第25話 諦めない、けどもさ?



 誰かが泣いている、悲しんでいる。

 今すぐ手を伸ばして涙を拭いたくて、大丈夫だと笑いかけたいのに、出来ない。

 パースは、死んだのだ。


(…………死後の世界って、案外と暖かいんだぁ)


 暗闇の中に一人、何も聞こえず、何も見えず、けれど己の体は認識出来て。


(鼓動が無い……、うん、やっぱり死んでしまった――――――あれ?)


 パースは首を傾げた、今、確かにドクンと心臓が打った気がする。

 戸惑いながら、そのまま胸に手を当て待つと。


「いや、かなり遅くないかい? というか僕はまだ生きてるの? こんなに心臓が弱々しいのに? なんで?」


 心当たりは無い、無い筈なのだが。


「…………もしかしてターシャ? 君なのかいターシャ?」


 問いかけるも返事は無し、だが奇妙な確信があった。

 こんな事が出来るのは、彼女のみだと。

 その証拠に、繋がっている気がするのだ。


(――感覚を研ぎ澄ませ、祝福なんて持ってないけど何か分かる筈だ)


 己は生きている、辛うじて命が繋がっている。

 でも何処から、どうやって。

 瞳を閉じて、五感を集中させる事しばし。

 彼は困惑しながら、目を開いた。


「心臓の動きが遅い……のはともかく、変な圧迫感があるなぁ。何というか、周りから自動的に動いているというか、どっかで感じた様な、しかもつい最近…………あっ」


 覚えがある筈だ、これは闇の鎧を纏っていた時を同じ感覚。

 ならばつまり、パースの命を繋ぎ止めているのも彼女であり。


「この暖かな何かが、ターシャの祝福……なのかな? 心臓の動きだけじゃなくて、生きるのに必要な何かを貰っているような」


 その時、パースは直感した。


「――成程、これがアイリスの言っていた事かな?」


 最後になっても諦めるな、つまりコレがそうなのか。

 ならば、やる事は一つだ。


「よし、ターシャを探そう」


 その時、彼の聴覚が誰かの泣き声を察知した。

 刹那、思考するより早くパースの体は駆けだして、ターシャだ、ターシャが泣いているのだ。

 上も下も、右も左も判らない世界で走る、走る、走る。

 ――――どれだけ走っただろうか、或いは時間なのこの空間では無意味なのか。


「ターシャっ!! 良かった無事だったんだね! それじゃあこの空間から――――? ねぇターシャ、聞いてる?」


「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい…………ああ、ああ、ああ――嗚呼、わたしが、わたしが、わたしのせいで、みんな…………~~~~~~っ!!」


「悲しむのは分かる、なんて言わないけどさ。顔を上げてよターシャ」


「悲しむなら後だ、今はやるべき事をやろう」


「…………ぱー、す?」


 涙を拭う優しい指先に、ターシャはパースが側に居ると気づいた。

 だが。


「――――嗚呼、なんて残酷な妄想なの。わたしにパースが元気な姿を見せるなんて」


「いや、僕は妄想じゃなくて本物だよ?」


「しかも幻聴まではっきりと……」


「大丈夫、それは幻聴じゃないよ」


「そう、そうなの……、貴方はわたしの頭の中でも優しいのね?」


「うーん、これは聞こえてないね?」


 パースがどうしたものかと困る一方で、ターシャの気持ちは沈みゆく一方であった。

 どうにもならなかったのだ、彼は己の腕の中で為すすべなく息絶えたのだ。

 だからこれは、――後悔が生み出した幻覚、夢幻の姿。


(うふふっ、あははっ、はははははははっ、嗚呼、嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼っ!! おかしいわっ、こんなおかしい事ってあるのかしらっ!! ――……喪ってから気づくだなんてっ!!)


 愛はあった、ターシャの中に、そして外に、確かにあったのだ。

 そして、手の届かない所で一つ喪い。

 そして、己が手を下し一つ喪い。

 そして、腕の中でどうする事も出来ずに喪い。

 だから。


「――――消えなさい、パースの幻影。例えわたしの妄想から産まれた姿でも、いえ、だからこそパースを汚すのは許さない」


「いや本物だけど?」


「ふん、もっともらしい事を言いますのね。――それだけ、わたしの中にパースが入り込んでいたのですね……」


「それは嬉しいけど信じて? 大丈夫怖くない怖くないよ~~、ほら、触れられ――痛っ!? 殴ったね君っ!?」


「浅ましいっ、なんて浅ましいっ!! わたしはこんなにも浅ましかったのねっ!! パースを殴った感触まで再現するなんて――――」


 彼の頬を殴った右手を押さえ、ターシャはわなわなと震えた。

 許さない、決して許さない、この幻影を消さなければならない、

 ――涙を流し唇を噛んで、ターシャは叫ぶ。

 己の半身を呼び出す、決死、必死、必殺、例え相手が己自身でもパースのいない世界で生きている必要が無いのだ。


「『とばりの王』よっ!! わたし諸共消しとばしなさいっ!!」


「ちょっと待ってターシャっ!? 君ってば勢い良すぎじゃないっ!? もうちょっと自分を信じて、そして僕を信じてよっ!!」


「貴方がパースの筈がない、本当のパースならもっと、もっと――」


 それだ、と彼は感づいた。

 本当の自分である事、それを信じさせればターシャも気づく筈。

 ならば。


「待った、待つんだターシャ。仮に僕が君の生み出した幻だとしよう。――では、どうだろうか? 僕が本物のパースリィだと証明してみせるのは」


「問答無用」


「いいのかい、泣くよ? みっともなく泣くよ? 泣いて縋るよ?」


「…………ううっ、た、例え幻でも――」


「よし分かった、脱ごう。君は僕の裸を見ていない、ならば脱げば分かる筈だ」


「ちょっとパースっ!? え? あれぇっ!? ~~~~っ、きゃっ、ほ、本当に脱いでっ!?」


 マントを外し、パースは上半分だけを脱いだ。

 流石に下半身まで脱ぐのは、紳士的ではない。


「どうだい? これでも王子だからね、見苦しくないように鍛えてるんだ。ほら、触ってみる? 腹筋とか堅いよ?」


「え、ええっ!? い、いやこれもわたしの――」


「じゃあ聞くけどさ、君ってば男の裸を見た事があるのかい?」


 幻の筈だ、だがターシャは思わず素直に答えてしまい。


「暗殺任務の時、目標が全裸だった事が何回かありますが……」


「それらの男は、こんな肉体だったかい?」


「はぅ、ち、近づかないで……」


「でも初夜の時は、お互いに裸になるじゃない? これは予行練習だと思ってさ、ほらこの手で僕の腹筋を触ってみようよ」


「て、手ぇっ!? 掴まないで、そんな破廉恥――――…………思ったより逞しいですわパース」


「ふふん、気に入ったかい? 実は君と出会ってから訓練時間を増やしたんだ、ほら君が気持ちよく眠っていた腕だよ、また腕枕させて欲しいな」


「いつもは服越しだったけれど……細身に見えて逞しいの…………はっ!? だ、騙されませんわっ!? これはわたしの邪な妄想っ! そう、邪な妄想ですっ!!」


 顔を真っ赤にして、慌てて距離を取るターシャ。

 後少しだとパースは微笑み、更なる追撃を加える。


「じゃあこうしよう、僕しか知らない君の秘密を言う」


「わたしが知らない秘密? 騙されませんわよ、これは妄想、ならば無意識で知っている筈ですっ!!」


「そうかい? 一緒に寝ると、甘い声で名前を呼んでくれる事も?」


「そんな事をしていたのですかわたしはっ!?」


「胸の下に黒子があるのは?」


「え、本当にっ!? というより何故知っているのですかっ!?」


「いや、だって君を堪能する為に僕は全ての服を選んでるんだよ? 寝着も下着も、露出度が高いのにしてるでしょ? そうそう、昨日は君さ、四回ほどお花摘みに行ったでしょ、ちゃんと数えて記録しているんだ」


「だからって限度があると思いませんかっ変態!! 変態変態変態っ!!」


「僕は皇子で君の婚約者だからね、妻となる人の着替えをこっそり覗いたり、寝ている隙にアチコチ堪能するのは当然の権利だと思わないか?」


「~~~~~~っ!? ななななななな、なっ、何をしているのですかパースっ!? 貴方はそれでも帝国の第一皇子で次期皇帝なのですかっ!?」


「じゃあ聞くけどさ、君の都合の良い妄想の産物である僕は、今言った様な事を言うかい?」


「――――ぁ」


 ターシャは目を見開いて驚く、そこにパースは言葉を更に重ねた。


「僕はね、たとえ君の所為で死んでも決して責めないよ。許す、僕に対する行為の全てを許すよターシャ。みっともなく泣いて縋っても、君を責める事だけはしない、…………だって、ターシャには笑っていてほしもの」


「……ほん、もの、なのパース?」


「そうだ、本物さ。どうやら危うい所で首の皮一枚繋がってるみたいだ」


「で、でも、どうして――」


「多分、この空間のお陰じゃないかな? 君から何かが流れ込んできている気がするよ。……というかさ、この空間って何だい?」


「何って…………えっと、何でしょうか?」


 ターシャは冷や汗を流し始めた、己のした事を思い出したからだ。

 力に任せてパースを救おうとして失敗して、悲しみの余りに世界を闇に落とした。

 ……落としてしまった気がする。


「これ、君の闇だよね? 分からないのかい?」


「ええっと……、そのですね、パースを助けようと全力で祝福を力任せに暴走させたと言いますか……」


「つまり?」


「失敗した筈なんです、……いえ、失敗したからこそ、わたしとパースは闇に囚われている……んだと思いますわ」


「…………もしかして、君にも制御出来ていない?」


「はい……、そして制御が可能になったとして解除してしまったら……」


「僕が死ぬ」


「恐らくは」


 困った事になった、本当に困った事になった。

 この空間が、パースの生がどこまで保つか分からない上に。

 現実に戻ったら、今度こそ死んでしまう可能性が高い。


「…………」


「…………」


「提案がありますわ」


「ずっとここに居るって言うんだったら拒否するよ」


「どうし「どうして、なんて言わせないよ。――分かってるでしょ?」


「諦めない、最後になっても諦めなければ道が開ける」


「そう、アイリスが見た未来予知だ」


 方法は分からない、だが可能性がある限り決して諦めない。

 パースはターシャの両手を己の両手で包み、頷く。

 彼女もまた、頷き返して。


「僕たちは二人で一緒に生きるんだ、そして皆と楽しく幸せに暮らすんだ」


「はい……二人で生きましょう。みんなで楽しく、そして幸せに……」


 ターシャはそっと瞳を閉じて、パースもまた同じく。

 二人は優しい口づけをする。

 そして顔が離れ、照れくさそうに微笑みあった瞬間であった。


「――――この鬱陶しい闇を出してるのは誰よ!! 傍迷惑な!! ああもうっ、気を抜いたら眠たくなるっ!! いい加減に出てきなさい!! ぶん殴ってや…………る? あ、あれ? お邪魔だったかしら?」


「………………もしかして」


「まさかっ!? 貴方はターシャのお母上っ!? フィローソウさんでしょうっ!?」


「アタシを知ってるの? え? いや誰? 誰な――――んん? んんんんんんんっ!? え、ちょっとっ!? 何で姉さんがっ!? 何で姉さんがそんな若い姿でっ!? どうなってるのよっ!?」


 現れたるは、ターシャに良く似た人物。

 黒い髪に、褐色の肌、紫の瞳で、ターシャと同じく女性にしては少し背が高い。

 そう、あの部屋の硝子の棺で眠っていた母であった。


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