先が王太子の自室だとは思わなかった。このまま入っていいものかと迷うが、ヒルデベルトから背中を押されては従う他ない。恐る恐る部屋へと入った。

 できれば、部屋の扉を開けていてほしかったのだが、無情にも扉はぱたんと閉められた。


「周りを気にすることなく話をするにはココが一番なんだ。一応、二人きりにはならないように私の側近もいるから安心して」

「はい」


 果たして本当に安心してよいのか、と思ったがとりあえず頷いておく。どちらにしろ拒否権は無いのだから。

 イザベルが脳内で頭を抱えている間に、側近が紅茶の準備をしていた。ハッと我に返り立ち上がるが、すぐにヒルデベルトに座るよう促される。

 見覚えのある一通の手紙がテーブルの上に置かれたのを見て、イザベルはすぐに座りなおした。


「届いていましたのね」

「……返事をしなかったこと、怒っているかな?」

「いえ、まさか。想定内でしたし、こうして話を聞いていただけるだけで嬉しいですわ」


 イザベルは淹れられたばかりの紅茶を手に取り、一口飲んで、微笑んだ。


「うちの側近は用心深くてね……私は必要ないと言ったんだけど、ね」

「そうですわね。次に私に出す際はこの五倍は入れた方が良いと思います。ただ……そうすると到底紅茶とは言えない代物になってしまいますけれど」


 困りましたわねと頬に手をあて首を傾げればヒルデベルトが溜まらず吹き出した。ツボに入ったのか笑い続けている主に側近が冷めた目を向ける。

 イザベルは二人の気の置けない間柄に驚き、改めて側近を観察した。

 黒髪に黒瞳、イザベルにとっては馴染みのあるものだが、この国では忌避される色合いだ。それでも、類まれな美貌と王太子の側近という立場から彼に求婚する女性は後を絶たないという。


 そういえば……彼がかけている眼鏡は伊達だという噂を聞いたことがある。何でも、麗しすぎる美貌を隠す為だと言われているけれど、本当かしら。実際にこうやって彼を見ると本当のような気もする。


 彼、ティモ・アルホフとヒルデベルトの出会いは有名だ。ヒルデベルトが学園にいた当時、ティモも特待生として通っていた。ヒルデベルトはいち早く彼の有能さに目をつけ声をかけたが、周りは良しとしなかった。ならば、と彼を子爵家の養子にして己の側近としてしまったというシンデレラストーリーが未だ学園内でも語られている。

 今考えるとエミーリアもその事を知っていたからこそ、あの態度だったのかもしれない。

 

 遠慮なく観察していると、ティモと視線が合った。

 先に目を逸らしたティモがわざとらしく咳ばらいをすると、どことなくニヤついたヒルデベルトが紹介を始める。


「今後のやり取りの際には、彼を仲介にすることが多くなると思うからよろしく」

「かしこまりました。アルホフ様、よろしくお願いいたします」


 ティモが黙って頭を下げる。「挨拶ぐらいきちんと返しなよ、堅物真面目男」とヒルデベルトが皮肉るが、ティモは無表情で無視している。イザベルは堪らず笑ってしまった。

 こんなに二人が面白い関係だったとは、今まで知らなかったのが惜しまれる。


「ヒルデベルト様はご友人にめぐまれているのですね」


 微笑ましく思い、つい零れ出た言葉にヒルデベルトとティモが固まった。何かまずいことを言ってしまったのか、と内心焦りながらもホホホと笑みを浮かべて誤魔化す。


 ヒルデベルトは横を向くと咳ばらいをした。心なしか頬が赤い気がする。————私は何も気が付いてはいない。うん。


「本題に入ろう」

「はい」

「正直、この手紙を読んで、どう判断するべきか迷っていた」

「……はい」

「けれど、看過できない事態が起きてしまった」

「と、いいますと?」



 ヒルデベルトが纏う空気が変わる。嫌な予感がした。



「今朝方、地下牢でクラーラ嬢とエミーリア嬢が死んでいるのが発見された」



 イザベルは思わず、息を呑んだ。

 頭の中で警報が鳴り響いている。

 想定していたが現実となってしまった。

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